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「光り輝くそこに あなたがいるから」 第⑪話


   
 みずきに会いたいと思う日が増えた。みずきの涙を見て、手を重ねたあの日から、やはりなにか変わったのかもしれない。

 この一週間ほどみずきは浜に来なかった。
 もしかしたら、僕の意識が変化したように、みずきの心も変化したのかもしれない。僕の思いとは逆の方向に。そんな可能性を感じて、少しばかり気落ちしながら散歩に出た。
 季節は少しずつ夏の終わりへと向かっているようだ。
 
 遠く、浜へ降りる階段のあたりに人の姿が見える。視力のあまり良くない僕にとってはぼんやりし過ぎているが、僕が気づいてから少しして、僕に向かって大きく手をあげ、左右に動かす動作をしたから、きっとみずきだと思った。
 振り返り、自分の後ろに人影がないことを確認して、僕も同じように手を挙げた。
 みずきまであと十メートルほどの距離に来た時、みずきが大きな声で僕に言った。
「あなたにしては遅いじゃない?」
「いつもそうだよ」
 僕も負けじと声を張った。
 朝一番に出す声はなんだかガサついている。
「そうだったかしら」と笑いながら僕に近づくみずきは、とても機嫌が良いようだった。
「今日はこのまますぐにカフェに行きましょう。あなたに見せたいものがあるの」
 そう言うと僕の横に並んで、カフェの方へ歩いて行くように促してきた。
「何か楽しい計画でもあるみたいだね」
 歩きながら期待を込めてそう言ってみた。みずきは前歯だけ覗かせて大きな笑顔を作り、僕を見て言った。
「お楽しみよ。とっておきの」

 カフェにつくと、いよいよニヤつきが止まらないらしいみずきは、カフェのドアハンドルを握ったまま堪えきれず笑っている。
「どうしたんだ。早くドアを開けてくれよ」
 珍しいみずきの反応にこちらまで笑ってしまう。
「ごめんなさい。なんだか慣れないことをしてるから、少し緊張しているのかも」
 みずきがようやくドアを開けると、店の店主がにっこり僕たちに笑いかけた。
「奥へどうぞ」
 笑顔の店主にそう言われて、僕が先に立って店の奥へと歩き出す。以前、僕が眠ってしまった窓際の席へと進んで行った。
 
 少し奥まった落ち着いた四名掛けの席は、どこかいつもと違う雰囲気を醸し出している。
 近づくに連れはっきりと見えてきたのは、壁に飾られた僕の撮った写真だった。
 みずきが気に入って持ち帰った五枚の写真が、店の雰囲気に良く合う額に入れられて、まるで個展のように壁に飾られていた。

「こんな、どうして」
 嬉しさと戸惑いに心が揺れる。
「ねぇ、怒ってない?」
 みずきが心配そうな声で僕の背中に聞いてくる。
「どうして怒ることなんか」
 振り向いてみずきを見る。少し潤んだ目のみずきは、安心したように肩をすくめて微笑んだ。
「良かった。勝手なことをしたけど、とても素敵な写真だから、このカフェを訪れる色んな人にこの写真を見てほしくてね。図々しくもマスターにお願いしたの。そうしたら、マスターも気に入ってしまって」
 二人でマスターの方に顔を向けると、こちらを見て微笑んでいる。
「あなたさえ嫌でなければ、ずっと飾ってくれていいって」
「嫌だなんて、思うわけがないよ」
 僕は胸が熱くなった。
「本当にありがとう」
 会えなかったこの一週間、みずきはこのことに時間を割いてくれていたのだ。
 
 改めて席につくと視界に入る、僕が撮った夕焼けの海が、あの日のミズキを思い出させた。
 今目の前にいるみずきと、浜で踊るミズキ。初めてみずきと会話した時、僕はそんな風に彼女を区別してみたのだ。
「今、不意に思ったことだけど。もう僕の中で、踊る君と、こうしてカフェでくつろぐ君の区別はなくなったように思うよ」
 みずきは何かを一瞬考えたようであったが、すぐに嬉しそうな表情になって言った。
「そう。それも良いかも」
 僕を見つめるみずきの目は今日も澄んでいて、綺麗だった。
   
 カフェの店主にお礼を言って店を出た後、僕らは浜に行った。
 久々に心が満たされていた。みずきが僕にくれた、この穏やかな気持ちを、どうみずきに表現して伝えたら良いのか考え込んでしまう。
「どうしたの?」
 みずきが不思議そうに横から僕を覗き込んだ。
 日差しが強かったから、険しい顔になっていたかもしれないことを思って、僕はみずきに体を向けると、意識して笑顔を作った。
「君に改めてお礼を言うよ。とても嬉しかった。仕事以外で写真を多くの人に見てもらうのは、なかなかできない経験だよ」
「よかった。だけどこちらこそ、お礼を言うわ」
 みずきは恥ずかしそうな笑顔を作った。
「準備するのにとてもわくわくしたの。こんなことって久しぶりだった。あなたのおかげね。ありがとう」
 みずきは僕の前で、以前よりずっと自然な話し方をするようになった気がする。きっと僕もそうなんだろうと、自分でも気づいていた。

「文人だよ。ずっと名乗らなくてごめん。僕の名前だ。何故だろう、自分でもわからない。この町に来た時に、名前を封印したのかもしれない。誰かに認識してもらう必要がなかったし、そういう場所に身を起きたくて、ここに来たんだと思う」
 僕は、みずきの細い指先に視線を落とした。それからもう一度、しっかりみずきの目を見て言った。
「随分、君に名乗るまでに時間がかかったけど、今すごく自然に、君に伝えようと思った」
「ふみとさん」
 みずきは新鮮な驚きを持って僕の名前を発音した。
「文学の文に人だよ」
 みずきは僕をじっくり観察しながら「文人」と呟いた。まるで僕の体に、今聞いたばかりの名前を塗りつけて行く作業をするかのように。
「ありがとう、教えてくれて」
 小声でそう言うと、みずきは一歩、僕に近づいた。元々とても近いところで向かいあっていた僕たちは、みずきが一歩、僕に近づいたことで、あまりにも自然に抱き合うことになった。
 彼女を抱きしめた。抱きとめた、と表現した方が良いかもしれない。
 僕の背中に腕を回して力を込める彼女につられ、徐々に僕の方も、彼女の背に回した両腕に力がこもった。
 
 しばらく、僕たちはしっかりと抱き合った。日差しが頭頂部をじりじりと焼くようだった。多少海風は吹いていたが、僕とみずきの間に、風の通る隙間はなかった。 
 僕に体を預けていたみずきが、ゆっくりと体を起こすのを合図に、僕もみずきの体に回していた手を解く。

「眠ってしまいそうだった」
 みずきは意外なことを言った。
「僕をベッド代わりにしていたのか」
 僕が笑いながら言うと、みずきもくすくすと笑った。
「そうじゃなくて。眠ってしまいそうなくらい、安心したの。文人さんの腕の中で」
「僕の腕には、そんな効果があったんだな」
 僕は、照れ隠しに自分の腕をさすった。


(第⑫話へ続く)


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