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自分らしくいられない苦痛

-light side☀️-

最近は感情的になることが多い。

余裕がないと言われたりもするが、それが根本的に原因なようには思えない。

どちらかというと、妥協できない点、すなわち許せないことが増えたのが原因だと思う。

7か月程、サークルを運営していく中で沢山の人と出会う機会が増えた。

またサークルに参加する人たちと交流する中で、社会人として過ごす日々の中で沈んでいた自分の性質を徐々に取り戻していったような気がする。

ただ再び自分を取り戻したことで、生きるのが圧倒的にしんどくなった。鋭敏さや繊細さ、高すぎる共感性などは、穏やかに日々を幸せに生きるためには無用の長物に過ぎない。

確かに苦しいけれども僕はもう一度苦しかった自分に戻ることが出来て本当に良かった。

戻ることで、本当の意味で自分の性質によって苦しめられていたり、大衆に理解されずに暗い孤独の海に沈んでしまっている人たちに寄り添うことが出来るようになったと思うから。

先ず前提として、僕は人から理解されたい。幼い頃から誰からも理解や共感をされずに生き続けてきたから「分かってもらいたい」という気持ちが強い。そしてその先で「生きてもいいんだ」と赦されたい。その個人的な願いを叶えるために、僕のエゴでコミュニティを設立したという事実を今ここで伝える。

また設立の際には、きっと僕と同じように分かってもらいたかったり、理解されたかったり、生に対して赦されることを望んでいる人たちもこの世界には沢山いるのではないかと思った。

「その気持ち分かるよ、本当に生きるって難しいよね。けれども同じような悩みを抱える私たちならきっと腐敗したこの世界でも助け合いながら生きて行けるかもしれないね」

僕は同じ境遇の人たちと助け合って生きてゆきたい。僕の、僕たちの居場所を作りたい。

今その夢を実現するために、僕はきちんと正しい方向に進めているだろうか、いやできていない。

こうやってnoteだったり、SNSでは思いを伝えられるのに、実際に人と会って話すときにはありきたりな事ばかりを話して自分が傷つかないようにしてしまっている。

沢山考えた。自分の価値観を伝えることが果たして全員に対して意味があるのか。純粋にイベントを楽しみにしている人からすれば単純に重くて冗長的な話になりはしないか。対話を求める人と遊びに重きを置く人でチームを分断して、僕は前者とよりコミュニケーションを取るのが正しいのか。

先日noteで記載したようにエンタメとピュアというカテゴリを分けてイベントを分けて開催するのは悪くはないしやっていければと思っている。

ただ何をやるとか、参加者の興味の有無とか、そういうものに右往左往せずに、もっと自分の理想を伝えていかなくてはならないと思っている。どれだけボードゲームが好きだからといっても、誰でもいいからやりたい人なんているのだろうか。きっと交流する中で、誰しも精神的充足感を少なからず求めているんじゃないだろうか。"人見知り"、"生きづらい"これらの言葉に惹かれた人たちなら、誰でも少しは普段の日常生活では得られないような関係の構築を望んでいると僕は考えている。

メンバー一人一人が心から所属してよかったと思えて、自分らしく振る舞うことが出来て、その上で共感しながらお互いに寄り添い合いながら、コミュニティの中で過ごせるような状態となったとき、僕も漸く笑えるのかも知れない。

誰しもが違う考えを持つ個体だ。誰一人として同じ人間など存在していない。

それでも誰が何を思っているかに捉われて、伝えたいことを言えないのも、皆が本当に求めていることを叶えられないのももう嫌なんだ。


-dark side🌙-

きっと今の僕は感情的になってしまっている。けれどもだからこそ今純粋な気持ちで文章が綴ることが出来ているとも思っている。

深く傷ついたときこそ、紡ぐ文字たちは生を帯び、空へと羽ばたく様な気がする。

繊細さを持っていたり、共感性が高かったり、人間関係で深く傷ついて心を中々開けない人がやっとの思いで抱える悩みを打ち明けたときに、ただただ正論で返すことにいったい何の意味があるというのだろうか。

少なくとも僕なら「そんな正論は既に分かっていることだし、何を偉そうにアドバイスをしているんだコイツは」と思ってしまう。

もちろん時と場合によっては、共感ではなくて、打ち明ける側が純粋にアドバイスを求めているという状況は往々にしてある。ただよっぽど内容が革新的だったり、アドバイスを告げる者との親密度が高くない限りは、求めている人の脳内には残らないだろうから結局は共感は重要にはなると考えている。

またそういった小手先のテクニックや助言で相手を恰も救ってやったかのように粋がる連中には反吐が出るし、更に「俺は時と場合によっては、共感もできるから、社会的弱者ともめちゃくちゃ仲良くなれるし、幸せにできるよ」みたいなことをいう自己肯定感高めの人間はもうどうしようもない。

もちろんそう言う奴は嫌いだし、一生分かり合えないと思うがそれ以上に許せないのは勝ち馬に乗り相乗りをして、そう言う正論を告げる奴に便乗して薄っぺらな正論(笑)を合わせてくる人間だ。

きっともう癖になってて、自分が他人にどれだけ不快感を与えているかとか、全く気付いていないんでしょうね。本当に僕も虐められてきたから分かるけど、虐めているリーダーみたいな奴が暴言吐いた後に、必ず後から合わせて傷つける言葉を言っている奴がいたんだよね。本当に許せない。

何というか少し疲れた。

ずっと一人で走り続けている感覚しかない。


自らの意思を捨て役割だけを果たす傀儡。


人と向き合おうとせずに未来しか見れない愚者。


やりたいことにしか興味を持てない阿呆。


全てを理解してなお動けない石像。


きっと今の自分は視野狭窄を陥っている。きっと誰かが発言した些細な言葉がトリガーになり、全てを誇大妄想してしまっているのだろう。

精神に異常をきたしているのは理解しているので、皆さんはどうかこんな僕を許して欲しい。

今は健常者ぶっているが、閉鎖病棟とかにぶち込まれる可能性も近い未来考えたほうがいい。

何れにしても、こんな俺がこの先永遠に今のようにやっていけるかというとそれは難しいだろう。

だからこそ、出来るときに伝えねばならんのだ。

また炎上したな......この記事は多分拙い。

サポートが嬉しいと言うよりも、君という1人の人間に楽しんでもらえたことを実感できることが何より嬉しいです。