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シン・短歌レッスン

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外部からの批評に短歌はどう答えたか?

外部からの批評に短歌はどう答えたか?

『現代短歌史〈2〉―前衛短歌の時代』篠弘

戦後短歌は外部からの批評に晒され、戦後世代が育っていく。とくに若い世代が学生短歌として活躍してくるのだが、その中に岡井隆や塚本邦雄が登場してくる。さらにいままでの結社ではなく、ジャーナリズムから『短歌研究』の編集者中井英夫が中条ふみ子や寺山修司を発掘する。

「乳房喪失」は短歌研究新人賞の第一回受賞で中条ふみ子の登場でそれまでの女流歌人とは違った女性歌人

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シン・短歌レッス128

シン・短歌レッス128

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』をまた借りてきたので、再開。藤原秀能も初めて聞くような名前である。藤原家はみんな一緒のような気がしてくるが。

新古今和歌集で出てきていた。全く覚えてなかった。

『新古今集』の春歌上で後鳥羽院が選定したが、藤原定家は凡作とけなしていたとか。山辺赤人の歌と比較されたようだ。

濃い授業があった。このぐらいやってくれれば和歌も覚えるかも。

藤原定家と後鳥羽院の仲違い

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シン・短歌レッス127

シン・短歌レッス127

 珠玉百歌仙

塚本邦雄『王朝百首』は予約されていたので、とりあえず返却して代わりになる本を探したところ『珠玉百歌仙』はその続編のようなアンソロジーだと本人が書いている。

この百歌仙は和歌の韻文に重きを置いたとある。塚本邦雄は藤原定家『百人一首』の批判から『王朝百首』を編纂し、さらにそれ以後もそうしたアンソロジーが並んでいく。

それは定家『百人一首』の形を借りた本歌取りではないかと思うのである

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外部からの批評を受け止めた短歌と受け止められなかった俳句の違い

外部からの批評を受け止めた短歌と受け止められなかった俳句の違い

『短歌研究 2024年3月号』

短歌雑誌は作品を丁寧に読もうとすると時間がかかる。まだ好きな現代短歌作家がいないから一応全部に目を通すようにしているのだが、難解漢字や古語が出てくるとめげてしまう。せめてルビが欲しい。まだ短歌は若い人がいるから面白い作品もあるのだが。今月号では、北山あさひ「うるせえドライヤー」が面白かった。正月に地震があった能登特集は、あまりぴんと来なかったが、松本清張の『ゼロの

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シン・短歌レッス126

シン・短歌レッス126

 王朝百首

花は桜だとすると雁は季重なりなのだが、和歌は関係ないのは、むしろその対比によって歌の本意を示しているからだろうか?帰雁しない春の雁。そして塚本の詩では夕桜と見ている。和歌が恋の歌ならば夕闇から曙まで待っていても音沙汰がなかったということか?そして曙に恨みの文を渡してねぐらに帰るのか?

西行

辻邦生『西行花伝』から。

「十二の帖」
西行の歌の師匠藤原為忠の四兄弟は西行と親友なのだ

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シン・短歌レッス125

シン・短歌レッス125

 王朝百首

「やなぎさくら」は柳とさくらなのか?枝垂れ桜を「やなぎさくら」と称しているのか、よくわからないが、塚本邦雄は詩でやなぎとさくらをそれぞれ別の色に喩えているから柳と桜なのだろう。素性法師という風狂な人だから桜より柳が最初なのかとも思う。どちらも街路樹としてよりもやはり庭木なんだろうな。広大な宮廷の庭がにしきなりけるというような。

齋藤史

梯久美子『この父ありて』から。

史が198

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シン・短歌レッス124

シン・短歌レッス124

王朝百首

「やなぎさくら」は柳とさくらなのか?枝垂れ桜を「やなぎさくら」と称しているのか、よくわからないが、塚本邦雄は詩でやなぎとさくらをそれぞれ別の色に喩えているから柳と桜なのだろう。素性法師という風狂な人だから桜より柳が最初なのかとも思う。どちらも街路樹としてよりもやはり庭木なんだろうな。広大な宮廷の庭がにしきなりけるというような。

NHK短歌

NHK俳句の第4週は句会で面白いのだけど、

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シン・短歌レッス123

シン・短歌レッス123

王朝百首

紀貫之の歌は情緒よりも理知的な部分があるという。それがあえて「水無き空に」とことわる部分であろうか?「なごり」は「名残」より「余波(なごり)」であるという。「天のさざ波」が「あった花」ではなく「失われた花」の幻想という部分は塚本邦雄らしい解釈か?つまり華やか日々を回想しているという情況なのだ。それが理知なる言葉で歌を構築していく紀貫之の言葉。

NHK短歌

吉川宏志も今月で終わりだっ

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シン・短歌レッス122

シン・短歌レッス122

王朝百首

紀貫之の歌は情緒よりも理知的な部分があるという。それがあえて「水無き空に」とことわる部分であろうか?「なごり」は「名残」より「余波(なごり)」であるという。「天のさざ波」が「あった花」ではなく「失われた花」の幻想という部分は塚本邦雄らしい解釈か?つまり華やか日々を回想しているという情況なのだ。それが理知なる言葉で歌を構築していく紀貫之の言葉。

西行

辻邦生『西行花伝』
「五の帖」、

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シン・短歌レッス121

シン・短歌レッス121

王朝百首

西行の影響にある武人歌人。ただ七十過ぎまで歌壇に居続け、敗走したというのは武人としては情けないのではあるまいか?歌は単純明快、質素剛健という感じか?

西行

辻邦生『西行花伝』
「三の帖」、藤原秋実が西行の親友の僧西住から母を無くしてから鳥羽院の北面の武士になるまでの経緯を語る。

西行は西住と知り合い母の喪失の悲しみを自分本位のものとして反省する。そして流鏑馬の極意を教えた源重実を

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シン・短歌レッス120

シン・短歌レッス120

王朝百首

俊成卿女は新古今時代の代表的女性歌人。子規内親王を別格とすれば俊成の孫にして養女、藤原定家の姪に当たる歌系。後鳥羽上皇も『新古今 恋二』の最初に置いた歌人でもある。

王朝百歌の歌は過ぎ去りし恋の思い出なのか?塚本邦雄は月が好きだな。ディオニソス的な幻想世界なのではないかと思う。アポロ的詩とは対極の。

西行

辻邦生『西行花伝』
「一の帖」、藤原秋実が西行の生まれ故郷紀の国の乳母(9

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芸人短歌より短歌批評が面白い

芸人短歌より短歌批評が面白い

『短歌研究 2024年2月号』

今年から短歌雑誌を読んでいるのだが『短歌研究』がいいところは「作品季評」があるところか。文芸誌には『群像』に月間合同批評があったのだが、最近読んだら無くなっていた。合同批評はそれぞれの歌論があるのでそれを突き合わせていく面白さ。例えば、今月号だったら佐佐木幸綱という重鎮と大辻隆弘と今野寿美という中堅では短歌観が違う。そういうところで現代短歌の新作を読んでいく。勉強

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シン・短歌レッス119

シン・短歌レッス119

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。坂上是則。紀貫之が催す歌会。庭園の小川に盃を浮かべてそれが回ってくる間に一首詠むという歌会で漢詩の題詠は「月入花灘暗」。落花を浮かべて急流を下る、三日月も山の影に隠れようとしているの意。望月だったらもっとはっきり見えたのにの意味か?

NHK短歌

これ初心者コースだったとは。かなり内容が濃かった。情景を変えてしまう言葉を一つ入れて短歌をつくることで別世界に連

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シン・短歌レッス118

シン・短歌レッス118

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。小侍従。

春は朧月で詠めるんだ。春は朧で秋は霞。違った春も霞だった。秋は霧だという。こういうのはどっちでもいいのにと思ってしまう。朧で春の意味があるのか?

小侍従は平安後期から鎌倉時代の花形女性歌人だそうだ。名月も随分読んでいるが「待宵の小侍従」と呼ばれたのは以下の和歌から。

掲載歌は最晩年の作であり保元・平治の乱の乱に青春を過ごした無常観が出ているとい

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