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揺り戻し?また「死にたい」が顔をのぞかせた

どうもスッキリはっきりしないまま1週間が終わってしまい、体調的にもメンタル的にもどん底。
落ち着きのない息子を見て、とうとう目と耳を塞いで固まってしまった。

私の適応障害は二つ。1つは職場の陰口蔓延る対人関係の悪さと仕事のミスを絶対に許せない自分。そしてもう一つは息子だ。
適応障害はストレス源から離れれば回復するとよく言われるけれど、身内がストレッサーの場合そうはいかない。
息子の場合、幼い頃から怒鳴りつけて育ててきた反動が今出てるのだろう。兎に角落ち着きがない。とはいえ、男児ばかり育ててるママに言わせれば小一なんてそんなもん、くらいの感じらしいのだけれど。
繰り返し繰り返し注意したり言い聞かせてることができない事に、私がスルーできない。ここの考え方が治らないともうどうにもならないのだと思う。そして、小一男児に言ったって聞かないのも分かってるのだ。私が許せないだけで。

結局は私が変わらないと何も進展しない。家事なんかいいじゃーん、明日も同じ服着せて登校登園させてもいいじゃーん、朝ご飯にお菓子食わせてもいいじゃーん。大袈裟に言えばこれくらいならないとダメなんだろうけれど、子が産まれてもうすぐ7年と2年半。難しいなぁと途方に暮れる。
下の子もイヤイヤ期。しかも女の子だから口も達者。でもね、私が怒ったりイライラしたり泣いていると「大丈夫よ、ね、ははちゃん」と寄り添ってくれる。びっくりするけど、コレがものすごく効果あって、彼女の笑顔で救われる。
だから目下敵は息子なり。みたいになってしまう。

多分息子は私にそっくりな性格なのだろう。
好きなことに一直線で、あまり周りを気にしない風でよく見ていて、劣等感もあって、でもいざ決める時はビシッと決める。褒めるところはたくさん有るのに、どうでもいいことで褒める前に叱ってしまう。
私が私を嫌いだから、私に似ている息子が憎いのかもしれない。

どうして私は私の事がこんなに嫌いなんだろう。
考えるけど答えが出ない。
嫌な過去を反芻しがちな人は、自分に呪いをかけているという。当たっていると思う。
私は私が嫌い。そうよ、だからなんだっていうのって思えるようになるのが自己肯定感を高める一歩らしいけど、嫌いな人をそのまま認めるって難しくない?できれば異動しないかなとか、顔合わせないような道順や時間を考えたりしない?
殺したいくらい自分の事が嫌いなのに、何を認めればいいんだろう。

私が嫌いな私は
・続けられず突き詰められない飽きっぽさ
・最後まで確認しない迂闊さ
・功績を残せない中途半端さ
・いい事したとドヤ顔して周りを見渡したら呆れられている事(独りよがり)
・家をきれいに保てないズボラさ
・タスク化しないと進まない家事育児
・優しい夫に頼り切りで情けない
・子どもに手をあげたり怒鳴りつける惨忍さと傲慢さ
・40歳になっても親に頼ってる情けなさ
こんなとこだろうか?

これらひっくるめて、自分という人間を見たときに、情けなくて悲しくて、もう捨ててやりたくなるのだ。
久しぶりに死にたいなぁと呟いた。今もこれを打ちながら泣いている。

息子も自分が嫌いだという。
いっそ2人で海にでも飛び込んでしまおうか。
自分が嫌いなまま生きるのは苦しすぎるから。

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