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シン・短歌レッスン

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#本歌取り

シン・短歌レッス111

シン・短歌レッス111

王朝百首

「若草の宮内卿」と言われた歌だそうで、雪斑の中に若草が萌え始めている様がなんとも美しいという。その作成年齢が15・6歳の頃で千五百番歌合で寂蓮の和歌に勝ちを得たということで話題騒然となった少女歌人なのだろうか?その素質は後鳥羽院にその才能を認められ俊成卿娘と切磋琢磨したという。わかりやすいと言えばわかりやすい歌なんだが。

NHK短歌

ぐっとくる瞬間 「日記」。選者岡野大嗣さん。ゲス

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シン・短歌レッス109

シン・短歌レッス109

王朝百首

今日から塚本邦雄『王朝百首』をやろうかなと。塚本邦雄の仮想敵藤原定家の『百人一首』はそれほどいい句ばかりでないと言うのだった。それは自分には判断出来ないが、塚本邦雄が言うことはけっこう支持されているのだ。良い悪いもある程度自分の主観になるから、その俳句観が分かるというもの。塚本邦雄も言っているのだが和歌の世界には積み重ねられてきた伝統があり、それをまず知っておく必要があるのではないかと

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シン・短歌レッス81

シン・短歌レッス81

古今集の和歌

鈴木宏子『「古今和歌集」の想像力』の続き。

「恋2」は小野小町の夢の和歌が最初に並ぶのだが、一目惚れして、夢・涙・死と詠む和歌と続いていく。死は、恋すると大げさになる有様で君に会えたなら「死んでもいい」というような気持ちだという。

紀貫之の歌は「白玉」だった涙が「唐紅」血の涙になったという大袈裟な歌。この頃は感情表現もオーバーだったのか?

藤原興風は覚えておいた方がいい歌人か

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『百人一首』から本歌取り

『百人一首』から本歌取り

短歌を詠んでもちっとも評価されない。素人がゼロから短歌を学ぶ方法は何かないものだろうか?そう思って初めたのが『百人一首』の本歌取りである。

まず本歌取りだが、定家の方法から引用する。

本歌取りの技法は、俊成・定家親子によって確立された。

古典的な美的世界を形成させる(幻想短歌)。本歌を取る場合は主題(恋だったら季節や雑詠)は変える。本歌の設定した世界の奥行きや溶暗(比喩的象徴性か?)する部分

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シン・短歌レッス78

シン・短歌レッス78

和泉式部の和歌

岩つつじの花が見つからなかったでイメージ。

「背子」は女性から親しい男性を呼ぶコトバで恋人とか夫の意味だという。背中の子だと思っていた。このコトバ自体が古語で和泉式部の時代でもあまり使われなかったという。平安時代は「ひと」が両方の意味で使われたという。今の「きみ」的使い方か?

古今集のこの歌の本歌取りだろうという。「岩つつじ」の歌はもう一首あって、そっちのほうがいいような。

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(旬杯短歌)「館姫と天使」

(旬杯短歌)「館姫と天使」

すでに「#しろくま文芸部」に出した作品ですけど、もともと短歌から生まれた詩なんで、もう少しブラッシュアップ(リライト)させて応募したいと思います。一応、短歌は『百人一首』本歌取りの手法を取り入れているので、その本歌と共にどうぞ。夏っぽくはないですね。

シン・短歌レッス76

シン・短歌レッス76

和泉式部の和歌

今日から高木和子『和泉式部』(コレクション日本人選)に入る。小野小町に比べると大人の女の歌だな。「黒髪」というと与謝野晶子の『みだれ髪』を思い出す。

和泉式部の和歌の本歌取りかどうかはわからないが、影響されたことはあるだろうな。他に定家も本歌取りをしていた。

ただ本家には敵わないな。「かきやりし人」が誰かいろいろ想像をたくましくするようだ。「恋三」でも小町とは随分違う。快楽の

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シン・短歌レッス75

シン・短歌レッス75

小野小町の和歌

この歌も『古今集』の「恋三」なのだが、七夕の歌だという。小野小町は情景の写生があまりないというか、それまでは夢の歌だからと思っていたが、この歌もそうだった。「秋夜長」を「秋の夜の名のみなりけり」というのは『万葉集』からの類歌だという。

上の歌は相聞になっている。

相聞で詠み人知らずなので民謡的な歌なのだろうが、小町は相手がいたわけでもなく、恋を妄想していたのである。同じような

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シン・短歌レッス74

シン・短歌レッス74

小野小町の和歌

この歌も『古今集』の「恋三」なのだが、「夜も来む」というのを「昼だけではなく夜も来よう」という意味で、この歌は昼間のうたた寝という。小野小町なら可愛いが、普通のおっさんやおばさんではけしからん歌だな。まあ、そういう暇な人こそいい恋が出来るのだということにして、まあ昼間からうたた寝していたら、そりゃ人も咎めるかもしれない。

ただこの歌は夢の中でも人目が咎めるという歌なんだ。どんだ

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シン・短歌レッス73

シン・短歌レッス73

今日の一句

ムクゲ。そうだ芙蓉とムクゲは似ているが夏芙蓉って、もしかしてムクゲのことかもしれない。夏芙蓉という種はないのだが中上健次の小説で印象的に取り上げられている。架空の花なんだけど、こういうのは面白いな。実際にない花を想像する。例えば冬紫陽花とか。

あと大江健三郎の「アナベル・リイ」のイメージしている花は「ノリウツギ」じゃないかと思う。家で薔薇には見向きもしないが「ノリウツギ」は目に止め

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シン・短歌レッス71

シン・短歌レッス71

今日の一句

再び梔子。けっこう気に入っているのだ。梔子の俳句は作れなかったから。

歌からのイメージなんだがイマイチだ。

これでいいか?川柳だな。

うたの日

お題「蛙」。
『百人一首』は

♪一つだった。なんか低調だ。投票しても反映されないし。なんかこのパターンが奈落だった。

小野小町の和歌

夢の歌二首目である。なんか可愛いな。最初は思春期頃だと思ったのにこの歌はもっと幼いような気がす

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シン・短歌レッス70

シン・短歌レッス70

今日の一句

再び川蜻蛉。川蜻蛉いいよね。その繊細さと儚さが。ウスバカゲロウみたいで。陽炎で詠めばいいのか?季重なりになるか?

陽炎だと春の季語で蜉蝣だと秋の季語になるという俳句のおもしろさ。カゲロウだからどっちつかずの夏の季語になる?

うたの日

お題「デニム」。
『百人一首』は

ジーンズの島に行ったときの想い出。どんまいだった。投票したのにな。どんまいは変わらないか?まあ、わからんと思う

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シン・短歌レッス68

シン・短歌レッス68

今日の一句

紫陽花と曇り空の写真は撮り飽きた。でも紫陽花の俳句はちっとも出来ない気がする。今日こそは傑作を作ろうと思う。俳句人生をかけた傑作というのを、ほんとかいな。やる気だけは満々。

先日の



はいいと思うのに、それがどうしてこうなってしまったのだろう。

凡人脱出を狙うのはいいかもしれないが、わざわざ狂人の句にする必要もないだろう。いくらゴッホが好きだって。もっと違う風に詠めないか?

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シン・短歌レッス67

シン・短歌レッス67

今日の一句

額紫陽花と山紫陽花は違うという話。日本に古来からあるのは額紫陽花でまた改良種として本紫陽花がある。山紫陽花は亜流だという話で混乱する。紫陽花は紫陽花だ。まあ額紫陽花は額紫陽花の方がいいのか?今日の一句。

額紫陽花に「額の花」というのもあった。

印象派を変える。絵の具、クレパス、クレヨン

ゴッホの紫陽花は黄色いか?

うたの日

お題「時」。「百人一首」本歌二十六番。

難しいな

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