見出し画像

久しぶりに夢で祖母と再会した話

中学入学してすぐのころ、札幌に住んでいた祖母がすい臓がんで亡くなった。70歳になっていなかったと思う。

札幌から父と暮らすために上京した母は、ウマの合わない姑(父方祖母)を頼ることなく、専業主婦で市役所職員の集合住宅で同じママ同士助け合いながら生活していた。
唯一の息抜きが、私たちが夏休みの40日間を札幌で過ごして、子育てを祖母や姉、甥に相手をさせて友人に会ったり買い物に行ったりすることだった。
私たちもお兄ちゃん(従兄弟)の部屋にある漫画を読んだり、野山に行って取ってきた葉っぱでおままごとしたり、公園に行ったり好きに過ごした忘れがたい思い出の日々だ。
60歳手前とはいえ、近くには小学生中学生の男孫二人、そこに幼い女孫2人が加わって毎日面倒を見るのは重労働だっただろう。でも、いつも私たちが帰ると、書道の免状持ちの達筆な筆で手紙が届き「あなたたちが帰ると夏が去って山の色が変わり、冬の訪れが迫っていることを感じます」と書かれていた。
大好きな祖母だ。
穏やかで、声を荒げたのは夏休みの宿題で習字が出たときに、妹が適当にやって畳か何かに墨をこぼしたときと、お兄ちゃんがロケット花火を畑にぶち込んだ時だ。
トロかった私が、テレビにくぎ付けの間、従兄弟が平らげてしまった好物の桃が無くなっていることにショックを受けて泣いたら、オタオタして次の日に市場まで行って買ってきてくれるような祖母だった。

もう危ないかもしれない。
そう母の姉から一報を受けたとき、父は前日飲みすぎて二日酔いで酷いアルコール臭だったのを覚えている。この時母が「これで母(祖母)になにかあったら、あんたのこと絶対許さないから!」と叫んで、支度させて空港に向かった。
まだ制服姿を見せていない、持っていくといった私に「縁起でもない」と渋ったけれど、最後は自分たちの喪服と一緒に荷物に入れていた。
札幌はよさこいソーランの日だった。
母の一番上の姉は渋滞に巻き込まれてなかなか来られなかった。
伯母が小高い山の上にあるきれいな病院に着いたとき、もう祖母の意識はほとんどなかった。母たち姉妹とその伴侶、従兄弟や私たち姉妹が集まっていて終わりの気配がそこかしこに漂っていた。
「もう辛いから、楽にしてちょうだい。みんな仲良く暮らすんだよ。」
それが祖母の最後の言葉だった。医師がモルヒネを点滴に入れた。
病室を移る、というので準備しているときに祖母の顔を見ていたのが唯一私だけだった。眠っている祖母が一つ二つ深めの呼吸をしたと思ったら、次の呼吸がなかった。あぁ逝ってしまったと冷静に思ったのを覚えている。
ピーと長く臨終を告げるブザーで病院スタッフが飛んできて、母もきて、私は「おばあちゃん、いま息が止まったよ」と告げた。

なぜだか葬儀の事はあまり覚えていない。
母は埼玉に嫁いだことを後悔することもあったようだし、10年近く不安定だったと思う。
私は今でも鮮明に祖母の家を思い出せる。
納戸のにおいも、私が生まれる前に急逝した祖父が集めていた石のコレクションが並ぶ広い玄関も、閉めるとガラスの音が鳴る木のドアの先にあるリビングに、革張りのソファがあってレースのカバーがかかっていて。奥に和室が2つあって、一つは祖母のベッドとお習字用デスクに神棚のある和室。もう一つは着物がたくさんしまわれた箪笥と仏壇が並ぶ大きな和室。仏壇の前には盆提灯が置かれ、青い灯でくるくると回っていた。昼には窓から祖母の植えた野菜畑の緑が見えて、木でできた窓枠に座るのがお気に入りだった。
玄関から上がる階段はちょっと高さがあって上る時も降りるときも怖くて、上がると母や伯母たちが使っていた部屋がある。ピアノがあって、母が買ってもらったというこのピアノはのちに船に乗って埼玉までやってくる。本棚にたくさんの児童書や伝記があって読みふけっていた。
母の部屋だったところには古い大きなオーディオセットがあって、木の机は私のお絵描き場所だった。窓から見える山と空の景色が本当に好きだった。

祖母に関する夢や、不思議な体験は今回が初めてではない。
最初の仕事が辛くて辛くて、泣きながら暗い公園(しかも縦に長い)を抜けるとき、ふと満天の星空から祖母の声で「大丈夫だよ」と聞こえたことがある。
息子が生まれて、慣らし保育に2週間かかるといわれ、さすがに2週間復帰したてで休んだり早退はちょっと…というときに母に来てもらったときも、一度も電車の遅延もなく終わることができた。この事も母は「おばあちゃんが守ってくれている気がする」という。

今回夢で再開した祖母。なんだか若返っていた気がする。
母と喧嘩する夢を見て(これ結構見る)、そのうち何故か母が妹になって激しい口論になり、その場を飛び出して歩くと、見知らぬ路地に出る。
路地にはおしゃれな洋服屋さんがあって、窓際にあるハンガーラックのスカートを見て「本当はこういうの着たいんだよね」と呟く。
眺めながら通り過ぎようとしたときに、お店から出て、タイヤの空気が抜けきった電動自転車に乗ろうとしている人が祖母だった。キャメルのトレンチコートを着ていた。(私はそういう姿を見たことはない)
話したいことはたくさんあるのに、私は「おばあちゃん!その自転車空気抜けてるよ!」としか言えない。でも「あははは、大丈夫大丈夫、乗れるよ」と笑っているうちに、おばあちゃんに会えたということだけで胸がいっぱいになって目が覚めてしまった。
もっと話したかった、もっと顔を見たかった、そう思ったら年甲斐もなく涙が出てきて止まらない。時計を見たら起きる時間だった。

意図的におばあちゃんの顔や声を思い出すことはなかなか難しい。
本当にこういう事でも起きないと、さすがに風化してしまう。
だからさ、また夢に出てきてよ。おばあちゃん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?