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吉野杉リポート③ 吉野杉の産地から、人と木の循環について

総合建設会社の淺沼組は現在、築30年の名古屋支店をGOOD CYCLE BUILDINGとしてリニューアル中。その現場では「人にも自然にも良い循環を生む」というコンセプトのもと、様々なことに取り組んでいます。このnoteでは、プロジェクトに関わる人の思いや、現場の様子をリポートします!

淺沼組名古屋支店の外観に取り付けられた樹齢約130年の吉野杉の丸太がどこから来たのか。
前回の記事では、吉野杉の造作材や家具材など名古屋の現場に納材してくださった吉野銘木製造販売株式会社を訪れ、「吉野杉がなぜブランドなのか」というお話を伺いました。

今回のリポートでは、人の手によって育てられてきた、吉野の山へご案内致します。

吉野林業と共にある、吉野川の上流へ

吉野地方の中でも、林業の盛んな地域、川上村・東吉野村・黒滝村は吉野川上流域にあります。吉野銘木の事業所からは、車で40分はかかるということ。
車窓から、吉野川の流れるゆったりとした風景を眺めながら東吉野村へと向かいました。

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吉野川は場所によって呼ばれ方が違い、吉野の方では「吉野川」と、そして和歌山の方では「紀の川」と呼ばれています。
吉野の木は、吉野川を降って和歌山へ運ばれ、そこから、江戸の木場や、京都や大阪にいく場合には、淀川を使って搬送されていました。
古くは、室町時代に吉野の造林が行われていたという記録があり、豊臣秀吉の時代には築城に利用するために吉野杉や檜が多く搬出されるようになったと言われています。
その後、江戸の享保年間から明治時代にかけては吉野の木材で酒樽を作る樽丸製造が盛んになり、吉野林業が発展しました。
樽丸の製造技術は、現在、国の重要無形文化財に指定されています。

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吉野川の流域には多くの製材所や貯木場が立ち並び、この川の流れと共に、人々が生業を続けてきたことを感じさせられました。

ちょうど、川沿いから山へ入る橋を渡る手前のところ、吉野銘木の方に
「あの崖に刻まれた文字が見えますか?」と声をかけられました。

土倉

「土倉庄三郎という方を讃えて文字が刻まれているのですが、あの方が吉野林業を支えた方です。」

「日本林業の父」と呼ばれる人ー土倉庄三郎

ー実際には、どういうことをされた方なのでしょうか?

「吉野最大の林業家だったのですが、まず、日本の近代化はこの人がいなければできなかったと言われています。板垣退助・伊藤博文・大隈重信・山縣有朋など、明治政府の名だたる方たちが土倉庄三郎に支援を乞うために吉野に訪れたことを「土倉詣」と呼んだそうです。
自由民権運動の支援、一方では教育面で、同志社や日本女子大学の設立の援助を行いました。
木材を運搬するための鉄道や道路などのインフラを整え、運搬技術を開発し、吉野林業の密植という技術を各地に広めた人でもあります。最終的には台湾にまで行かれたようです。明治神宮の森を設計した本田静六も、土倉庄三郎から多くのことを学んだそうです。」

目の前に聳える崖に掘られた「土倉翁造林頌得記念」の文字は、本多静六の呼びかけによって作られました。
明治神宮の森や日比谷公園など、全国で多数の公園の設計や改良を行った「日本林学の父」と称される本田静六は、吉野に通い、土倉庄三郎に教えを受けていました。
本多静六が明治神宮の森で目指したのは、人の手入れが少なくとも維持することができる自然の森づくりでした。

本多静六はドイツに留学して、林学知識をえましたが、日本に帰国するとヨーロッパの気候と日本では違いが大きく、そのままの知識を日本で応用するのには無理があると感じます。
また、明治期の森林事情は厳しく、森林ジャーナリストの田中淳夫氏の著書『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』の中では、江戸末期から明治は「日本史上、もっとも山が荒れた時代」で、

大半の地域の林業技術は未熟で、植林も普及していず、ただ禁伐し、生えてくるのを待つだけの林業が多かった。

と記されています。

そこで、ドイツ林学を身につけた本多は、庄三郎から教えを受け「荒れた山と林業という現場に活躍の場を見出していった」のです。

本多は造林学の体系化を進めて、山林の効用を説きつつ豊かになることを訴えた。庄三郎は、常に山林と水が一体であり、林業は国土を守ると同時に国を富ませる技だと説いた。二人とも環境的機能と産業的機能は両立するという発想を持っていた。

「吉野の造林法とドイツの造林学の学理に拠りて、漸く日本の造林学を構成せり。而して、その吉野の造林法とは、実に土倉翁に就いて学び得たるなり。」ー本多静六

「吉野」と聞くと、多くの人が思い浮かべるのは「吉野の桜」。吉野山には約200種の3万本の桜が咲き、春には人気の観光地として賑わいます。

実は、この吉野桜にも土倉庄三郎とのエピソードがあります。

幕末から明治初期、明治新政府が打ち出した「神仏分離令」により、廃仏毀釈が全国に広がり、その波は奈良県にも押し寄せました。奈良はもともと神仏習合の地であったため、興福寺初め多くの寺が廃寺となり、奈良公園は荒れ、広い地域で影響を受けたと言います。
古来から信仰の地である吉野山も一時は荒れ果てた山となっていました。
そこに、大阪の商人が「桜の木から薪を生産するため」に吉野山を買い取る話を持ち込みました。この頃、産業用エネルギーとして薪の需要が高まり、全国的に景勝地等の森林の伐採が進められていました。
吉野山の住民は吉野の桜を商人に売ることを了承し、その跡地に植える杉・檜の購入をしたいと、庄三郎のもとに訪れました。
それを聞いて驚いた庄三郎は、「全ての金を土倉家で出すため、すぐに桜を取り戻すように」と言いました。

「新しい政府ができて、日本は世界の国々と付き合うようになる。
外国人も日本を訪ねてくるだろう。その日のためにも、吉野山の桜は保存しておかねばならない。」

こうして、吉野山の桜は守られたと言います。

「日本林業の父」と呼ばれ、山を守り、植林の大切さを広めた土倉庄三郎の生涯。その功績は今も吉野に生きる人たちによって語り継がれています。

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豊かな水と、吉野の山。

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吉野の山林へ

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吉野山地を見下ろす場所へ到着。見渡す限りの山。
吉野山地は、県土面積の約3分の2を占めると言います。

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書き付けのある吉野杉。このように印をつけて、山林保有者の境界線を作ります。

山の坂道を登っていると、気がつくと他の人の姿が見えず、振り返ってみると…

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小さな石碑を見上げ、熱心に写真を撮っていました。
「西岡常一の棟梁顕彰碑」
宮大工の塔りょとして、法隆寺や薬師寺などの再建を手がけ、飛鳥時代の建築様式を後世に伝えた、『再度の宮大工』とも言われる人。
寺社建築と吉野林業との深い関わりを伝えています。

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吉野林業の抱える問題点とは

ー吉野林業の現在の問題点とは何でしょうか?

「やはり、山の職人さんの高齢化でしょうね。山に木を伐りだす人たちのことを、僕たちは『山いきさん』と呼んでいます。高齢の方が山へ行って作業するのは大変過酷な作業です。また、雨が降っては作業ができず、雪が降ると1〜2週間と作業ができません。」

木を伐採することは非常に危険な仕事。伐りだす時期も秋以降と決まっていて、気候としても厳しい時期。これは木が春に育って秋になると成長が止まるので、秋以降に伐らなければ木の水分量や養分が多いため、乾燥しにくく、腐りやすくなってしまうためです。

現在、吉野銘木では高齢化の課題を解決するために、吉野銘木の会長自らが「ウッドバンク」という組織を作り、若手の育成を行っています。

「山に入れない日は製材工場の方に入ってもらい、木材加工や製材、建築の知識をえて、さらに収入を得られる仕組みになっています。」

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現在、奈良県の林業従事者の平均年齢は67-8歳。このままではいつか途切れてしまうという危惧から、約10年前に「ウッドバンク」の取り組みが始められました。
吉野銘木の会長、貝本博幸氏(奈良県銘木協同組合理事長)が目指すのは、職人の「多能工化」だと言います。
木のこと、山のことをより深く理解する林業従事者を育成するため、木の選定、出材、道を作り、そして建築的知識も備えた木のエキスパートを育てていくことをウッドバンクでは行っています。

良い木ばかりを伐っていては、次の時代につなぐ山が守れない。悪い木だけを伐ってもビジネスにはならない。どの木を残し、どの木を使うか。
間伐を行い、その時に必要な「適材」を使いながら、後世に山を残していくことが必要です。

「一旦、手をつけなくなった山は荒れて、再び復活させることは難しいです。継続的に山を綺麗にし、山を育て、そしてその山が水を作り、綺麗な水を街や地球に供給します。」
木を使うことも、自然循環の一つとなります。

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山の空気を吸って、大きく息を吸い込みました。

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「山を手入れしてくれていた人たちのおかげで、我々は今仕事ができている。」

人が守り、育てる吉野の山。
次回noteは、吉野銘木の製材工場見学に続きます。

text, photo by Michiko Sato

GOOD CYCLE PROJECTのキービジュアルは吉野の山林で撮影されました。
実際に山林の中に入り、自然の中に対峙する人間の姿。
そして、「循環」の根源には「水」があるということが、アートディレクターの古谷萌さんによりデザインされました。

淺沼組名古屋支店で建材として使用した吉野杉。端材はプロダクトとしてアップサイクルされ、現在マクアケにて応援購入が可能です。
収益は、吉野林業関係者と協議のうえ、持続可能な林業支援のために全額を寄付します。

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