朝見水葉

小説、フェミニズム、ルッキズム、ユーモアに明るくなりたい今日この頃

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短編小説「きれぎれに、とぐろまいて」

1 昨日、牡鹿を狩った。おとといは兎、その前は鶉を。 早くしないと、妻が哀れでならない。私は初心者ではない。今日、鹿を捌いて喰いたい訳でもない。妻よりもデカければそれで良かった。 妻は、異教徒の祭りの夜、バスタブで死んでいた。一通の書き置きを私の書斎に残して。私は、妻の律儀さに頷いた。 妻は、私を試そうとしている。もうすぐ、妻が発注した寸胴鍋と、業務用の強アルカリ洗剤が届くはずだ。本当に融けるのだろうか。鶉から試そうか。とにかく、私は全うしなければならない。 私たち

    • 「蜜蝋部屋にて」

      「こちらα区警察署……発砲事件発生中。発砲事件発生中。近隣にお住まいの皆様、直ちに窓から離れ安全な屋内へ退避してください」 街道を遠ざかるサイレンの音が、いつも通り過ぎるだけで侘しいと思い始めていたところだった。救急車、消防車、火の用心、ガス工事。私は、即座に端末チェックは後回しと決めた。 かつて、この部屋の下見の際、仲介業者の担当者が言っていた。 「こちらの物件、この辺りでは珍しい低層住宅でして間取りも1DKと、おひとり住まいですとゆったりめかと。浴室と水廻りの設備は最

      • 短編小説「テンペラ」

        ウタの母には1人、小さな友達が居た。彼女の住む一軒家からは参道を挟み、斜向かいにある低層マンションに越してきた男の子だ。彼は、紫色をした帆布製のランドセルを背負っていた。それは市内にある私立学校の指定品だった。ウタも、いずれかは、その学校へと進学させる予定だった。しかし、ウタはもう居ない。水難事故だった。紋章のワッペンが付いた紫の鞄に名前を探した。見つけられたものが、持ち主の名を示していなくとも構わなかった。誰の、どの名前でも良い。ハンドバッグにはよくお揃いの名前が刻まれてい

        • 「燃える手で」

          1 胡蝶蘭に水をやる。友人の小宮へ開店祝いに贈ったのをその日、帰り際持って帰らされた鉢だ。ひと夏越したのだ。災禍の為、早々に経費節減を迫られた小宮は、繁華街外れにある最寄りの駅が路面電車の駅一つしかない神社の参道から少し外れた商店街に店を移して商売を続けている。商店街には高齢の店主が建物の2階を住居として使い、1階は趣味で開けているような店が多くあり、地域振興を妨げていると思う者が少なからず居たという。土地の所有者は息子娘世代に移りつつあった。彼らは、現状の建物を取り壊し、

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        短編小説「きれぎれに、とぐろまいて」

        マガジン

        • 散文「私、ミシマ、My daddy 」
          0本
        • 掌編
          6本
        • 習作
          8本

        記事

          「肉芽」

          1  上を向いて歩けば、そこらへ過去が転がっている。遠く爆ぜ、既に失われたであろう星々の光。圭は夜空に目を慣らそうと明るい画面を伏せた。滑走路から焦げついた臭いの風が流れてくる。貸した羽織物を返して貰うのを忘れた。圭は気が付く。機体の側面に並んだ窓のひとつひとつが橙色に灯り、圭へ魚焼きグリルを想起させる。誰もがこちらへ手を振っているように思うから、誰か一人目掛けて手を振り返すこともないだろう。ひとりひとり、律儀に見送るのは、馬鹿げているのかもしれない。私はいつどこへ帰るのか

          「肉芽」

          緑の森

          【華道家Aの場合・1】 緑の森が遠ざかる。社用車の天蓋広告、人々の挿す極彩色のパラソル、街路樹に不向きな植物群が形作る並木通り。それらは、徐々に名前を失くし、緑系色に還元されていく。森は春風が運び損ねた枯葉すら、その時の森の色に引き込んでしまう。5階の高さを飛ぶ銀色の蝶を初めて見たと思った冬があった。それは、外気に踊らされた処方箋薬局の袋だった。水滴が、私の頭上から爪先までを引っ掻き損ねたように滑っていく。 硝子の小箱は2基、すれ違いに昇降する。7階では新聞社の社員がなだ

          リハウスとパエリア

          夜は明るい。明るすぎる。それが、杉江が副業に抱いたおおよその印象だった。鍵盤から指を離して残響のチェックをする。見立てが狂う。浄水場の跡地に築かれた高層ビル群の半地下にある広場には、壁沿いに滝状の噴水が設けられており、それが花崗岩が生み出すはずの反響を和らげるのだった。街の歴史を水で紡ぐ。いかにも、近所のビルに社名のつく大手総合建設業者が考えそうなことだと杉江は思う。昼の職場の斜向かいの8割程を彼らは占めている。杉江は、弦楽器と管楽器を混和する。音の立ち上がりが後ろノリになる

          リハウスとパエリア

          「僕の叔父さん、勘八叔父さん」

          新訳が出た。叔父の時代は終わったのだと思った。僕の実家は鰻屋だ。僕は素直に憧れた。怒ったトラたちが溶けてバターになったお池、フライパンを滑らかに広がる液状生地、弾ける気泡。 漂うその香ばしさが、歯触りを予期させる。少し蒲焼と似ているか。 ”虎達はますます怒りましたが、まだお互いの尻尾を離そうとはしませんでした。ものすごく怒っ た虎達は、木の回りを走りながらお互いを食べようとし始めました。そして、もっと早く、もっ と早く走っているうちに、早く走りすぎて足すら見えなくなりました

          「僕の叔父さん、勘八叔父さん」

          短編小説「桜桃泥棒」

          トレンチコートは、穂都梨だけだった。 1 10月、利人はスーツを新調させられた。彼と、化粧を済ませた穂都梨は、菓子折りを持って、1階にある呉服店の若女将を訪ねた。彼女は利人と穂都梨の住むマンションの大家でもある。女手一つで、息子を二人、国立大学へとやった彼女を、彼は尊敬しているのだった。そして、彼女は美しい。やや幸の薄そうで楚々とした佇まいに好感を抱いていた。彼女は、穂都梨にバッグと草履を無償で貸してくれ、半襟まで縫い付けてくれた。振袖は、利人の妻が成人式に買い与えられた

          短編小説「桜桃泥棒」

          「谷口八重子は笑わない」

          1 「あんたんとこアルマーニとポールスミスばっかやろ」 真知子叔母さんは、私の勤め先をさして言った。 「女はあれやな、ケイト・スペード」 私たちは、開場時刻までを阪急メンズ館を周遊して過ごそうとしている。先月から、私はキング・クリムゾンを予習し始めた。国際フォーラムでの日本公演の為だ。銀座の百貨店へは行かない。叔母なりに気を遣ったのだろう。私は美容部員だ。デパートは、仕事の延長線上にある。正確には、去年の春まで、私は化粧品の接客販売に従事していた。しかし、5回分のボーナスで

          「谷口八重子は笑わない」

          短編小説「I hate Chopin」

          1 リエと明が会うのは、誰かの葬儀と結婚式、秋に親戚が集う芋煮会の時だった。彼らは、同い年のいとこ同士だった。明には妹が居たが、生後3ヵ月で死んでしまった。明が6才の時だった。明は、小さな棺から漏れ出る煙を見て、 「燃えちゃうの」 と両親に訊いた。母親は答えず、父親が煙ではなく冷気だと教えた。塊に触ろうとする明の手を父が掴んだ。 「火傷するぞ」 明は質問に疲れ、黙った。 「ドライアイスって言うんだよ」 横に並んだリエが明に言った。 明は、ドライアイスを知っていた。明は、改め

          短編小説「I hate Chopin」

          短編小説「盲腸線より南へ」

          1 その町は、県庁所在地から1時間程鈍行に乗り、本線と枝分かれした単線の終着駅が最寄りだ。国道を横切り、山道を南下すると桝井の妻、玲音が幼少時に過ごした町へと着く。発端は、些細ないたずらだった。冬、夫婦で生牡蠣を食べてあたった。2LDKに1つしかないトイレを占拠する玲音に憤った桝井は、公衆トイレから静かに帰宅するとトイレのドアをゆっくり叩き、音ひとつ立てないよう留意して出掛け、堂々と帰宅した。リビングで桝井を迎えるであろう玲音は怖がっているはずだった。 しかし、玲音は、 「

          短編小説「盲腸線より南へ」

          短編小説「ドロシー・イン・フラノ」

          打ちつける真夏の通り雨を拍動が幾度も追い払おうとしている。ミラは、略喪服の7分丈を捲り下ろした。後部座席からミラは、制服を着た壮年の運転手に祖父の面影を見出そうと空港から粘ったが、それはあまりにも難儀な話だった。運転手は、滑らかな手指に、華奢でひんやりとした質感の肌を持っていた。彼は、見渡しても誰もいない町道を交通違反の取り締まりばかり警戒し、信号を遵守、法令速度で走った。記憶の中の祖父、久は偉丈夫そのものであり、彼がポニーに並ぶと、それはいささか大きな極地犬のように見えるの

          短編小説「ドロシー・イン・フラノ」

          短編小説「うろんなふたり」

          1 受付の女が、やけに親切だった。 名前を告げると、立ち上がり、手鏡をくれ、ネクタイの緩みを直してくれた。栗田は、前髪を整え、サイドを耳にかけた。その女は、栗田の上着に洋服クリーナーを一通り掛け終わると、栗田を所長室へと通した。女は履歴書のコピーを取る必要があると言った。渡す時に見た桜色の爪が、いかにもデスクワークの人間らしいと栗田は思った。 栗田が大学院を中退したのは、2年前の冬だった。災禍のため実家からの仕送りが途絶え、奨学金も栗田にとっては借金にしか思えなかったか

          短編小説「うろんなふたり」

          短編小説「複眼」

          浜辺で金草履を片方見つけたと聞いた。懐中電灯が海を向けて置かれていたから間違いないと久我は言った。 久我は、日曜のミサを終えると司に手を引かれて僕の家へとやって来る。今日は、漁師の信徒からもらったマグロの目玉をジップロックに詰めてやってきた。茹でこぼしてから、生姜と砂糖と醤油で煮て冷やし、自分に煮凝りを食べさせろということらしい。夕食まで間に合うように、持っていってやろうとは思う。 司は、春に小学校へ上がるタイミングで僕が引き取った。仕事には困らなかった。地元の水産高校の

          短編小説「複眼」

          短編小説「プラネテス、アイキャンディ」

          今日もまた、やってしまった。 レンズの向こう側に、従順で、そこそこ有能そうに見える「女子大生」を送り出してしまった。 職業的微笑。 シャッターが切られるタイミングで、 「ウイスキー」 と、声無しに唱えると、それは不思議と出来上がる。スマイルの量産。女らしさとは。 秀でた額、艶のある肌に控えめにちょこんと乗った小さな鼻。三白眼で意志的な瞳の印象をふっくらとした頰が、和らげている。本当は、自分のアルバイト代だけで矯正した白い歯並びを見せつけたいのだけれど、歯を見せて笑

          短編小説「プラネテス、アイキャンディ」