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シン・短歌レッス75

小野小町の和歌


秋の夜も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを                       小野小町

この歌も『古今集』の「恋三」なのだが、七夕の歌だという。小野小町は情景の写生があまりないというか、それまでは夢の歌だからと思っていたが、この歌もそうだった。「秋夜長」を「秋の夜の名のみなりけり」というのは『万葉集』からの類歌だという。

秋の夜の長しと言へど積もりにし恋を尽くせば短かりけり  詠み人知らず

万葉集・巻十

上の歌は相聞になっている。

ある人のあな心なと思ふらむ秋の長夜を寝覚(ねざ)め伏すのみ  詠み人知らず

万葉集・巻十

相聞で詠み人知らずなので民謡的な歌なのだろうが、小町は相手がいたわけでもなく、恋を妄想していたのである。同じような「秋夜長」の歌は『万葉集』にも数多くある。『万葉集有』ではないが、『百人一首』で有名な人麻呂の歌も「秋夜長」の歌である。

『万葉集』の歌は、漢詩『芸文類聚』の七夕の項にある牽牛と織姫の歌だという。

「名のみなりけり」は業平の「都鳥」の歌にも見られるように、小町の妄想は文学的でさえあるのだ。

名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと  在原業平

それが『新古今』になると小野小町は古歌のアイドルとしてもてはやされ、凡河内躬恒などがその返歌というような歌を詠んでいることから、アイドル歌人としての小町の力量がわかるというものだ。

平成歌合

今日の「平成歌合」は女性歌人五番勝負から。当然小町も出てくるだろう。

(歌合五十一番)
春霞立つを見すてて行く雁は花なき里に住みならへる
春の空のこる心を薄墨に書きて帰るか雁の玉章(たまづき)

正比古の歌の本歌は

春霞かすめるままにかきすてて読みもとかれぬ雁の玉章  下河辺長流  

江戸時代の歌人の歌だった。どこからこんな歌を見つけてくるのだろう?

これは右の方は小町らしさがあるが上手いから正比古だろう。左は写生というか絵のような写生の『古今集』か?当たり。左は伊勢だった。伊勢も三十六歌仙の一人だった。女性歌人としては、小町、伊勢、和泉式部あたりかな。

(歌合五十二番)
命だに心にかなふ物ならばなにか別れのかなしからまし
終(つひ)とならぬ別れはあらぬものなれど知らに別るる人の悲しさ

詞書に源実(さねみ)との別れの場面での歌らしい。源実がわからんが、小町ではないな。左は素直な歌だ。右は達観しているので正比古だろう。当たり。左は白女(しろめ)だと。どういう人だ?白拍子の人なのか?

(歌合五十三番)
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢としりせば覚めざらましを
なづさへる夢の余波(なごり)の枕辺に人来人来とうぐひすの声

夢対決だからどっちかが小野小町なんだが、最初の方だな。右は複雑すぎる。小町は単純な歌の中に複雑さがあるんだよな。当たり。まあこれはやったから当然か。

(歌合五十四番)
今はとてわが身時雨にふりぬれば言の葉さへ移ろひにけり
移ろはぬものなき世よと思ひしが秋たけゆきてわが身時雨るる

「時雨」対決だけど「恋五」だから恋の終わりだった。左の方が直後という感じで、右は回想という感じか?左の方が素直なんで『古今集』かな。当たりだけどこれも小野小町だった。まだ「恋五」まではやってなかった。

この小町の歌は贈答歌で小野貞樹に宛てたもので、「今はとて」の裏に「秋はつ」という言葉が隠されているという。

今はとて秋はてられし身なれども霧立ち人をえや忘るる  詠み人知らず

『後撰集』

「秋」に「厭き」を掛けているのは小町から始まったという。「はて」は果ての意味で「死ぬ・終わる」。仏教で言う「厭離」だという。これは女体に溺れる男が欲望から遠ざかるの意味で、小野貞樹に取っては痛い言葉というわけだった。その小野貞樹の返歌。

人を思ふ心の木の葉にあらばこど風のまにまに散りも乱れめ

(歌合五十五番)
もえつきて末黒(すぐろ)の野辺のわが身にも角ぐむ春のまたもあらめや
冬がれの野辺とわが身を思ひせばもえても春をまたましものを

右はなんとなく記憶にあるような感じがする。野火の燃えるのを見て恋五だから、もえつきて「末黒(すぐろ)」っていうのも女子が使うかな?左正比古、右古今集。当たり。右は伊勢だった。この回は全勝。小野小町はやっている時だったからな。続いて春歌十番やるか?

(歌合五十六番)
年のうちに春は来にけりひととせを去年(こぞ)といはむ今年とやいはむ
年のうちに春来にければ佐保姫の霞の衣着なやして見ゆ

春上対決。新年か?上句はほぼ同じで下句が違う。左は対位法だが、現代人ぽい。右の佐保姫が古今集だろう。外れた。佐保姫とか出してくるとは、正比古は侮れない。左は正岡子規が「歌よみに与ふる書」で批判した歌だった。あまり上手いとは思わないよな。在原元方だった。洒落みたいなものだと。よくわからんが。

(歌合五十七番)
春の日の光にあたる我なれどかしらの雪とぞわびしき
春の日の光にあたる我なれど雪まろげなる身をぞわびしき

先程と同じで上の句は同じで下の句が違う。これは複雑な方が正比古なんだよな。左が古今集で右が正比古。当たり。左はやったかもしれない。文屋康秀は六歌仙だった。でも『古今集』では人気がなく4首しか取られていない(その内2首は息子疑惑。)。爺さんだからか?たまたまこの歌が爺さんだからと言って他も爺さんではあるまい。

(歌合五十八番)
谷風にとくる垂氷(たるひ)の水玉の巌根にはずむ春の産声
谷風にとくる氷のひまごとに打ちいづる波や春の初花

右は情景の見事さで左は音楽的なイメージか?産声はちょっと今ぽい感じがする。左正比古、右古今集。当たり。源当純は古今集に一首のみだがストラヴィンスキーが曲を付けていると。

(歌合五十九番)
春日野の飛火の野守出でてみよ今幾日(いくか)ありて若葉摘みてむ
今幾日待たば逢はなむ飛火野に若菜摘みと訪ふ少女子(おとめご)に

右は左を複雑にしたような感じだ。わざわざ少女子というのは野暮な気がする。若菜で暗示しているのではないのか?左古今集、右正比古。当たり。左は少女子の歌だそうだ。右はその少女を待ち構えている若者の歌だという。

(歌合六十番)
佐保姫のけふの衣はうすからむ霞のしたに雪の峰みゆ
春のきる霞の衣ぬきをうすみ山風にこそ乱るべらなれ

「佐保姫」は前に正比古は詠んでいるから二回詠むことはあるまい。左古今集、右正比古。違った。またもや正比古だった。佐保姫がそんなに好きなのか?「佐保姫」は春の女神。右も春の女神の衣が風に揺れているのを詠んでいるという。在原行平だった。

(歌合六十一番)
いやひけにみどりさし添ふ柳かな春の風にや糸のなびかふ
あさみどり糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か

柳対決。右のほうが観念的だ。新古今集風ではあるんだけど、古今集の時代は写生に徹したと考え左は古今集、右は正比古。違った。右は僧正遍昭。白玉に囚われたがこっちも写生だった。僧正遍昭は上手いな。六歌仙の一人だった。

(歌合六十二番)
桜花散らば散りなむ散らずとてふるさと人の来ても見なくに
ふるさとは人は来ずとも桜花月も千鳥も訪ひて愛づらむ

その僧正遍昭に贈った歌対決。情緒があるのは右だから古今集か。左はアイロニーの歌だから正比古。これまた違った。左は惟喬親王だった。この人は要注意人物なのだ。

(歌合六十三番)
いざ桜我も散りなむひとさかりありなば人に憂きめ見えなむ
ふく風にみながらあづけ桜木はいまをかぎりと花花と散る

桜対決。左は擬人法か右は写生だ。写生を古今集とたいのだが今まで外しているからな。左が古今集右が正比古。当たりだけど根拠がなかった。左は承均(そうく)法師で法師が詠みそうな歌ではあるな。右は「見ながら」「皆ながら」「身ながら」の掛詞。

(歌合六十四番)
たれこめて春のゆくへも知らぬまに待ちし桜も移ろひにけり
たれこめし君待ちぶるわが春のゆくへも知らに桜花ちる

これも桜対決。左の方が意味を汲み取りやすい。右は恋人を絡ませているから古今集か。左は正比古。違った。左は病気で閉じこもっている女性の歌だという。藤原因香(よるか)朝臣という女官の歌。右はその返歌だという。これは病気だという詞書がないとわからないよな。右が返歌だと分かれば自ずと答えが出るということか?

(歌合六十五番)
ひと春の花の命かぎりとて心にしませ春雨の降る
春雨の降るは涙かさくら花散るをおしまぬ人しなければ

またも桜対決。左の方がわかりやすい。右は人が死んだのか?左が正比古右が古今集。当たりだが「しなければ」「などいない」というような意味だった。「し」は強調の意味だった。ほとんど全滅に近いな。難しすぎるから、「うたの日」もやる気が失せてしまったではないか?それは言い訳か?

うたの日

「七夕にかける願い」どうせダメ元だから難しい題の方。
「百人一首」は

契りきなかたみに紐を結びつつ時の栞に夢一夜待ち

♪二つのコメント一つ。やっと「百人一首」だと認知されたようだ。

映画短歌

映画短歌は『川っぺりムコリッタ』。

『百人一首』

七夕の願いの心ムコリッタ今はものを思はざりけり

自分で書きながら意味がつかめん。願いはムコリッタの他は無心みたいな気持ちか?

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