「遊ぶこと」と「遊ばされていること」/こどもから学ぶ毎日note#10

毎日note10日目。
幼稚園教諭、プレイワーカー、森のようちえん保育士を経て、
今は3歳と0歳の息子と365日ともに暮らしている。

「こどもの遊びと育ち探検家」として、
我が子との暮らしの中での未知との遭遇を楽しみながら、
世界中の子どもたちの幸せな暮らしと育ちについて
日々ぐるぐると思考している。


最近は3歳5ヶ月のひとの遊び心が、日増しに面白いことになっていて、
息を潜めながら見ているのが楽しすぎる。

春~夏の間続いていた色水ブームは終了し、
ここ最近のもっぱらのブームは「はこづめ」作業。

朝起きて、朝飯前にまず「ねぇ、いっしょに、はこづめ、しよっ!」

お店やさんごっこが楽しくなってきたらしい、
彼の朝のルーティーン。

手始めに店に品出しする品物たちを箱詰めしていく作業。
家じゅうの彼のものたちを空き箱に詰める。

これは、くるませっと
こっちは、くれよんセット
これね、しんごうセット
これ、かみセット。

棚と椅子の隙間に紙を押し込み、下に落とす。(セルフレジ)
ガシャンガシャンガシャン。
お札が吸い込まれていく。

「あっ!おかいけい、わすれちゃった♡」なんておちゃめだな。

買ったおもちゃを早速広げ、組み立て、線路をつなげ、電車を走らせる。

ここは、しょうぼうしょ
ここは、えき
ここは、りったいちゅうしゃじょう
こっちは、すーぱー
ここ、とっとのおしごとのとこ

みるみる、彼の「まち」が出来上がっていく。

電池で動く類のおもちゃのない我が家。
ともだちのお家で先日ついに出会った、電池で動く青い線路の電車に目がきらきら。
ぼくも欲しい‥とか言い出すのかなぁ、と思っていたら、
帰宅してくるなり
木製の電車に「がちゃっ」っと電池を入れて(つもり)
手動で自動運転。

このリモコンでスイッチ押すのよ。
と、じいじにもらったお土産の箱に書いてある、小豆のつぶのイラストのところをピッと。

あああ、やっぱり良いよな、自分自身がそれになり切れる。
この子のペース’でストーリーを創っていける。

思いっきり、「遊んでいる!」

一方で、電車で動く類のおもちゃと対峙した息子を見た時、思った。
あぁ、なんと「遊ばされている」んだろう…

彼くらいの年齢の子にとっては早すぎる動きであっという間に目の前から消え去ってしまう電車。
会話が聞こえないほどの大きな機械音。
本物そっくりに完成された車両たち。

普段は、踏切をしめて、車を並べて、電車を進めて。
踏切を開けて、車が一台一台、踏切を渡っていく。
車が渡り切ったら、踏切を開けて、また別の電車が走ってくる。

いつも、そんな風に、器用に指先を使いながら、立ったり座ったり、自分の作ったまちを壊さないように意識をむけながら身体を動かして、解像度高くまちの営みを再現している。

それらのストーリーは機械のおもちゃとの彼との関係では生まれなかった。
いや、よく見ていたら、普段のように「やろう」と試みていたが、電車が早く過ぎ去りすぎていて、諦めていた。

あぁ、もったいないな…
いつもの彼の解像度の高い遊び方をみているがゆえ、そんな風に感じた。

機械の電車はカーブを曲がり切れないとガシャン、と倒れ脱線し、がーがー言いながらその場で動けなくなって機械音だけ鳴り響いている。
動きを止めるためスイッチを押すのも結構難しい。
そのうち、脱線ごっこが始まり、電車と電車を衝突させ、動きについていけないで飽和状態。
ストーリーの生まれない乱暴な遊び方で終わってしまった。

そのおもちゃを使いこなせる時期を見極めること、与える年齢って大事だよなぁ、とつくづく感じた。

幼児期の子どもたちにとってのおもちゃは、なるべくシンプルで、何にでもなるものがいい。
自分の意志とは乖離して電池で勝手に動いてしまうものより、自分自身と一体になって、動かせるものがいい。

おもちゃに遊ばせられるのではなく、おもちゃで遊んでいる、
そんな遊びを、子どもたちが経験できるとよい。

木のおもちゃ、シンプルなおもちゃの魅力を伝えていくこともやっていきたいな。

究極、おもちゃなんてなくたって、そのへんに落ちている小石や木の枝や、葉っぱでも、何にでも見立てる力を、彼らは持っている。

何ににも決まっていないものを何かに見立てて遊ぶことを繰り返した子どもたちは、ものすごくオリジナリティ溢れた遊び方をする。

それは、身の回りにあるもので工夫する知恵へとつながっていくと思うし、それってゆくゆく生きていくうえで大切な力だ。

スイッチ一つで暮らしが成り立つ便利な道具に囲まれているけれど、裏返せば、その機械自体が壊れてしまったら、それまでだ、ということ。
暮らしのすべてを外部委託している感覚。

こどもらが、遊ばされているのではなく、遊んでいるという行為は、
自分の内側で遊ぶこと。
遊びが湧き出てくること。
外部委託じゃない、機械が壊れたって、究極何もなくたって、空想の世界で無限に楽しいことを生み出せる。

それって、ものすごい力だと思っている。

だから私は、

木のおもちゃ(シンプルな遊びのツール)
  ↓
自然の中で遊ぶこと(無限に遊びが広がるツール)
  ↓
絵本(空想の世界を豊かにしてくれるツール)

それらが、大好きなんだなぁ。

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