マガジンのカバー画像

シン・短歌レッスン

147
運営しているクリエイター

2023年2月の記事一覧

シン・短歌レッスン28

シン・短歌レッスン28

葛原妙子短歌

葛原妙子は短歌を否定的な面よりも肯定的な面を見ていた。それが斎藤茂吉の短歌への寄り添いなのであり、人生を肯定的に戯れ短歌も必要だとしたのだろう。「さねさしの」と枕詞になるのは、相模の海でヤマトタケルを身を投げて救ったオトタチバナヒメ伝説の和歌を踏まえている。

模範十首

山田航『桜前線開架宣言』より「花山周子」。歌人一家の三代目だがその言葉の奇抜さは指折りである。

花山周子の歌

もっとみる
シン・短歌レッスン27

シン・短歌レッスン27

裏庭の梅。紅梅と白梅があるのだがよくわからないな。昼間はほとんど写らないから夜間にフラッシュ撮影してみた。でもいい感じか星のようだな。

今朝の一句出来なかった。

葛原妙子短歌

葛原妙子に「幻視の女王」とキャッチコピーを付けた塚本邦雄だが、これまで述べられてきたように塚本の理念としての前衛短歌と塚原妙子の身体的幻想短歌は随分違うのだ。

葛原妙子の場合戦時や戦後の自身の身体の記憶から発する理念

もっとみる
シン・短歌レッスン26

シン・短歌レッスン26

河津桜の定点観測。裏庭の梅より早いんだよな。でも桜が咲くと浮かれれてくるな。研ナオコの「ラ・ラ・ラ」が聞きたくなる。

今朝の一句。

葛原妙子短歌

葛原妙子に「幻視の女王」とキャッチコピーを付けた塚本邦雄だが、これまで述べられてきたように塚本の理念としての前衛短歌と塚原妙子の身体的幻想短歌は随分違うのだ。

葛原妙子の場合戦時や戦後の自身の身体の記憶から発する理念よりは直感的な実存感であり、そ

もっとみる
シン・短歌レッスン25

シン・短歌レッスン25

ほんと春の陽気だった。今日も部屋掃除で買い物ぐらいしか出かけられなかったが、吟行に行きたいな。これは木瓜だと思う。木瓜の花で晩春の季語。ぼけが惚けに通じるから縁起が悪い花だったとは。惚けてもいいじゃないか。

葛原妙子短歌

葛原妙子とキリスト教の関係は、娘の洗礼と共に始まるのだが娘が洗礼名を得ることは、自身の母性を揺るがす出来事であったようだ。それは親離れとも言えるがキリスト教の場合敗戦と共に日

もっとみる
シン・短歌レッスン24

シン・短歌レッスン24

春めくだな。今日は先人の句から。

句跨りもいい感じで、読んだ後にもう一度繰り返したくなる句だった。安倍みどり女(じょ)といふ。

葛原妙子短歌

葛原妙子が男たちから求められた魔女性にしろ母性にしろそれは女をカテゴリー化する男の視線でしかなかった。葛原妙子の女性性である原不安という核戦争後(ヒロシマの原爆投下)やホロコーストでの無神論的不安にまとわりつくものだった。

葡萄とは旧約聖書に書かれて

もっとみる
シン・短歌レッスン23

シン・短歌レッスン23

夕方撮ったからピンボケだ。

葛原妙子短歌

今日も川野里子『幻想の重量』から。

葛原妙子と塚本邦雄ら前衛短歌の分岐点について。塚本邦雄と比べた場合だが、同じ幻想短歌でも葛原妙子は生の謳歌を詠っていが塚本は否定的なニュアンスが強い。それは同じ斎藤茂吉を捉えるにしても葛原は茂吉の歌をそのまま生の讃歌として捉えるが、塚本の場合茂吉に浪漫的象徴性(それは現実世界というよりも茂吉の理念としての幻想世界と

もっとみる
シン・短歌レッスン22

シン・短歌レッスン22

葛原妙子短歌

今日も川野里子『幻想の重量』から。

葛原妙子は「女人短歌会」の男性歌人らの批判に対して真っ向から受けて立っていたようで、戦後の女歌が思想性もなく浪漫主義に走っているという批判を、戦争体験が与謝野晶子の時代とは違って女性は身体的に影響を被っている。例えばシングル・マザー問題とか女性が生きていくためには身体性を犠牲にするとか。その中で歌の中にある幻想へと向かうのは必然でありそれは古来

もっとみる
シン・短歌レッスン21

シン・短歌レッスン21

葛原妙子短歌

今日も川野里子『幻想の重量』から。

葛原妙子の歌風は最初からあったわけでもなく、疎開体験と短歌結社の中に目標とする先輩がいたということだった。その先輩倉地與年子の影響の元で出版されたデビュー歌集が『橙黄』だ。

第三歌集『飛行』も「女人短歌会」を通して横の繋がりとして、森岡貞香と中城ふみ子の影響があった。それは、葛原妙子がほとんど孤高の女王だと思っていたのだが、同時代の歌人らと相

もっとみる
シン・短歌レッスン20

シン・短歌レッスン20

葛原妙子短歌

今日も川野里子『幻想の重量』から。

葛原妙子の歌風は最初からあったわけでもなく、疎開体験と短歌結社の中に目標とする先輩がいたということだった。その先輩の短歌に近づこうとして、代表作もうまれたという。その先輩、倉地與年子「ねがへれば又きこえてくる纏綿(てんめん)の鐘よ足ら乳の母のおもひ」の一首は米兵の戦争花嫁が子供を産むのに反して日本は産児制限が起きる(生活の為?)「奔馬」とは米兵

もっとみる
シン・短歌レッスン19

シン・短歌レッスン19

葛原妙子短歌

今日も川野里子『幻想の重量』から。

「水かぎろ」は「水の中の陽炎」。二句切れ。「依らむものこの世にひとつなしと知る」と一気に読み下す。負け戦の戦時に頼るものがなかったという焼け野原。葛原妙子はお嬢様育ちなのだがそれでも戦時・敗戦の苦労は並のものではない。ただ人とはちょっと違う苦労なのだ。例えば夫(医者の家系)から鬼畜兵がやってくるからいざと成ったらこの薬を飲みなさいという劇薬を渡

もっとみる
シン・短歌レッスン18

シン・短歌レッスン18

公園の河津桜定点観測。まだ満開ではないけど。河津桜も幸福時代を思い出してしまって、あまり好きじゃないんだが。伊豆の旅館の閑散期というので安い招待券が来るのだったが、温水プールとか貸し切り状態で、なんか冷え切っていた頃だったな。河津桜で一句。中七だな。

たいして意味がなかった。チェリー酒だったんだ。その旅館で食前酒として出していたのは。もう一つだな。

下五が字余り、梅干しはいらんかな。

生意気

もっとみる
シン・短歌レッスン17

シン・短歌レッスン17

川面に映り込むビルが綺麗なんだな。曇り空だからだろうか?写真は撮ってみなければわからない。

葛原妙子短歌

今月は葛原妙子にするか。「幻視の女王」。塚本邦雄『百珠百華』という葛原妙子の百首鑑賞本があるという。『ねむらない樹vol.7』の「葛原妙子特集」だったのだ。

この短歌は一時空けのテクニック。二句切れ。短歌の韻文は五七五七のリフレインという話を聞いた。確かに俳句は切れが一つ入ると良くなるが

もっとみる
シン・短歌レッスン16

シン・短歌レッスン16

西行和歌

『宮河歌合』は、全て西行の歌を右左に分けて判を下したものだった。それを神社に奉納したということなのか?その前の『御裳濯河歌合』も西行が自分の歌を二手に分けて俊成に判を仰いだものだった。ややこしい。最初に説明してくれなきゃわからん。

短歌俳句十番勝負

今日も、穂村弘X堀本裕樹『短歌と俳句の五十番勝負』から。

穂村弘の世紀の変わり目を「石鹸」で比喩するところがさすがという感じだ。新年

もっとみる
シン・短歌レッスン15

シン・短歌レッスン15

カブトガニの映画も見たいけど余裕がない。配信待ちか。

シン・短歌レッスンも遅れ気味になっていた。毎日投稿するところを探した方がいいのか?そうすると短歌ばかりに追われて他のことが出来なくなる。悩ましい問題だ。

西行和歌

そろそろ西行の和歌にも飽きてきたところだ。これも釈教歌。新古新収録。その時の並びが凄いということなのだが、他の和歌を紹介するのも面倒だった。西行は辛気臭い和歌だということかな。

もっとみる