見出し画像

窮屈な時間軸の中で

時間があったら何をしたい?

社会人になって1年目が終わろうとしたころだっただろうか。
当時、社会人とはかくも仕事に時間を費やさなければならないのかと、頭がおかしくなりそうになりながらも滅茶苦茶に仕事に噛り付いていた。
労働環境として、とんでもなく長時間労働をする職場に配属されていた。

そんな環境に自分の精神と身体が適応するかしないかぐらいの時に、直属の上司のもう一つ上の上司から質問された。
そして、答えられなかった。
仕事が全てでなければならないと考えていた当時の自分には答えられるはずもなかった。

今だと、生きることこそ全て。仕事なんぞものは、よほどしたい事でなければ人生の一部に収めておかなければ時間がいくらあっても足りない。
今やりたい事、それを答えればいい。答える必要もない。
そんな考えだ。

今やりたい事といえば、死ぬほど小説を読み漁ることくらいだ。
割とそんなもんだと思う。

先日、大学時代の友人と数年ぶりに酒を酌み交わした。
近況を話し合い、これまで経験した苦労を労い、そして仕事について今力を注いで、自分の意志で、現在進行形でやっていること、考えていることを話し合えた。
これが何より良かった。

彼は人生を進んでいて、知識を集め、思考を深め自分を積み重ねていた。そして、それに答えるように自分の中にも同じものがあったことを感じ取った。
感じ取れたことを嬉しく思い、感じ取らせてくれたことに感謝した。

とはいえ、大学時代の友人である。
私もご多分に漏れず中身のないくだらないことをした大学生の一人だった。
そんな私と雑なことをしてくれる良き友である。
この日はコンビニで缶ビールを買い、近くの公園のブランコに座っての乾杯から始まった。

時間があったらやりたいことをやったらよいと思う。
やりたいことで埋め尽くして、無駄だと感じる時間を少なくすることも一つの生き方だと思う。
だけど、ものすごくくだらなくても、十分すぎる余白があっても、幸せを感じることができるのであればそういう時間の使い方も良いと思う。

窮屈な現代で時間と気持ちにゆとりを持つ贅沢を大事にしたい。

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,315件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?