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「光り輝くそこに あなたがいるから」 第⑫話


 
 僕たちは、みずきが帰る方向へ、なんとなく歩き始めた。特に会話はせず、別れの場所に着いた。
「それじゃあ」
 僕が言うと、みずきは真面目な顔で僕を見つめてから、遠慮がちに僕に告げた。
「私、この町に引っ越してこようかな」
 みずきの発言を聞いて、僕はすぐに反応しなかった。どこに住もうが彼女の勝手だし、もちろん反対する理由はない。
「私が近くにいるのは嫌?」
 みずきが心配そうに聞いてくる。
「嫌なわけないよ」
 そう答えた。みずきの顔を見ると、いつもの笑顔がなかった。
「そう。そうよね。そもそも、あなたに聞くようなことじゃないものね」
 みずきの無理して作った笑顔を見るのは辛かった。
 僕は咄嗟に、みずきの片方の手を握った。どういうわけか、言葉がでない。みずきは、ただ、待っていてくれた。

 僕は、自分の気持ちを探す。自分の心を探していた。あまりに自分自身に無関心であったから、今、急に求められていることに答えられなくて焦っていた。
 ついに僕は諦めて、深呼吸をした。
「僕は君に嘘をつかない。これだけは信じて。ただ、何も答えを持っていないだけなんだ。今気づいたよ。自分の気持ちにたくさん蓋をし続けてきた結果、こじ開けようにも開け方を忘れてるんだ」
 話すことがこんなにも苦しいなんて思わなかった。だけど、まだ言わないといけないことがある。
「君に会いたいと思うことが増えたんだ。前よりも、ずっと」
 みずきを初めて見た日の景色が、目の前に広がる。
「初めて浜で君を見たときから、僕は君の写真を撮り溜めてた。頭の中でね」
 言いながら、撮り溜めた一枚一枚を取り出し、眺めている自分がいる。
 踊っているミズキだけではない。二人で過ごした時間の、全ての場面から切り取られた一瞬、一瞬が、僕の頭の中に大切に保管されている。

 一方的に話している自分にはっとして、みずきの表情を伺う。穏やかな表情をしていた。
 しっかりと繋いだ手から、みずきの優しさが伝わってくる。
「君が、この町に来る。そんな素敵なことはないよ」
 みずきの目は潤んでいる。みずきもまた、言葉を探しているのかもしれない。
「もう一度、君を抱きしめてもいいかな」
 僕は、みずきの目をしっかり見て伝えた。
 みずきの潤んだ目から、涙がこぼれた。みずきは優しい笑顔でうなずいている。
 僕たちは繋いでいた手を離すと、ゆっくりと歩み寄って、そして抱き合った。


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 雨が降り続いている。夏の終わりの雨がもたらす湿気が、何もかもやる気を失わせる。それでもパートに出たり、淡々と日々を過ごした。
 彼に抱きしめられた感触は、数日たった今も、私を包み込むように全身に残っていた。
 彼が一生懸命に私に伝えてくれた言葉、ひとつひとつを思い出して心が温かくなる。
 
 彼の住む町で新しい暮らしを始めたい。彼に伝えたのは、ふとそんな考えが浮かんだからで、前々から計画していた訳では無い。
 彼に抱きしめられたことで欲が出て、彼の気持ちを、彼の言葉で聞きたくなったのかもしれない。
 彼が二度目に抱きしめてくれた時、私には彼の本心がわかった。
 私は彼と出逢ったときから、彼の魂の『気』を感じている。
 彼は私を必要としていて、大切に思っていてくれていることは明らかだった。だから、もう私からは何も彼に尋ねはしない。ただ、二人で過ごせる時間があれば、それでいい。
 
 数日降り続いた雨で、気温がぐっと下がった夜があった。翌朝、体の怠さと頭痛でパートを休んだ。
 熱を計ってみると微熱程度だったが、酷く気分が悪かった。
 朝から何も口にせず、もう一度眠ろうと、目を閉じた。じきに記憶はぼんやりとして、いつしか眠りについたのだろう。

 夢を見た。
 浜に、立っていた。いつもの浜だ。
 天気が悪い。荒れた海になぜ、私はいるのだろう。こんなに荒れた天気なら、彼がやってくることもない。
 帰ろうと後ろを振り向くと、少し離れたところに彼は立っていた。
「文人さん!」
 嬉しくて駆け寄る。どうして彼がいることに気がつかなかったのだろう。もう一度名を呼んだ。
「文人さん!」
 彼は私を見ない。近づいて、彼の手を取った。温かさが伝わる。だけど、彼は私が手を握る感触を感じていないようだ。

「文人さん」
 何度も目の前で名前を呼んだ。
 彼に私の声は聞こえないようだった。まるで一人で散歩しているように、ゆっくりと海の方へ歩いて行く彼についていきながら、相変わらず名前を呼び続けた。
「文人さん。文人さん。ね、どこへ行くの?文人さん」
 悲しみで一杯だった。彼は私を見てくれないし、声も聞こえていない。もう抱きしめてくれることもないのか。そう思うと、ますます辛くて、声を振り絞って叫んだ。
「文人さん!文人さん!ねえ、文人さん聞いて!」

 自分の声で目が覚めた。体が震えている。かなり熱も高いようだった。
 悪夢。こんなに酷い夢はない。
 泣きながら、ゆらゆらする頭を起こして、冷蔵庫に向かった。涙はとめどなく流れて、頭は割れそうに痛い。風邪のせいとはいえ、こんなに悲しい夢を見るなんて。
 冷えた麦茶をコップに注いで、市販の風邪薬を飲んだ。涙で濡れた顔を両方の手の平で拭って、ベッドに倒れ込んだ。何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
 優しい彼の顔を思い出したかった。優しい彼の大きな手の感触を、思い出したかった。
 ベッドに横向きで寝転んで、身を縮める。自分で自分を抱きしめた。彼が私を抱きしめてくれた温かさが段々と思い出されて、少しずつ穏やかな気持ちを取り戻していった。

「大丈夫。大丈夫」
 いつも不安な時自分にかける言葉を、呪文のように繰り返す。
「大丈夫。大丈夫」
 目を閉じて、耳をすます。次第に波の音が聞こえるようだった。
 いつしか、寝ているベッドが温かい砂浜に変わる。少しずつ、体の力が抜けていく。温かい砂の上で、優しく体を撫でるように吹く風が心地良い。目を閉じていると、まぶたの裏は温かいオレンジ色だ。もう涙は流れなかった。
 穏やかな気持ちで横たわっていると、私の肩に誰かの手のぬくもりを感じた。文人さんに間違いない。どういうわけか、彼の『気』を感じないのだが、彼であると確信した。
 私は目を開けない。肩から腕へ、彼が優しく私を撫でてくれる。幸せだった。こんなに幸せな時間を過ごしたことがないくらいに。
 この気持ちを忘れないようにしよう。彼が、私と過ごした日々を頭の中に残してくれているように、私は、今全身で感じているこの幸せな気持ちを、ずっと、ずっと持ち続けて生きていこうと思う。きっとできる。彼をいつでも感じられる。私なら。
 
   
 数日間の雨が上がり、秋の気配が漂い始めた頃、ようやく私の体調も元に戻り、休んでしまった分のパートの仕事に精を出した。
 早く彼に会いに行きたい気持ちはあったが、あの幸せな夢を見たお陰で、私はいつでも温かい気持ちを思い出すことができるようになった。
 ようやく浜に行けたのは、彼と最後に会ってから十日が過ぎた頃だった。天気は穏やかで、久々に海風を感じてとても心が和んだ。

 浜でしばらく彼を待ったが、どうやら今日は来ないようだった。残念ではあったが、いつものカフェの、あの席で朝食を取るために歩き出した。
 店に入ると、珍しくマスターがカウンターの中から私を手招きする。
「おはよう、マスター。少しだけご無沙汰しちゃった。彼は最近来た?」
 私が話しかけると、マスターは奥の席に目を向けるよう私に促してから、言った。
「ここ数日、あの男性が瑞希ちゃんを尋ねて来てるんだ。知り合いかい?」
 私は少し驚いたけれど、奥の席に腰掛け、窓の外を見ている男性が誰なのか考えてみる。次第になんとなく察しがついて、マスターに言った。
「知っているかもしれない。初対面だけどね。もしかしたら、彼のお友達なのかもしれない」
 私はゆっくりと男性の方へ進んだ。
 座っている彼は海を眺めていたけれど、不意にこちらに顔を向けて、近づいてくる私を認めると、立ち上がった。
「瑞希さんですか」
 私が無言でうなずくと、少し間を置いてから彼は口を開いた。
「田端と言います。文人の友人です」
 彼は真剣な眼差しをしていた。彼の声を聞きながら、私は自分の体が小刻みに震えていることに気づいた。

 彼の斜め向かいに腰掛けた。マスターがすぐに運んで来てくれたコーヒーの湯気に目を落として、しばらく黙っていた。
 田端という名を何度か聞いたことがある。文人は田端という人のことを「唯一の友人」と言っていた。この町を文人に紹介したのも田端のようだ。そして、田端自身は東京に拠点を置いていて、たまにしかこの町を訪れない。
 知っている限りの情報を頭の中で巡らせる。そうしても、田端が私を尋ねてくる理由は思い当たらなかった。もしかして、彼はこの町にもういないのだろうか。そんなことが頭をよぎった。
「驚いているでしょう。お前は一体誰なんだって」
 田端は優しい笑顔で話し始めた。
「文人から、何度もあなたの話を聞いていたんです。いや、最近は会うたび、あなたの話ばかりだったかな」
 田端がコーヒーを啜ったので、私もコーヒーを一口飲んだ。
「このカフェで誰かとコーヒーを飲むのは、実は初めて。だって、文人さんはいつもオレンジジュースを頼むんだもの」
 普段の文人を思い出して、自然と笑みがこぼれた。田端も笑っている。
「あいつ、ちょっと変わっているでしょう。自分のことをあまり話さないし、相手のこともなるべく知ろうとしない」
 田端も、今きっと、文人を思い出しているのだと思った。
「ここに、あいつの写真が飾られていることは知らなかったな」
 田端の言葉に、私は少し驚いた。
「どうして?この町にいるのに会っていないんですか?」
 私が尋ねると、私の手元に視線を落として、またコーヒーを啜ってから、田端はゆっくりと言った。
「会いました。六日前に」
 六日前。私が熱を出してあの夢を見た日だった。悪夢の後に訪れた、最高に幸せな夢。思い出したら、早く文人に会って夢の話をしたくなってしまった。
「瑞希さんと文人が出会った浜に連れて行ってくれませんか」
 田端は唐突にそう言った。私は、まだ半分も飲んでいないコーヒーを見つめる。
『田端は余計なことを言わない。空気が読めて、思いやりがある。とても勘がいいし、心から信用できる友人なんだ』そう語った文人の言葉を思い出した。
 私は文人の親友を、浜に案内することにした。


(第⑬話へ続く)


 


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全13話

1話からはこちらです。
https://note.com/aomame_nono/n/nb0033047a37c


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