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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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最高の相談相手は、もう一人の自分|出会えれば誰もがしあわせになれる場所

「自分がもう一人いたらいいのになぁ」

20年前の私はいつもそんなことを思っていたなと、ふと思い出しました。

「猫の手も借りたい」という意味ではなく、自分の相談相手として、私はもう一人自分が欲しかったのです。

当時、私の口から出るのはいつも愚痴ばかりで、周りの人に「相談」という形で話をした記憶がほとんどありません。

それは友人たちが頼りなかったわけではなく、私は昔から「自分に必要な答えは、結局自分で導き出すしかない」ということを知っていたんだと思います。


先月読んだ、喜多川泰さんの『賢者の書』

12年前にこんまりさんの「片付けの魔法」と出会い、「人生が変わった」と感じたことをキッカケに、私に「読書」という新しい習慣ができました。

読書の習慣ができると同時に、自分より一歩先行く素敵なブログと出会い、「ブログを読む」という習慣もできました。

そこには私と同じように数々の悩みを抱えている人が、そこから抜け出そうと懸命に学び、自分の生き方やモノの見方を変えようとしている姿が描かれていました。

「私だけじゃない! 私も変われる!」

恩師のような、先輩のような、同志のようなブロガーさんたちと出会い、幸せについて学び、「本当の本当の私」の声を聞き続けてきた結果、私はいま「幸せ」を手に入れることができました。

これまで出会ってきた本の著者さん、多くの発信者たちが、私にとっての賢者です。



映画監督・紀里谷和明さんの『地平線を追いかけて満員電車を降りてみた 自分と向き合う物語』を読みました。

「この物語は実話を元に創作したものであり、すべてが実践によって検証済みである。」

『地平線を追いかけて満員電車を降りてみた 自分と向き合う物語』

こんな言葉で始まるこの本は、

第1話成功したいあなたへ
第2話自分を好きになれないあなたへ
第3話やりたいことが見つからないあなたへ
第4話仕事がうまくいっていないあなたへ
第5話人生をあきらめかけているあなたへ

全5話で構成されており、それぞれ主人公と劇場支配人の対話形式で話が進んでいきます。

『賢者の書』と同じような自己啓発小説だと思い読み始めましたが、これはちょっと性格がちがう。

タイトルに「自分と向き合う物語」とあるだけあって、支配人が鋭い問いを投げかけ、とにかく主人公の持つ「モヤモヤ」を掘って掘って掘りまくる。

心に抱えた「モヤモヤ」を「モヤっとしたもの」として、けして放置しない。

その作業はとても面倒で、自分の見たくない部分、知りたくなかった部分とも向き合うことになり、主人公はみんな声を荒げながら「本当の自分」の気持ちに出会うまで深掘りしていくというお話。


支配人  あなたのように、心の中に言語化できないモヤモヤした気持ちがあるとします。でもそれを何もせず放っておくと、どんどんふくらんでいく一方です。それはまるで、金利がどんどん増えて行く借金と同じ。そして、その借金は、いつかは払わないといけないものなのです。

  払わなければいけない?別に、それって「たとえ」であって、実際のお金じゃないですよね。なのにどうして「払わなきゃいけない」なんて言えるんですか?

支配人  払わなければ、その借金は、あらゆる美しさを奪っていく。限りあるあなたの人生の、尊い美しさを奪っていくのです。  

『地平線を追いかけて満員電車を降りてみた 自分と向き合う物語』


この言葉を読んで、ただ読んだだけでなく、自分の生き方に当てはめて考えられる人は、世の中にどれだけいるだろうか?(noteにはたくさんいそうです)

もちろん、「こんな言葉は自分に必要ない」という人もいると思うけれど、

多分、本を読み始めたばかりの頃の私には、こうした文章と「自分自身」を重ねて読むことがうまくできなかったと思う。

支配人が次々繰り出す問いかけは、他人が書いた文章を、自分の人生と当てはめて考えられる感性?想像力?を持つ人にとっては、大きな大きな幸せのヒントになる。

主人公の立場がたとえ自分とかけ離れていたとしても、そこにあるひとつひとつの言葉と自分を結び付け、今の自分にとって必要な言葉(考え方)をピックアップして持ち帰るチカラ。

(このチカラって、「〇〇力」とかなんか名前ある?知ってる人がいたら教えてください)

賢者はいつでもどこにでもいるのだけど、このチカラを持っていないと、賢者と出会うのはなかなか難しいのかな?

このチカラを持っていさえすれば、目の前の相手はすべて賢者になり得るんだけどな。


私は自分の自由時間のほとんどを、

「何かを読んで、(良い意味でも悪い意味でも)ひっかかりを感じた部分について考察する」

って、ことに使っています。

文字にして書くと、めちゃくちゃ根暗で危ない人間にみえるかも(笑)

でも、これを何度も繰り返してきたことにより「〇〇力」が磨かれてきたと思うのです。

私は、幸せオタク。

人が書いた文章(本、漫画、ブログ、noteなど)を読んで読んで読みまくることで、その中に何かしらの「ひっかかり」を見つけ「考察」という名の「本当の本当の私」と向き合う作業をひたすら繰り返しているんです。

娘作「ミイコ専属の宇宙さん」

本の中での支配人の問いかけはすごかったけれど、目の前に「ひっかかり」をくれる文章さえあれば、このチカラを使って、何度でも支配人と主人公の2役を自分でやれる。

どんな読み物も、目の前の出来事も、常に感想文を書くつもりで考え、アウトプットを意識することで、考察はさらにはかどる!

自分に湧いてきたネガティブな感情も、落ち着きを取りもどしたところで全て検証・検証・検証!

これはサイコーに楽しいんだけど、やっぱり根暗だろうか?

だけど、どう考えても……

私はこの方法で、最高の相談相手としての「もう一人の自分」を手に入れた。


生きていれば何度となく不快な出来事や辛い出来事に遭遇するのだけど、この「もう一人の自分」がいれば、ネガティブな気持ちに支配される時間を格段に減らせます。

「一瞬いやなことは起こるけどいいことばかりが続く人生」

自分の心と向き合うって本当に大切なこと

こんな人生を手に入れられると、幸せオタクの私は心から信じています。


著者の紀里谷さんがこの本を通して最も伝えたいメッセージは、

「みんな」とか「世間が」とか、どうでもいい。あなたはどう思うんですか?あなた自身はどうしたい(どうありたい)んですか?

ということだと、私は受け取りました。

私はリアルな友人には、「幸せオタク」な私をほとんど見せていません。

話の節々でにじみ出る部分はあると思うけど、noteに書いているようなことを事細かに話す事はほとんどないんです。

それは過去の私が自己啓発やスピリチュアル的なことを「宗教みたいで怪しい!」と思っていたことや、「キレイゴトだ」とバカにしていた経験があったのと、実際に友人に生き方や在り方などの話をしたときに「あぁ、そっち系ね」と言われ、引かれたことがあったからです。

これに良い悪いはなく、友人はゲームオタク、私は幸せオタクであり、友人がゲームの話を私に振ってこないのとおなじこと。

今でも大切な友達です。

でも、自分が一番話したいことを話せる場所はあった方がいい。

以前noteに「キレイゴト」の話を書いたとき、「私はキレイゴト大好きだよ」「キレイゴトは”綺麗なこと”だよ」などのコメントをくれた方々がみえました。

キレイゴトが大好きな”本当の本当の私”を受け入れてくれるnoteという場所があることが、「もう一人の自分」の成長に大きな役割を果たしてくれていると改めて感じています。

記事にいただくコメントは、私にとって最上級の「読み物」です。

自分にはなかった新たな視点での意見がもらえたり、いただいたコメントへの返信を考えるだけで、1人では気づかなかったことに気づけたり。

私にとってnoteという場所は、支配人がいる劇場そのものと言えるかもしれません。


身近な人にはなかなか話せない事を「noteだから書ける」という人は、私以外にもたくさんいると思います。

「noteに自分の想いを書く」という行為は、まさに自分自身と向き合うこと。

笑われたり否定的な意見がほとんどこないnoteという優しい場所で、「私はこう思う。こうしていきたいんだ」という本当の自分の想いを発信すると共に、note記事や本など他の人の言葉に数多く触れていくだけで「〇〇力」は磨かれ、最高の相談相手としての「もう一人の自分」を誰もが持つことができると思う。



多分、この記事を読んで実際にこの本を読まれる方はそんなにいないと思うので、ちょっとド派手に #ネタバレ  します。

ネタバレすることにより「読んでみようかな」と思われる方が逆に少し増えるかもしれないので、ここ ↓ から少し #ネタバレ  します。





 

登場人物の支配人と主人公たちは、どちらも著者の紀里谷さんご本人です。

多くの苦悩を抱えた紀里谷さん自身が深く深く自分の内面と向き合ってきたことを、これでもかというくらい丁寧に綴っているので、とてもとても長い本になっています。

ネタバレしてしまいましたが、読み進めていくと本の後半部分で、支配人と主人公が紀里谷さんご自身であることに気づくことになります。

その時点で「紀里谷和明って、一体どんな人物?」と、とても興味が湧きました。

ググって色んな記事を読んでいくうち、この本の編集者 乙丸益伸さんのnoteが出てきました。

この本の制作過程で紀里谷さんの話に感化され、自分自身と本当に向き合ってしまった結果、部下の方が会社を退職されてしまったそうです(笑)

紀里谷さん(支配人)の言葉には、なぜそれほど人を動かす力が宿っているのか?

乙丸さんはこのように説明されています。

「紀里谷氏が、地獄的とも言える圧倒的な苦悩の中で、なんとか絶望せずに、ギリギリの状態でなんとか次の扉を開き続けた先に生み出された思想(思索の末の結論)だったから」

紀里谷和明氏の本を作ったら人生を無茶苦茶にされた話

他人から見れば、誰もが羨む成功者である紀里谷さんも、どこまで行っても「何者かにならなければならない」という強迫観念に支配されていた。

それを実際に乗り越えてきた紀里谷さんだからこそ書けた、心に響く言葉たち。


人生における成功を、何になるかに求める人は多い。

『賢者の書』

『賢者の書』第4の賢者は「何になるかではなく、どんな人間になりたいのか」ということの方がはるかに重要であると教えてくれました。

支配人は、「大きくなったら、何になりたい?」という、大人が子供たちによく投げかける質問を「ひどい質問」と、とても衝撃的なことを言いました。

大人になるまで何度も繰り返し聞かれるこの質問が、「何かにならなければならない」という強迫観念を子供たちに植え付けてしまうから。

「大きくなったら、どうありたい?(どんな人になっていたい?)」

こんな質問であれば、きっと子供たちの回答は職業ではなくなる。

私たちは何者になる必要もなく、たとえ世間的にみた大きな成功を手に入れることができなくても、「本当の本当の私」を取り戻すことで幸せを感じることができる。

そのために必要なのは、周りの雑音に流されず、自分の心と真剣に向き合うこと。

noteという、安心して自分の正直な想いを吐き出せる場所があることで、多くの人が自分と向き合うことができるようになるし、自分の想いを発信することにより、似た価値観の人に出会うことも可能になる。

その出会いが、更なる学びを運んでくれる。

この世界のどこかに、悩みを抱えた人の前に忽然と姿を現し
「出会えれば誰もがしあわせになれる」と言われる、
不思議な劇場が存在しているというー。

『地平線を追いかけて満員電車を降りてみた 自分と向き合う物語』


賢者や支配人だけでなく、不思議な劇場も、ここに確かに実在しているなぁと思いながら読ませてもらった、とても素敵な本でした。


”ほとんどすべてのことは内がわでおこるのに、
オイラたちには外がわしかみえないのって、
おかしくないか?”

『ぼく モグラ キツネ 馬』


人は、自分の体験と学問の範囲でものをいう。

『運命を拓く』


私自身が体験できる物事は、きっとそんなに多くありません。

より多くの人から学び、自分の内側と向き合っていくことで、外側に惑わされず「自分は幸せだ」と思える人生を創り上げていきたいなと思っています。

このnoteの街が「出会えれば誰もがしあわせになれる場所」と呼ばれるようになりますように♬




最後までお読みいただき、ありがとうございました。




ブログミュージックビデオ(BMV)「あとひとつ」

cover 誰か私に名前を。さん
illustration くーや。さん
movie ミイコ


ダレワタさんのオリジナルMV「幸せの境界線」

noterしちさんとの素敵なコラボ作品💕ぜひご覧ください♪

しちさんが描いてくれたお金ワクワクイラスト



(粘土作品&写真提供💛糸、ラムネ好き成りさん)




いただいたサポートは、夢の実現のために使わせていただきます 私の夢は 日本全国の学校・図書館に、漫画『宇宙兄弟』を寄贈すること https://note.com/arigatou_happy/n/n4b0d2854718c 一歩一歩かぺる(頑張る)しかない!(2023.3.21)