見出し画像

「光り輝くそこに あなたがいるから」 第③話


 その日もいつも通り目覚めた。
 ベッドから起き上がると、いつになく体に軽さを感じた。昨夜は作業に没頭していて、まともな食事を取らずに眠ったことを思い出した。
 僕は朝食を求めて、少し早めに家を出ることにした。
 普段より空腹を感じる朝は、散歩の途中にも、朝食をカフェで取るか、魚市の定食にするか、そんなことを考えながら歩いていた。
 彼女を見た日から、海沿いの道は定番の散歩コースになった。

 あの日から数日は、期待を胸に、失くしものを探すように浜を覗いた。それが、今日は空腹に気をとられていたからか、それとも定番化した道を行くことに慣れてしまったからなのか。浜に降りる階段の途中に女性が腰掛けていることに気づかずに通り過ぎようとした。
 通り過ぎようとした瞬間、女性の横顔に目が止まった。女性の陶器のような白い肌を見て、突然フラッシュバックが起こり、その人は鮮明に色を持った。彼女だった。
    ショートパンツに薄手のパーカーを羽織り、髪を後ろにひとつに束ねた彼女は、あの日の儚い印象はそのままに、なにか決心したような表情で座っているように見えた。
 
 階段の途中で不自然に止まった僕に、彼女は警戒したようだった。その空気を感じたから、一旦は浜まで降りることにした。僕は全身で動揺していた。
 彼女からなるべく遠ざからないよう、ゆっくり海の方へ歩いていった。必死に次の行動を考えているのに、緊張から考えがまとまらない。だから、彼女が僕を追い越して、正面から僕と対峙した時にはとにかく驚いた。

「以前、ここで会いましたよね」
 先に話かけたのは彼女だった。不意打ち続きで反応が遅れる。真っ直ぐに僕の目を見る彼女は、どこか少女のような顔のつくりで、幼さを残してはいるが、それでいてとても堂々としていた。
「気づいてたんだ」
 声を絞り出してそう答えたものの、存在を気づかれていたという事実が、この場に居づらくさせる。
「だって、私たち二人しかいなかったでしょう?」
 彼女は、喋りだす前に一度笑顔を作る癖があるらしい。日差しが眩しそうなのもあって、少し困ったような笑顔だった。
    積極的な人だと思った。少し裏切られた感じがした。そう思うと、逆に勇気が湧いてきて、僕は彼女をこの後の食事に誘うことにした。
「朝食を一緒に取りませんか。いきなりで驚くでしょうけど。多分、僕は悪い男には見えないだろうし、あなたの好きな店で良い。それにもちろん、僕の奢りだから」
 僕がそう言うと、彼女はさっと肩をすくめて、さっき僕に見せた困った笑い顔ではなく、大きな笑顔を見せて言った。
「ラッキーが降ってきた。今日の占い通りかも。私の好きなカフェがあるから、そこに行ってもいいかしら」
  
 彼女が好きで、よく来ると言った店には、出会った浜から歩いて数分で着いた。その間で得た彼女の情報は、彼女の名が『瑞希』であるということ。
「漢字をイメージして発音されるのが好きじゃないのよ。『みずき』とか『ミズキ』と呼んでほしいわ」と彼女は言った。
 聞く人によるだろうが、案外僕は、こういうことを言い出す人を相手にするのが得意だ。写真の世界観を、独自の言い回しで表現する人は身近に何人かいるし、僕自身が、彼女が拘るポイントを感覚的に理解してしまった気がするから、僕は彼女に
「今僕に一生懸命話してくれている君は『みずき』で、浜で踊る君は『ミズキ』なんだと思う」と言った。
 それを聞いて、僕を覗き込むように見上げた、その時の彼女の顔をよく覚えている。目を大きくして、徐々に笑顔を作った彼女は、
「そんな風に捉えてくれた人とは初めて出会えたかもしれない」と言った。
 意外だが、もしかしたら、彼女には親しく話す間柄の人間があまり多くはいないのかもしれないと、その時なんとなく直感で思った。
 
 みずきと揃って入店したカフェには、数名の一人客がコーヒーを飲んでいる姿が見られた。この辺りでは珍しい、ウッド調の内装に温かみを感じる。
 みずきと僕は、四名がけの席に向かい合った。
 それぞれがモーニングのセットを頼むと、すぐに注文した飲み物が運ばれてきた。みずきの前に置かれたコーヒーから、うっすら湯気が上がる。
 コーヒーを一口飲んでホッとした様子のみずきが、僕に言った。
「コーヒーを飲まない人だなんて」
 また一口、コーヒーを飲みながら上目遣いになって言う。
「定食屋でも良かったのに」 
 僕はまだ口を付けていない、オレンジジュースの入った細いグラスに視線を移した。それから、グラスに付いた水滴に指で触れながら、
「コーヒーの香りは好きなんだ。その香りに満たされながら、僕はオレンジジュースを飲む」
 そう言って、いかにも冷たそうなジュースを飲んで見せた。実際、それは今の僕にもってこいの冷たさで、とても美味しかった。
 へぇといった顔で、僕をまじまじと見るみずきは、目の輝きが美しい。そういえば、僕の目は一体どんな鈍い光を放っているだろう。普段、自分の目をじっと観察することがないから、急に不安になって、店の内装に目を移した。
 
 運ばれてきたモーニングセットは、厚切りのトーストにバター、それにゆで卵のシンプルなものだった。空腹を満たすメニューではなかったが、みずきとの会話に集中したい僕には、自分のお腹の具合いなどもはやどうでもいいと思えた。
「何か考え事でもしてるの?そんなに手元を見られていると緊張するわね」
 言われてみれば。彼女がゆで卵の殻を器用にむいている手元を見ながら、僕はあの日のミズキを思っていた。
「いつからダンスをやっているの」
 突然の僕の質問にみずきは少し戸惑って、「少女の頃から」と言った。
 曖昧な答え方から、まだ僕に心を開いていない様子がうかがえる。
「とても良かったよ」
「ありがとう」
 僕たちの会話は一度そこで終わった。
 窓の外を見ると、まだ昼前でもかなり日差しが強くなってきていた。太陽の熱に温められたアスファルトは、いつもより明るい色に見える。
  
 穏やかな時間だった。ぽつぽつと話すみずきとの会話は心地良いものだった。初めに話しかけてきたときは積極的なタイプかと思えたが、落ち着いて向かい合うと多くを語るタイプではないようだ。なんとなく、『語れない』のではないかと思っている。僕が、みずきに関して勝手なストーリーを作っていることをみずきは気づいていて、それでいて、僕を自由にさせているように見える。もちろん、これも僕の勝手な思い込みなのだが。



(第④話へ続く)
  


#創作大賞2023

全13話

1話からはこちらです。
https://note.com/aomame_nono/n/nb0033047a37c

この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,258件

#恋愛小説が好き

5,003件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?