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「光り輝くそこに あなたがいるから」 第⑨話


 
 カフェのマスターに、彼と私の分の代金を支払う。
「疲れてるみたい。少し休ませてあげてほしいの」
 マスターは笑顔で「もちろん」と言ってくれた。
 店を出てから、彼が座っている窓のところまで行ってみた。寝ている彼の側頭部が窓に押し付けられていた。顔は見えなかった。
 
 彼の写真を見ることは、正直、苦しかった。彼に感想を一言も告げられなかったのは、踊っていたときの感情が蘇ってきてしまったから。それをなんとか押し殺して、彼の前で平静を装うことに精一杯だった。いつの間にか彼が寝てしまって、実はほっとしていた。
 彼が見た世界と、私が見ていた世界は、まるで違うものだと思うと、とても混乱した。ただ、そんなことはどんな人との間にも起きることで、他人と同じ世界を見ることのできる人間など、この世に存在しないのだ。
 彼が一枚一枚並べてくれた写真が映し出した美しい世界、芸術的な世界を、私自身が受け入れて良いものか、悩んでいた。いっそ、弟のことを彼に打ち明けられていたら良かったのかもしれない。
 
 だけど彼の撮ってくれた写真の中で、数枚は、負の感情を消し去って見ることができた。
 うっすら、赤くなっていく空に染められた海の美しい写真。刻々と沈んでいく太陽と海の中間は、明るい光を放ち、踊っている間のことを思い出せない私の、しまい込んだ記憶を呼び戻してくれた。
 空と、海の間。あんなに明るく光る、空と海の間。
 あそこにもし弟がいるのだとしたら。きっと淋しい思いはしていないのではないか。そんな希望を抱かせてくれた。そしてその光の道は、ほぼ毎日浜と繋がっていて、いつでも行き来することができる。いつでも弟に会えるんだ、そんなふうに感じた。
 私の心の混乱が収まり、温かい気持ちになる。
 私は彼からもらった数枚の写真の入ったバッグの外側を、そっと撫でた。
 
 
 数日後、浜で会った彼は、気弱な顔をして私に言った。
「君には色々、言わないといけないことがある。まずはカフェで寝てしまってごめん。それから、会計を持たせてごめん。それから、もし写真をあまり気に入らなかったとしたらごめん」
「それから?」
 私は意地悪く続きを促す。
「それから」
 彼は一瞬怯んだように見えたけれど、慌てずにこう言った。
「今日は僕の奢りでなにか食べに行こう」
「やったあ」
 私の企みは成功したようだ。
 
 ゆっくりしたペースで、二人並んで歩き出す。互いに考え事をしながら歩いているから、時折肩がぶつかってしまう。私の肩は、彼の腕のあたりに当たって、軽く汗をかいたしっとりとした肌の感触を感じる。

 最近できたパンケーキの店には、テラス席があった。横並びに近い席の作りで、海を見ながら食事を取れる。
 彼の横に座る。いつも散歩のとき、私達は並んで歩くから、こういう座り方は落ち着いて話しやすい。
 
「海の写真を気に入ってくれたんだね」
 彼に言われて、どう答えようか悩んだ。
「どれも素敵だったの。本当よ。だけど、あなたが撮ってくれた私は、どれも出来すぎていたのよ。私からすると、受け入れ難いほどに」
「そうか」
 彼の反応からは真意がわからなかったが、案外、私の感想について気にしていないようだった。
「空と、海の堺が、光を集めていてとても綺麗だったでしょう?」
 私は写真を思い浮かべながら話す。
「あの光の中にはね」
 言葉に詰まる。彼がちらと私を見た気がした。

「あの、光の中には」
 少し時間を置いて気持ちを整えると、勇気を振り絞った。
「あの光の中に、私の弟がいるの」
 声が震えた。涙が伝う。だけど涙を拭いたくなかった。
 目を閉じるとまぶたの裏が、明るい外の光でオレンジ色に見えた。
 テーブルの上で組んでいた私の手に、彼の大きな手が重ねられた。温かく包みこむ彼の手から、ぬくもり以上の何かを感じた。
 しばらくはそうして二人で動かずにいた。

「お待たせしました」
 パンケーキを運んできた女性が遠慮がちに声をかけてくれるまで、私達はずっと手を重ねていた。
 
「あなたの奢りのパンケーキ」
 私は手のひらで涙を拭ってつぶやいた。
「そうだよ。せっかくだから、温かいうちにバターを溶かそう」
 そう言うと彼は、大きめのバターの塊を私のパンケーキの上に置いてくれた。
 自分の分のバターを塗り終わると彼は、一度動きを止めて、私に向かって優しい声でこう言った。
「初めて君を見たときから、君が、空と海と繋がっているように僕には見えた」
 私が顔をあげて彼を見ると、彼は続けた。
「君と弟さんはしっかり繋がっているんだと思う」
 彼の瞳の奥を覗いてみた。とても美しい目をしていた。
「ええ。だからきっと私は浜に来たし、これからも、繋がり続ける」
 そう言うと、彼は微笑んで言った。
「僕も弟さんに会えるかもしれないね。いつか」
「そうね」

 気がつくと、パンケーキの上のバターは、もうすっかり形を失くしていた。
 

(第⑩話へ続く)


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1話からはこちらです。
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