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シン・短歌レッスン25

ほんと春の陽気だった。今日も部屋掃除で買い物ぐらいしか出かけられなかったが、吟行に行きたいな。これは木瓜だと思う。木瓜の花で晩春の季語。ぼけが惚けに通じるから縁起が悪い花だったとは。惚けてもいいじゃないか。

呼び出しはわかりませんわ木瓜の花

葛原妙子短歌


葛原妙子とキリスト教の関係は、娘の洗礼と共に始まるのだが娘が洗礼名を得ることは、自身の母性を揺るがす出来事であったようだ。それは親離れとも言えるがキリスト教の場合敗戦と共に日本で流行したという。新しい民主主義はキリスト教精神のり影響下にある。日本的なものの敗北が敗戦ということだった。それは前衛短歌運動の塚本邦雄とも共通するものだった。

キリスト教が敗戦後に現れた継母としてのマリアは、葛原の母性を揺り動かす。それは観念であるよりも身体的なことであるのかもしれない。それは「攫ふ(さらう)」という言葉に現れている。「さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ」という声は祈りというより呪いの声のように響いたのであろう。娘世代との断絶がそこにあるのだ。戦時を生きてきた母世代
と戦後世代の断絶が木霊するのである。

葛原妙子はまた母の愛情を知らずに育った。それは自らの内の母性との葛藤を絶えず抱いていたのではないか。そしてマリアの慈悲深さというよりもキリストを奪うという母性としてのマリア像の中に神への反感も抱いていた。キリストに対する欲望をピエタ像の中に見出していたという葛原妙子なのであった。

模範十首

山田航『桜前線開架宣言』より「兵庫ユカ」。山田航がいうには現代短歌随一の言葉の刃が鋭い歌人だそうだ。憧れる。

遠くまで聞こえる迷子アナウンス ひとの名前が痛いゆうぐれ
どの犬も目をあわせないこれまでもすきなだけではだめだったから
まよなかのメロンは苦い さみしさをことばにすれば暴力となる
でもこれはわたしの喉だ赤いけど痛いかどうかは自分で決める
使い方まちがわれてる駒のようにだれもわたしと目を合わせない
ほころびてゆくだけだからおとなでもさいしょの音をいつもこわがる
人形が川をながれていきました約束だからみたいな顔で
植木鉢抱えて生きる 友だちでいるというこの土だけの鉢
鳩尾に電話をのせて待っている水のなかふねなのかおまえは
砂時計打ち砕いたら砂まみれわたしがいてもいい場所はない
七月の心臓としてのアボガドの種が小さなカップで光る

兵庫ユカ『七月の心臓』

迷子アナウンスは子供ばかりじゃないんだよな。老人が迷子になっていた。
この犬たちは保健所か保護犬の犬かもしれない。
真夜中にメロンは食べたことはないが、一人で食べるメロンは苦そうだ。
「痛いかどうかは自分で決める」がキラーフレーズのようだと山田航君は言ってます。
こういう経験はある。目を合わせられても困るけど。
よくわからない短歌だけど大人でも怖がる音ってなんだろうかと考えてしまう。
精霊流しだろう、たぶん、それ以外で流れている人形は怖い。
植木鉢の短歌めちゃ哀しい感じ。それだけの土って。
砂時計のイメージは絶えずある。砂を噛まされている感じ。
アボガドの種でやったことがある。いつの間にか忘れて腐っていくんだよな。

俳句レッスン

図書館に行ってないので俳句本がないのだ。だから今日は俳句レッスンはなし。しかし俳句はいろいろ投稿先があるのだった。まずはいつか言った伊藤園俳句大賞。

二百万句も応募があるのだった。まあ入選しようなんて考えてはいけない。だいたい年齢順になっているんで、高齢者はみな俳句の達人ばかり。

NHK俳句は締め切り2/20、「蒲公英」(夏井いつき選)「磯遊」山田佳乃

俳句ポスト「鳥雲に入る」2/19まで。

『源氏物語』短歌

昨日と同じ『源氏物語』。「葵」編。

月影に怨霊浮かぶ
陰陽師
お前はすでに死んでいるのか

苦しいな。

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