シェア
朝見水葉
2023年5月1日 00:22
ウタの母には1人、小さな友達が居た。彼女の住む一軒家からは参道を挟み、斜向かいにある低層マンションに越してきた男の子だ。彼は、紫色をした帆布製のランドセルを背負っていた。それは市内にある私立学校の指定品だった。ウタも、いずれかは、その学校へと進学させる予定だった。しかし、ウタはもう居ない。水難事故だった。紋章のワッペンが付いた紫の鞄に名前を探した。見つけられたものが、持ち主の名を示していなくとも構
2022年7月1日 01:15
【華道家Aの場合・1】緑の森が遠ざかる。社用車の天蓋広告、人々の挿す極彩色のパラソル、街路樹に不向きな植物群が形作る並木通り。それらは、徐々に名前を失くし、緑系色に還元されていく。森は春風が運び損ねた枯葉すら、その時の森の色に引き込んでしまう。5階の高さを飛ぶ銀色の蝶を初めて見たと思った冬があった。それは、外気に踊らされた処方箋薬局の袋だった。水滴が、私の頭上から爪先までを引っ掻き損ねたように
2022年3月31日 22:57
新訳が出た。叔父の時代は終わったのだと思った。僕の実家は鰻屋だ。僕は素直に憧れた。怒ったトラたちが溶けてバターになったお池、フライパンを滑らかに広がる液状生地、弾ける気泡。 漂うその香ばしさが、歯触りを予期させる。少し蒲焼と似ているか。”虎達はますます怒りましたが、まだお互いの尻尾を離そうとはしませんでした。ものすごく怒っ た虎達は、木の回りを走りながらお互いを食べようとし始めました。そして、
2022年2月28日 13:57
トレンチコートは、穂都梨だけだった。110月、利人はスーツを新調させられた。彼と、化粧を済ませた穂都梨は、菓子折りを持って、1階にある呉服店の若女将を訪ねた。彼女は利人と穂都梨の住むマンションの大家でもある。女手一つで、息子を二人、国立大学へとやった彼女を、彼は尊敬しているのだった。そして、彼女は美しい。やや幸の薄そうで楚々とした佇まいに好感を抱いていた。彼女は、穂都梨にバッグと草履を無償
2021年4月29日 17:14
1 少女A、或いはB。少年A、或いはB。或いは。 僕は、最後まで少女Bの定期券区間を知ることは無かった。 ただし、JR線代々木駅の東口に用があっても、そのまま東口を使わないあたり、代々木は彼女のなにか最寄駅なのだろうとは思っていた。 ご存知の方も居るかと思うが、東口改札に続く階段は、西口御用達の予備校生に喧嘩を売っている。君たちには、悠長に階段を昇り降りしている余暇など無い