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「光り輝くそこに あなたがいるから」 第①話

あらすじ

海辺の町に住み始めたフォトグラファーの「僕」は、ある日の早朝、浜で踊る女性(瑞希みずき)に目を奪われる。その後再び出会い、共に過ごしていく中で、次第に心の距離は近くなるものの、それぞれが胸の内に抱える「語れない」想いをなかなか打ち明けられずにいた。そんな中、「僕」が撮った写真をきっかけに、ついに瑞希は苦しい過去を「僕」に語る。少しずつ変化し始める二人の関係。二人の未来に射す光とは…

青豆 ノノ




 もう、あなたには声が届かない。きっとここは、あなたがいる世界とは別の世界。
日常と変わらなく見えるこの世界に、あなたはいない。だけど、ここに来ればいつでもあなたに会える。あたたかい思い出は、いつだってすぐ近くにあるのだから。



3ヶ月前―

 部屋にある唯一のカーテンは、無地の白いカーテンにした。

この春、今まで属していた組織を離れた。都内の小さな会社だったが、それなりの夢を持って入社して、仲間もいた。数年をともに過ごした仲間には申し訳ないと思ったが、僕の突然の決断に、にこやかな反応を示す人はいなかった。仲間と思っていた人たちとは、それきりになった。
 フリーランスになった僕は、決してすべてが身軽になったわけではないし、フリーであるからこその重みを感じていないわけではない。ただ、こういう小さく付き纏う重圧は、きっと誰もが抱えるものであって、決して今の僕自身をうんと苦しめるものではない。だから、頭の片隅にあるそんなことをときどき引っ張り出して不安になるよりも、新しい環境が僕に与える変化によく耳をすまし、キャッチすべき些細な幸運を逃さないようにすることの方が、今の僕にはよっぽど大切なんだと思う。

 僕はなぜ海の近くに住処を求めたのか。それには実は理由がない。ただ、組織を抜けた人間がふわふわと世間を漂うには、波の音が聞こえる場所がよく似合うのではないかと考えついただけだ。どこでも良かった。逢いたい人がいるわけでなく、目的があるようで無い僕にとっては、ただ勧められたから、この場所にたどり着いたに過ぎない。

    海辺の田舎町に引っ越して来てから、朝はだいたい同じ時間に目覚める。海の近くに住んでいることによる思い込みかもしれないが、それまで不規則だった僕の体内時計が、潮の満ち引きで徐々に整えられ、朝は自然と目が覚めるようになった。ベッドから手の届くところにあるカーテンを通過して差し込む光。その光の量で、その日の天気を知る生活を気に入っている。

    海辺の町の朝は良い。観光地から少し離れているから、車の通りも静かなもので、港を離れていく船には決して急いだ様子はない。
    この町に住み始めてすぐの頃は、朝起きて軽いジョギングをした。運動初心者がいうジョギングとは、『さまになる』格好をして、少し長めの距離を、歩くよりは早い程度の速度で進むことを意味する。無理のないジョギングは、適度に疲労感を与え、その後に取る朝食を一段と美味しくする。
    朝、走りながら見る田舎の風景は、都会育ちの僕の目には新鮮に映る。それゆえに、カメラを向けたい衝動を抑えられなくなってしまう。朝焼けの海や、ちょっとした自然の変化を間の当たりにした時、家に引き返したくなる衝動に襲われる。そうなるとジョギングどころではなくなるから、今ではリュックに仕事道具を一式詰め込み、いつでも欲望を叶えられるよう、ウォーキングに切り替えた。
    静かな朝の散歩は、たまに世話になる定食屋のそばを通りさえしなければ、誰かに声をかけられて大事な朝の時間を奪われることもない。ただその日に吹く風の方向をよんで、それが自分の正面から吹く風になるように気をつけて歩いていくだけだ。僕は後ろから吹く風が苦手だから。
  
 
 
 それは、目覚めにぐったりするような朝だった。
 荒れる海の夢を見ていた。僕は大きな波の間にいて、溺れているようであり、波に乗っているようでもある。僕の視点なのだろうが、それが本当に僕自身のものなのか確信がない。
 水の冷たさも、息苦しさもない。安全ではないが何かから守られているようで、ただ繰り返しやってくる荒波を見ている、そんな夢だった。
 身体を起こし、カーテンを開けてみた。現実でも雨が降りそうな、気分の晴れない天気だと知った。
 スマートフォンの通知を開くと、母から伝言が入っていた。
「電話ありがとう。元気そうで安心したわ。こちらも相変わらず。じゃ、またね。」
 普段通りの短いメッセージを聞き終わるとすぐに消去した。
 母親とは頻繁にメッセージを送り合う。お互い電話は照れくさいから、大体留守電に一方的に話して終わりにする。ある意味これは朝の習慣のようなもので、ただの生存確認だから、負担に感じるものではない。そして世間では、大人の男が母親とこのようなやり取りを頻繁にしないことを、僕は知っている。
 
 いつもなら、目覚めてからは何も口にせず、ぼうっとした頭でとりあえず靴を履く。いつものリュックを背負い、歩きに出ようと思ったが、どうもこの天気が気になって、すぐに外に出る気になれなかった。
 いつもの流れを失って、まるでどこかの宿泊施設に来たように、落ち着かない気持ちで部屋の中をうろついた。軽く食事を摂るか、もう一度寝てしまうか。考えることが一番面倒な気がして、結局いつも通りの流れに身を任せた。
 
 初夏でも、風の吹く海辺はなにか一枚羽織りたくなる涼しさだった。風は時折、下から吹き上げてきて、僕の目にかかる長さの前髪を持ち上げるから、あまり気持ちのいい散歩にはならない気がした。
 ゴツゴツとした消波ブロックが並ぶ塀に沿って、波の様子を見ながら歩いた。コンクリート・ブロックに当たり、大きな飛沫をあげて崩れ去る波が、大げさに仰け反って悔しがっているようで、情けない波の姿に思わず顔がほころんだ。
 
 
 しばらくは同じような景色の中を歩いた。浜に続く階段を見つけて降りたところで、ようやく、僕以外の人間の存在に出会った。
 僕からはおよそ十五メートルほど離れたところに、その人は砂浜に裸足で立っていた。その人の脱いだ靴や、荷物らしきものは、僕から見える範囲には確認できなかった。
 その人は僕に背を向けて、一人立ち尽くしている。いや、今は立ち尽くしているが、僕から見えるその人の背中が、息をする度に大きく動いていることから、もしかしたらここまで走って来たのかもしれなかった。
 大きく動く背中に比べて、それほど上下しない華奢な肩の線が綺麗で、思わず視線でなぞってしまう。
    肌寒い朝にタンクトップとショートパンツというシンプルな格好で、肩をすぎた長さの髪は無造作に風になびいている。
    色白な素肌は、まるで陶器のようで、壊れてしまいそうな儚さを感じる。
 僕はその場に腰を降ろして、彼女の動向を見守ることにした。
 僕が彼女に出会った時、そこには僕たち二人だった。
 
 不意に彼女は、両腕を大きく天に向けて上げると、全身で伸びをするような格好になった。つま先で伸び上がり、手の指先はどこまでも伸びていくように。次にはとても柔らかく、波のように身体をしならせ、浜を飛び回るように舞った。
 突然のことで驚きはしたものの、見るからにしなやかなその動きは、おそらく、かなりの年数をかけて到達した域にあることは察しがついた。
 コンテンポラリーダンス。おそらくそのジャンルに属するものだと思う。詳しくはないが、以前アメリカのダンスバトル番組で初めてその名前を知って、ダンスに精通しない僕でも、その表現力に魅了された覚えがある。画面越しに見ていたトップダンサーの動きよりはアクロバットさはないが、ここはオーディション会場ではないのだから当然だろう。
 
 時間にして二分ほど、彼女は踊っていただろうか。
 ゆっくりな動きで、身体を小さくしていく彼女が砂の上に横になり、動かなくなった。
 震えている。遠目から見ている僕には、確かなことは分からないが、精魂尽きた様子の彼女は、踊っていた時とは別人のように、弱々しく見えた。
 やがて、ゆっくりと身を起こした彼女は、乱れた髪を手ぐしで整え、手首にはめていたゴムで一つにまとめた。しかし、相変わらず風は強くて、彼女のサラサラとした髪は、早くもゆるく結ったゴム留めから抜け出そうとしていた。
 
 あまりにも彼女に釘付けだった事に気づいたのは、彼女が浜から去っていく姿を、その場で完全に見送った後だった。瞬きすら惜しんで、僕の目は彼女を追っていた。
    泣いていた。彼女は頬を伝う涙をぬぐうことをしなかった。まるで涙を流すことに慣れてしまっているかのように、彼女からは自然と涙が溢れているようだった。
 彼女にはまた会える。何故かそんな気がした。
 目の前の海は、家を出たときよりは落ち着いてきているようだった。



(第②話へ続く)



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