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痛みは比べるものじゃないから

職場は学校なのだけれど、ここ数年、自分も含めてメンタルをやられる先生が増えた。
なんと言っても業務量が膨れ上がって、掛け持ちに掛け持ちを重ねた結果もあると思う。

とある先生が復職された。
分掌が一緒なので、仕事を手伝ってもらったお礼も兼ねてデスクまで行って話をした。
彼は前職全く違う仕事をしていて、コロナ禍でメインの職を失い、掛け持ちだった非常勤のうちで本格的に講師をやる事になった人だ。
だから前の職に未練もあったんじゃないか、そんな風に私は勝手に想像していた。

話しかけた先生は明るい笑顔で返事をしてくれたのだけれど、すぐに分かってしまった。
治ってない。
自分も母親や夫によく言われてたけれど、やられてる時はとにかく笑えないのだ。特に目。
その先生も口元は笑っても、目が笑えてなかった。

先生は「いやぁ3月までは担当授業もないし暇ですよー」と仰った。
それに対して私は「先生、復帰したてってすごく焦るけど、まだまだ波があるから絶対無理しないでくださいね」と言った。
「私なんか、もう子育て落ち着くまで投薬通院続くんですよ。腹括っちゃいました」と言ったら
「僕は軽い方だったと思うんですよねー」と。
その時、タイトル画像にある言葉を伝えた。
「あなたの痛みはあなたのもの、わたしの痛みはわたしのもの。大小も比較もないですよ。辛いのは辛いでいいんです。お互いゆっくり90%でいきましょう」って。

教員という仕事を一番近い外から見ていると、同時多発タスクで、まぁよくこなしているなと他人事だから思える。
これが渦中の人だったら、相当早い段階で辞めていると思う。
特に公休日(他校ではよく研究日と言ったりする休み)ができてから、週休2日で体は楽でも、他の日が1-6時間目までフルで授業があったり、会議が重なる水曜日は、部活の顧問でも様子見にすら行けない。辞める辞めないで不安定な生徒、続々と推薦入試の自己推薦書の添削を求めてノックしてくる生徒、虐めた虐めてない、先に手を出した云々で揉めてる生徒たちの面倒も見なければいけない。

やりがいはあると思う。すごくあると思う。
教え子が自分の授業をきちんと覚えていて、仕事に活かしてくれたり、なんなら生きてて結婚して子供産まれましたって言ってくれるだけで良かったーって思う。
でも、やはりこの多忙さは異常だ。
入試広報を教員でやっているというと驚かれる。大抵そういう部署か事務がやるそうだ。まぁそうだよね。
積み重なった業務から、うまい具合にのらりくらり逃げている人も、気難しくて頼み難いから外されている人もいる。でもそれは私が知る側面がそうなだけで、実は抱えきれないくらい仕事があるのかもしれない。

ブツブツ独り言が止まらない先生がいる。
デスクに本やプリントになんかよくわからないもので山ができている人がいる。
職員室には、いつも疲れた空気が漂っている気がする。
なんとか手伝いたくてICTとか、業務の手助けとかしようと思うんだけど、学校の悪いところは「去年やってくれたよね?(だからこれはあなたの仕事ね)」となってしまう事。
私だってまだまだ病人なので業務増やされるのは困る。

教員の働き方改革。
人件費増額と人員確保しかないと思う。
これ以上メンタルやられる人が増えて、学校から教員が消える前に。
そしてメンタルやられたら、早いうちに休めるように。
死の淵に手をかけたら、逝っちゃうから。本当に。
その前に、なんとかしてください、文部科学省様(と私学協会様)

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