シン・短歌レッスン22
葛原妙子短歌
今日も川野里子『幻想の重量』から。
葛原妙子は「女人短歌会」の男性歌人らの批判に対して真っ向から受けて立っていたようで、戦後の女歌が思想性もなく浪漫主義に走っているという批判を、戦争体験が与謝野晶子の時代とは違って女性は身体的に影響を被っている。例えばシングル・マザー問題とか女性が生きていくためには身体性を犠牲にするとか。その中で歌の中にある幻想へと向かうのは必然でありそれは古来の歌のあり方だった。しかし何より戦争体験ということは、それまで純潔性を守っていくだけ身体ではあり得ないという確固たる決意のようなものがあったのだ。「長い髪」はもはや「乱れ髪」であるというだけではなく引きづられ引きずっていく女歌としての決意が感じられる。
模範十首
山田航『桜前線開架宣言』より文語短歌の「横山未来子」という歌人。病弱で車椅子生活という逆境の中に爽やかさを見出す。
歌集のタイトルや歌風は、笹井宏之と重なるような。思うように動けない歌が多いが空を見上げる歌も多い。
俳句レッスン
今日も又吉直樹X堀本裕樹『芸人と俳人』から。「第6章 先人の『句集』を読む」だった。模範十句だな。又吉&堀本が選ぶ中から十句。
津川絵理子は若手(1968年生まれだから今はそうでもないかも)の文語使いの俳人。
「しばらくは」という副詞で始まるのは新鮮だ。一般的に名詞(季語)とかで上五は始めるけど、これは真似したい。「掌に活けて」という共感力と言い回しの新鮮さ。後でちゃんと「活ける」ということを「しばらくは」で言っている。
「読書灯」とあるが読書するためではなく、「栗剥く」がライトアップされる。その後の余韻を残しなが想像させる句だという。「夜間飛行」が効いているのかな。
加藤楸邨に「しずかなる力満ちゆき螇蚸とぶ」という句もあるという。写生句だけど実際の写生ではない。そんな感じを受けたということだ。「螇蚸」の顔が「かたくして」はそういうイメージがある。「仮面ライダー」とか。これ後で考えると面白いな。
下五を「なりにけり」で省略した言い方が凄い。普通の人は何か言葉を足したくなる。
和田悟朗は対象的に大正生まれの俳人で、高齢俳人の俳句。
「神の抜け殻」が秀逸。山の神。トンネルを抜けると「朱夏」だったも川端康成を意識している。
意識の流れを物理的な光速より早いとするのが秀逸。そんなときにも「蝶の紋」まで見えている。秀逸だ(二回言ってしまった)。
句柄が大きいとか小さいとか言うのだそうだ。和田悟朗の俳句は句柄が大きい。
尾崎放哉の自由律は又吉の好み。自由律はいまいちよくわからんのだが。
「乳房」とは女といるのだろう。そのエロティシズムに「蚊」というリアリティさか。滑稽味かな。そうか、「ちち」を吸うのじゃなく「ち」を吸う。
放浪の人だから出てくる句。全身日焼けしても足の裏だけは日焼けせず汚れていても洗えば白さが蘇る。これはなかなかの句だ。
「何が」はこんな問答でも俳句になるという驚き。問われるのは放哉だからか?
今日の一句か。明日バレンタインだった。関係ないけど。
映画短歌
今日は『ドリーム・ホース』。
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