シン・短歌レッスン16
西行和歌
『宮河歌合』は、全て西行の歌を右左に分けて判を下したものだった。それを神社に奉納したということなのか?その前の『御裳濯河歌合』も西行が自分の歌を二手に分けて俊成に判を仰いだものだった。ややこしい。最初に説明してくれなきゃわからん。
短歌俳句十番勝負
今日も、穂村弘X堀本裕樹『短歌と俳句の五十番勝負』から。
穂村弘の世紀の変わり目を「石鹸」で比喩するところがさすがという感じだ。新年は穢を落とすことでもあるから清めの儀式は大切だ。猿逃亡のニュースの俳句もいいのだが、やはり世紀の変わり目の方が重大ニュースのような気がするので短歌の勝ち。
犍陀多は『蜘蛛の糸』の主人公。それが適性検査というのは面白いと思うが、「犍陀多(かんだた)」をまず読めないのですでに不適なんだろうな。厳しすぎないか?
「瓜番」を「爪番」と読んでしまって、これもすでに適性から外れるな。そしてなんと高浜虚子の正岡子規を揶揄っている俳句「先生が瓜盗人でおほせしか 高浜虚子」。俳句の適性も問われているのである。これは俳句の勝ちかな。
穂村弘の短歌からは小津安二郎の映画『浮草』を思い出した。それだけ短歌の勝ちかな。
「船虫」が「舞台」というのはわかりにくい。「船虫」の逃げる性質が舞台からサッと立ち去るようだという自説。
「楕円」は後藤明生の「楕円論」というのがあって、性格な円よりも楕円として生きる方が面白いというようなことだったか?
「猫パンチ」されたぐらいでほっぺが腫れ上がるのは余程のことだな。楕円軌道で星が見えているのだから漫画的。
俳句は、胡瓜漬けより茄子漬けだと思うのだが、字足らずになってしまうからか?両方とも決定打がなく、ひさしぶりに「持」。
「歌う」は期待したが穂村弘はネガティブ短歌だった。そういう意味では、堀本裕樹もネガティブ要素はあるが頑固爺さんがいる家庭ではありそう。ケーキより、肉の方が嬉しいかも。よって俳句の勝ち。自説によるとこの「スキヤキ」は坂本九の「スキヤキ・ソング」だった。上手い!
壇蜜の出題。森鴎外に「安請合」という小説があったと思った(『普請中』だった)。「銀河革命体操」というのは見てみたい。名前の割には安っぽいのかな?
俳句の方は「鎌風」が効いている。安請合っぽい住宅が想像できるので俳句の勝ち。
短歌は意味がわからん。姉妹で土手のようなところで読書していて寝入ったらしい。
俳句の方はいいんだけど「おいてけぼり」なのを「おいてきぼり」に変えてしまった。これはいかんだろ!よって「持」。
「觔斗雲」が悟空に忖度しているということだった。なかなか難しい歌だが「忖度」の曖昧さが雲のようでもある。
そのままの「忖度」の歌だがありきたりかな。自説だと「忖度」をいい意味で使っているという。でも最近は悪い方に取るよな。短歌の勝ち。
短歌は「共謀罪」を逆にポジティブに捉えていて面白い。俳句は当たり前すぎるか?よって短歌の勝ち。
これは短歌は当たり前の情景すぎるけど、俳句の「熊楠」は斬新だった。熊楠だったら「ぴょんぴょん」だ。
自作短歌
今日は映画短歌作ろうと思ったのが俳句の方で作ってしまった。そして、節分という割りと俳句では季節が変わる重要なイベントがあるのだ。恵方巻は敬遠したいけど。豆まきで、歳の数だけ食べる風習が年寄りはキツイなと思ってそれを短歌にしたいのだった。
このぐらいか?
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