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創作大賞2024 | ソウアイの星⑭

《最初から 《前回の話 


 (十九)

 すぐ横の池でなにかが跳ねた。その音を聞いて、朔也さくやが池を覗き込んだのをきっかけに、わたしたちはようやく互いの視線から離れた。
「人面魚かな」と朔也が言った。
「前に一緒にみた鯉のこと?」
 そうそう、と言いながら、朔也は柵に寄りかかって水面を凝視している。
「よく見えないな。暗くて」
「見えなくていいよ。あの人面魚、猿みたいな顔が付いてて怖かったもん」
 それがいいんじゃん、と朔也は楽しそうだった。
「声、全然違和感ないね。少し低くなった気もするけど」
 わたしは朔也の新しい声の変化について、素直に思ったことを言った。
「そうなんだよ。下の音域は前より広くなった気がする。ただ、高い音が全然、まだダメ」
 朔也は、ひとつ咳をした。
「担当医からは、今まで通りどんどん歌ったほうがいいって言われてる。だから家では結構試してみてるし、一人カラオケも行ってる。たまにしんどくなって診てもらうと、結構出血してたりするんだよ」
 わたしは頷くだけで何も言えなかった。
「経過としてはそれでいいらしい。だけどさ、いくら一人で歌っててもだめなんだよ。最終的に俺はステージで歌いたいわけだから。ステージでの感覚を取り戻さないと。だから、そろそろ復帰を視野にいれてる。それで今回、新曲を書いた」
 朔也は上着のポケットから折り畳まれた紙を取り出した。
「これは一部だけど。最初に書いた歌詞」
 読んで、と言って朔也はそれをわたしに手渡した。
 四つ折りにされたルーズリーフだった。開くとそこには朔也の手書きの文字があった。
「あ、手書きだ」
 思わず頬を緩めたわたしに、朔也は「そこには注目しないで」と恥ずかしそうに眼を伏せた。
「ソウアイの星?」
 最初に見えたタイトルにわたしの心は揺れた。朔也はわたしに背を向けて池を見ている。
 わたしは朔也の背に隠れるようにして、手書きの歌詞を読んだ。何度も読んだ。

 『ソウアイの星』

 カクテル二杯で
 クッションの海に 沈んだ

 星も見えない ブルーグレーの空
 夜の池 眺めながら歩く
 目を閉じて バラード
 六月のアコースティック・ナイト
 
 星はいつも見えてる
 強い光を放つ キミ
 ソウアイの星

 遠回しに
 当たり障りないこと 話す
 恐る恐る 
 上目遣いな キミ
 
 人は自分の光 見えないから
 ソウアイの星
 一等星みたいに 光ってた

「これ、すごくいい。歌えるの?」
 朔也の背中に静かに問いかけると、朔也は首を振った。
「まだ上手く歌えない。健のつけてくれた音だと少し高くて。だけど、挑戦しないと前に進めないから」
 朔也はわたしに向き直った。
「いい歌詞でしょ」
「うん。めっちゃ好き」
「あえて言う必要もないだろうから言わないけど、誰かさんに向けて書いた」
 微笑んでいる。朔也が優しく微笑み、わたしを見ている。
「ありがとう。絶対ステージで聴かせてね。その日がきたら、全身に反射板つけて行くから」
(『ちょっと、馬鹿じゃないの』)
 ルナが囁いた。

 朔也は短く笑った。そして、思い出したように「退院祝いの話だけど」と言った。
「ほんとに返信し忘れてただけだから」と朔也は謝った。これに対してルナが、朔也に聞こえないところで小言を言った。

「じゃあ、朔也くんは退院祝い、何食べたいの?」
「んー、ホルモン焼きかな」
(『あたしも、好き! ホルモン』)

「わかった。じゃあはなちゃんと計画立てるね」
「でさ、その日……」
「その日?」

「その日までにさっきの曲、歌えるようにしようかと思ってる」
(『あたしにお披露目してくれるってこと?』)

 それを聞いたわたしは興奮を隠して言った。
「そんなに焦らなくてもいいよ、と言いたいところだけど、目標があるのは良いことだと思う」
(『なに落ち着いてんのよ流香るか。今でしょ。〝嬉しい!〟って抱きつくのよ!』)

「ちょっと自分にプレッシャーかけてみようかと思ってる。上手くいかなかったとしても御愛嬌」
 朔也の笑顔はどことなく寂しかった。

「うん。何があっても全部受け止める。それに、そんなレアな瞬間に立ち会えるなんて、ファンとしては最高に幸せ……」
(『ファンの立場なんてどうでもいいよ。今日伝えたいのはそこじゃないでしょう?』)

「ありがと。俺にとって一番のモチベーションは流香だから。だから、これからもずっと見ててほしい」
「うんわかってる」
(『わかっちゃダメじゃん……』)

 ルナが泣いている。わたしは泣かなかった。これでいい、と心から思っていたから。
朔也がわたしを澄んだ目で見つめていて、わたしも臆することなくその瞳を見つめ返すことができる。この関係が一番良いのだと、本心でそう思った。
 朔也と別れた帰り道、わたしは華に電話をした。
「華ちゃん、さっきはお騒がせしました。朔也くん、ちゃんと来てくれたよ。素敵なファンミーティングになった。ありがとね」
「ファンミーティングって。まあ、良い時間を過ごしたみたいだから良かったよ」
 うん、良かった、とわたしは言って、退院祝いの話もした。だけど、〝ソウアイの星〟の話はしなかった。
 わたしは華と会話をしながら、ポケットの中で、折りたたまれたルーズリーフをしきりに撫でた。




⑮へつづく


#創作大賞2024
#恋愛小説部門


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