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学ぶことの本質を探求する 〜0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書を読んで〜

とにかくタイトルは長いが、別称「現代の魔法使い」こと、落合陽一氏の著書2冊目のレビュー記事(称賛を込めて魔法使いの絵をトップ画像にした)。

前に書いた落合氏の書籍「働き方5.0」のレビュー記事はこちら。

前回の記事は主に働き世代を対象としていたが、今回は主に子どもと親の世代に刺さる本である。落合氏自身の親としての考え方も書いているのが珍しい。

今回は学校という枠に囚われない、学ぶことの本質を本書を借りて書くことにする。

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早期教育よりもだいじなこと

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前の著書を読んだ時も感じたが、落合氏は本質を捉えるのが非常に上手い。だから研究者としてやっていけているのだろう。

本書の前半は特に親世代の疑問に対すQ&Aである。そこで共感したところを書く。

プログラミングの早期教育は必要か、という問いに対して、落合氏は「プログラミングが目的化しては意味がない」と返している。それは、プログラミングがあくまで問題解決の手段(ツール)に過ぎないからである。

昨今はプログラミングができれば仕事に困ることはないという風潮があると感じるが、解決するべき問題が無ければ、ツールが充実しても宝の持ち腐れなのだ。

このように、目的と手段を履き違えないことが、教育ではだいじなことだと思う。

同じことで、英語の早期教育に関しても、目的化の傾向に警鐘を鳴らしている。自動翻訳の精度が高くなりつつあるのもそうだが、何に生かすかが不明なままでは、英語ができても意味はないのだ。

落合氏は、母国語の論理的言語能力を鍛えることを推奨している。特に、問題解決の道筋をロジカルに表現することに、英語も母国語も関係ない。

いずれも、日本では小学生からの早期教育が決定している教育分野だ。国家レベルで育成しようとしている分野とも言える。一方で、個人的には「なぜ学ぶ必要があるのか?」という根本的な問いをクリアせずに、何か踊らされているように感じている。

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文系か理系かは関係ない

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まず初対面で、文系出身か理系出身かを聞かれることがある。私はガチの理系出身(高専出身)だが、落合氏から見れば、特に意味のないことだそう。

文系と理系の両輪で進むことがだいじで、好き嫌いしないで学ぶことである。後に書く「リベラルアーツ」も同じことを指している。

要するに、文系・理系のフレームを外し、自分のポジションを取ることを考えることが重要なのだ。

例えば、自分のことを話すと、昔は国語の授業でエッセイを読むのが苦手だった。それが、今は自らブログでエッセイを書くことがある。

言うなれば、本業は理系的なポジションを取るが、プライベートはブロガー(収益は無いけど)として、文系的なポジションを取っている。

このように、自分から興味の輪を広げていけば、新しい経験や出会いが生まれるのだ。

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原点回帰してリベラルアーツを学ぶ

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この「リベラルアーツ」という言葉は聞き慣れないと思う。私も落合氏の著書を読んで初めて知った。

リベラルアーツという言葉は元々はギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持っています。その時代に自由人として生きるための学問がリベラルアーツの起源です。

大学という場に相応しい学問である。そして、リベラルアーツにテクノロジーを融合させるべき。これが落合氏の主張である。

リベラルアーツは抽象的な問いを対象としており、問題を提起する上では重要だが、解決手段としてのテクノロジーがセットでなければ、リベラルアーツもまた無意味な産物になってしまうのだ。

紹介した記事にも書かれているが、これまでの大学の教育方針は、専門性の高いスペシャリストを育てる傾向があり、専門以外は知らないという学生を量産していたのだそうだ。私もそのひとりだ。

私は高専という独特のカリキュラムの中で生きてきたので、実体験ではないが、高校の時点で文系・理系を分けてしまうのには少し疑問をもっていた。落合氏の主張のように、文理の両輪を追求してこそ、真に問題解決を図れる人間として成長できるのだと思う。

ただ、リベラルアーツは幅広い教養と深い考察力が必要な学問であるため、導入したところで一朝一夕で成果につながるとも限らない。今の学生たちがこのハードルを超えられるかどうかも疑問である。

しかしながら、これからの国際競争の中で、日本が一皮剥けて成長できるかどうか。リベラルアーツがその鍵になることは間違いなさそうだ。

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おわりに

今回は落合陽一氏の著書から、これからの教育のあるべき姿について書いてみた。他にも本書で扱っていることがあるのだが、書ききれないというのが本音だ。

ただ、落合氏の主張は一貫していた。様々な分野を経験することで、本質的で新しい問題解決が図れる人材になれるということだ。

なお、今回扱えなかった分野の話は、また別の機会に書くことにしたいと思う。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。実際は非定期ですが、毎日更新する気持ちで取り組んでいます。あなたの人生の新たな1ページに添えるように頑張ります。何卒よろしくお願いいたします。

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