私が【宗教・自己啓発・スピリチュアル】を怪しいと思わなくなったワケ|企画参加 #一元観エピソード

みなさんが持つ、仮想通貨(暗号資産)に対するイメージはどのようなものでしょうか?

私は2年前まで「仮想通貨なんて詐欺じゃないの?!怪しい!」と、ずっと思い込んでいました。

でも今は自ら学んだことで、確かに怪しい詐欺コインも存在するけれど、ちゃんとした理念を持って生まれたコインには価値があがる可能性があり、それを支えるブロックチェーン技術はとても優れたものであるという認識に変わりました。

私が仮想通貨を怪しく思っていたのは、「知らなかった」からです。

怪しいと決め込み、ビットコイン誕生から数年間、それについて全く「知ろうとしなかった」からです。

思い込みにより「知らない、知ろうとしない」ということは、人生をつまらなくする、とても損なことだなぁと、この時とても強く感じました。

それと同時に、ヒトが創ったものに完璧なものはないこと、どんなものにもメリット・デメリットがあり、それを知ったうえで自分の人生に何を選び取り入れていくのか?

これをしっかりと自分で見極めていく事の大切さ、何事も自分に合ったバランスを考える事の大切さに、仮想通貨への怪しいという決めつけ、その後の学びを通して気づくことができました。



今日の記事は、ららみぃたんさんの企画 #一元観エピソード  に参加しています。

ジャッジをしたくない。
私はそう思っている。

人をジャッジする。自分をジャッジする。物事をジャッジする。そのジャッジをすることで苦しくなること、生きにくくなることがあるからだ。


(中略)


一元観とは、物事を白か黒か分けて考えずにいつでも中立の立場でいる事です。

二元観とは、常に自分の都合で物事や人に意味づけをするので不平不満が絶えず、状況が変化するたびに一喜一憂してしまいがちです。

ららみぃたんさんの記事から引用


元ジャッジ王の私にとって、これは大好物企画です♪

『今まで自分の価値観でジャッジしてきたけど、ちょっと見方を変えたらこんな風に世界は変わったよ的なエピソードを募集とのことで考えました。

今日はタイトルの……


私が【宗教・自己啓発・スピリチュアル】を怪しいと思わなくなったワケ


を、書いてみたいと思います。


山根あきらさんの企画 #理解はしてほしいこと  も、大好物企画でとても楽しく読ませていただきました。ありがとうございました!

前置きだけですでに1000字。

文章を短くまとめられないこんな私を、ひきつづき、理解”は”してもらえると嬉しいです😆



全5400字。続きを読んでいただける方は、お茶をどうぞ


私の母は、とある宗教団体に長いこと属しています。

父は母を1人の人間として尊重しているため、母自身が望んだその宗教に入信することを、けして反対はしませんでした。

ただ条件として、当時まだ子どもだった私たち姉妹を、その集まりに連れていく事だけはしないでくれと、約束したそうです。


以前ららみぃたんさんのこの記事を読み、芦田愛菜ちゃん主演の『星の子』という映画を観ました。


成長するにつれ、親が信仰する宗教の教えに違和感を抱きつつも、大好きな両親を信じたいと願う主人公の葛藤を描いた映画。

この映画を観るまで「宗教2世」という言葉を私は知りませんでしたが、父がもし母に条件をつけなかったら、私も「宗教2世」になっていたのかもな?と、ふと思ったのでした。


子どもの頃の記憶では、母はお祈り的なものをするたびに塗り絵みたいなものに色を塗り、ひとマス塗るたびに100円だったかを団体に寄付するということをしていました。

これはずっとではありませんでしたが、一時的にでもそんな光景を目にし、「お金取られてる。宗教ってヤバイ。ママは洗脳されている」と、ずっと思っていました。

また、時折聞かされる「素晴らしい教え」にも嫌悪感いっぱいで、私にとって「宗教は怪しい、洗脳される」という思い込みのキッカケになった出来事です。


宗教と同じで、自己啓発・スピリチュアルも、私にとっては「怪しい、洗脳される」といったイメージでした。

セミナーやセッション → 洗脳されて毎回高いお金を払わされるヤツだ。

しかもキレイゴトばっかり言って!! ヤダヤダ。

ずっと、そんな目線で宗教・自己啓発・スピリチュアルを見てきました。


子どもの頃も大人になってからも「洗脳されている」という「洗脳」という言葉を母に向けると、母はいつも「それはとても失礼な物言いだ!」と真剣な顔で怒ってきました。

私の母は、私の知るなかで、誰よりも「自分」というものをしっかりと持った人であり、何かにすがったり洗脳されるといったことからは、実は一番遠い人なのです。

私は母の子育てには共感できませんが、母の持つ誰にも支配されない自分軸、自分の考えをしっかりと行動で示し貫く生き方は、とてもとても尊敬しています。



「宗教=怪しい」という思い込みから、母をずっと「洗脳されている」とジャッジしてきましたが、しっかりとした自分軸を持つ母は、その宗教の教えの中から自分に合ったものを選び取り、ただただ自分の人生に取り入れてきただけなのだ、と、今は思っています。

そう思えるようになったのは、私自身がたくさんの自己啓発本やブログから学び、他人の言葉から今の価値観を確立してきたからです。

そして、現在の両親はとても幸せに毎日を過ごしているからです。

私の価値観、目指す生き方、私がnoteに書いていること、そのほとんどが誰かの受け売りです。

今まで出会ってきた名言から「これだ!」という自分に合ったものだけを選び取り、それらを少しずつ活かしてくることで、今の私の価値観が出来上がってきました。


私はホリエモンさんの語る言葉が好きですが、ホリエモンさんの「〇〇な奴はアホ!」とか言うような乱暴な物言いは好きではありません。

違和感を感じたり、その人の嫌だと思うところはマネせずに、自分にとって学びある部分だけを活かせばいい。

一人として全く同じ価値観の人はいないのだから、ある著者の1冊の本を読んでも共感できる部分もあり、できない部分もある。

「本当の本当の私」の声にいつも耳を傾け、自分が「これだ!」と思うものだけを取り入れていけばいい。


娘が書いてくれた「ミイコの宇宙さん」


自己啓発も、スピリチュアルも、そうやってイイトコドリで学んできた結果、「母もきっとこれと同じなのだ」と、洗脳されているという思い込み、勝手なジャッジは消え去りました。

私がこうしてnoteに自分の学びを書くように、自分が「これイイね」と思ったことは、やっぱり誰かに伝えたいと思うものです。

それは母も同じであり、「素晴らしい教え」を話してくることは今でもありますが、「宗教は怪しい」というジャッジを取り払って聞いてみれば、ちゃんとためになる共感できる教えもあるのです。


もし万人に共通する「素晴らしい教え」があるとするならば、それは「そこに愛はあるのか?」くらいなものかなと私は思っています。

宗教・自己啓発・スピリチュアル。

多くの人がその教えや、それぞれの想い・考え方を発信していますが、「その言葉に愛はあるのか?」ということだけは大前提に、あとはその中から自分に合った教えを選び取っていく。

「自分」というものをシッカリと持ち、他人に流されすぎることさえなければ、私にとってどれも怪しいものではなくなり、それぞれの教えは大きな「幸せのヒント」となる。

〇〇さんが言うことは絶対だ!

△△しなければ幸せになれない。

そんな「ねばならない」に縛られ、本当の本当の私に合わない行動をとることこそが、「怪しい」「洗脳」に繋がり、人の人生を狂わしてしまうものになってしまうのだと思う。


宗教に限らず、親から「ダメだ!」と言われてきたことは、それはダメなことなのだと、親の教えは”禁止のお札”となって今も私に貼りついています。

そのお札が「本当の本当の私」に合わないものだった場合、大人になってもそれに逆らうことは難しく、苦しみの種になる。

母の子育てに共感できない私は、子供が生まれてからそのお札にずっと縛られてきました。

母の価値観に逆らい自分のしたいと思う子育てをすることは、とてもとても大きな勇気とエネルギーが必要だったのです。

それを知っているからこそ、いま子どもを育てる親として、兄妹それぞれに合った声掛けはどういったものだろうかといつも迷います。



『もしも悩みがなかったら』

『夢を叶えるゾウ』の著者 水野敬也さんと、鉄拳さんのコラボ本。

夏休みの読書感想文用に、私が子どもたちに推薦した本です。

「僕」の隣には「悩美なやみ 」がいつもいる。

悩美は膨らんだり縮んだりしながらずっと隣にいて、苦しめるだけではなく「僕」を助けてくれる存在。

「どうして僕を助けてくれたの?」

それが『悩み』の仕事だから。

最後には、悩み(悩美)が愛おしくなってしまう本。


※絵本のような感じで10分ほどで気軽に読める、とても素敵な本です。Kindle Unlimited会員の方は無料で読めるのでぜひ♪


この本を一番最初に読んだ夫が、家族の前でひとこと感想を述べました。

「やっぱり悩みは、人を成長させるものだよね!」

我が家には、「悩み」というものを知らない、よく理解できない人間が一人います。

こちらの記事で紹介した「幸せの達人」である、下の娘です。

小5になっても「悩む」ことを知らず、その代わりに、いつもダラダラ好き勝手、空気読めない、イヤイヤ期の2歳児から「成長していない?」ような子です。

「悩みがないから〇〇(娘)は、全然成長しないのかー」と笑ったら、娘はこう切り返してきました。


「この本は間違っている! 私はすでに完璧で素晴らしい子なんだから、わざわざ悩んで成長する必要はない!!」


自分と全く違った「思い込み(大前提)」を持つ娘に、私はどのような声掛けをしたらいいのか?

私の価値観だけで娘をジャッジしていいものか?

「幸せの達人」である娘をこのまま潰さずに、できれば余計な”禁止のお札”を貼らずに達人のまま大人になってほしい。

でも、ちゃんとした方がいいことはちゃんとできる大人になってほしい。

それには、どんな声掛けがいいのか?

ちゃんとした方がいいことって何?

本当にちゃんとできなきゃダメなの?




娘作「うざぎ」



幸せについて10年以上学んできたからこそ、自分の娘が「幸せの達人」だと気づけたと思っています。

娘には「できないこと」がたくさんあります。

それが原因で、家族内でトラブルも起こる。

二元観で世の中を見ていた昔の私だったら、できないことだけを見て、宇宙人のような娘の素晴らしさに、まったく気づけなかったかもしれない。

何もいうことを聞かない娘に、ただただイライラしていたかもしれない。

でも今は、

親は一生懸命試行錯誤しているし、子供には親から受け継いだ価値観を自分流にカスタマイズする能力が備わっていると信じている。



『もしも悩みがなかったら』と共に、もう一つ推薦した本 きいすさんが教えてくれたTERUKOさん作 『さかさま』

隣り合う赤い星と青い星。

それぞれ楽しく暮らしていたのに、段々といがみ合い、争いに発展していく。

自分の信じるもの、大切な人を守るために生まれた戦い。

「ねぇ、何がいけなかったの?」

そう読者に問いかけてくるお話。


自分が「正しい」と思っていることは、ほかのだれかにとっても「正しい」の?


そんなキャッチフレーズのこの絵本。

(これもKindle Unlimited会員の方は無料で読めます)

一元観、ニ元観を学ぶのにピッタリのお気に入り絵本です。

ぱんだごろごろさんが書かれていた、三浦梅園さんの「反観合一」にも通じます。

自分とは逆の立場に立って、考えてみること。
それが「反観」である。
自分の立場から考えたことと、逆の立場から考えたことを、合わせて考えてみること。
それが「反観合一」である。

ぱんださんの記事から引用


絵本からの問いかけに、娘は一言。


話し合ってないからダメなんだよ!!


ちゃんとしていない娘っ子。大事なことは”ちゃんと”わかっていました。

『進撃の巨人』を思い出します。



「一元観」「反観合一」

ららみぃたんさんとぱんださんのnoteで初めて知りました。

こんな言葉があることも、こんなモノの見方があることも、30代で自己啓発本に出会うまで、全く知りませんでした。

私がこれを学んだのは『7つの習慣』。

「パラダイムシフト」で見方を変える。

「インサイドアウト」で自分の内側から変える。


色んな人が、色んな言葉で、幸せに繋がる「モノの見方」を教えてくれる。

怪しい、難しいと思わずに、まず知ろうという気持ちを持つならば、とっつきやすい入り口がどこにでもありそうですね!

私にとって宗教・自己啓発・スピリチュアルは、怪しいものではなく、「幸せのヒント」のひとつとなりました。

良いと思ったものはマネっこです。

逆に、感情的になるほどイラ立つコト、否定したくなる言葉に出会った時は、そこには「本当の本当の私」の心の傷が隠れているかもしれません。

まずは「知ること」「知ろうとすること」

そして、自分で考え選び取ること。

大事だなと思っています。

(おねがい)
もし、「〇〇教では、これを『〇〇』と言います。」というような言葉があったら、ぜひコメント欄で教えて下さい。知りたいです♪



最後までお読みいただき、ありがとうございました。



〆切は9月17日(土)23時59分まで。

ららみぃたんさん、ありがとうございました!



ブログミュージックビデオ(BMV)「あとひとつ」

cover 誰か私に名前を。さん
illustration くーや。さん
movie ミイコ


ダレワタさんの素敵な新作MV出ました!みてね(*^▽^*)


(粘土作品&写真提供💛糸、ラムネ好き成りさん)





















いただいたサポートは、夢の実現のために使わせていただきます 私の夢は 日本全国の学校・図書館に、漫画『宇宙兄弟』を寄贈すること https://note.com/arigatou_happy/n/n4b0d2854718c 一歩一歩かぺる(頑張る)しかない!(2023.3.21)