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グラードの海辺にて

 2018年、年の瀬。昨年に続き北イタリアを訪れていた。葡萄畑に囲まれた丘にあるフリウリ人の家は、今年もLa manmaによるクリスマスの飾り付けが家中にちりばめられ、玄関先にはクリスマスツリーと並んでプレゼッピオが飾られている。
 プレゼッピオとはキリストの生誕シーンのジオラマで、イタリアでは非常に一般的なクリスマスの装飾だ。サンタクロースは殆ど見かけないのだが、とにかくお店や教会だけでなく個人宅の軒先にまでプレゼッピオが飾られる。(サンタクロースやクリスマスについてはまた別の機会に書こうと思う)
 日本では12/25を過ぎた途端に和風の正月モードになるけれど、ヨーロッパでは1/6の公現祭までがクリスマス期間になるので、大晦日もまだまだクリスマスなのだった。

 のんびり起きて遅い朝食をいただきながらテレビを見ていた。自家製パンのトーストに塗るジャムも自家製、さらに朝から糖分過多で倒れそうになった私にはチーズとプロシュットも出してくれた。一緒にテーブルに着いているイタリア人(フリウリ人)は甘いクッキーやケーキも食べている。
 マキネッタで淹れる濃いコーヒーで、1週間をすぎても引きずっている時差ぼけをリセットしたかった。

 テレビではカトリック司教の豪奢な衣装を着たおじさんを筆頭に、パレードが映し出されていた。

「これはヴァティカンですか?」

 もう少し都会っぽかったはず、と思いながら特に心当たりもなく尋ねた。

「いや、グラードという、フリウリより南にある海沿いの街だよ。昔はよく家族で行ったんだ。
 行ってみたい?」

 かくして、グラードまでドライブに出かけることになった。

 この日のフリウリ・ヴェネツィア=ジュリア地方は空の半分が快晴、もう半分は薄い雲が天井のようにずっと向こうまで続いている、なんとも不思議な天気だった。
 東側を見ると青空の下に葡萄の丘からつづく青い山々と、遠くに雪をかぶった険しい山々が聳えている。
 西の方は薄い雲の向こうにある昼の太陽が、乳白色に輝く縁取りを雲のレースに施している。雲間から柔らかく射す光線が重なり、まさしくヨーロッパの宗教画の背景のようだ。断罪される殉教者や天使に導かれる聖人の向こうに何度も見たことがある、あの空。

 グラードはアドリア海北端の干潟にある、ヴェネツィアのような立地の街だ。ただしオーストリア配下だったようで、街並みは少し雰囲気が違い、どちらかというとトリエステに似ていると思う。

トリエステのノート: サン・ジュストの丘と坂|ユカ|note(ノート)

 13時頃だったが、湿気が多く緯度の高い地域なので日差しは東京のようには強くない。乳白色の空が水面に映り込んで一面に鏡を敷いたような干潟の中の一本道を走ってこの島に入った。

 フリウリ人の一家もよく来ていたそうだが、主にオーストリア人が夏休みに来るのだそうだ。この日に街を歩いているのもほぼオーストリア人のようだった。
 街を歩いて昼食をとり、海沿いの堤防を歩いた。ちょっとしたビーチもあり、夏には皆ここで泳ぐそうだが、今は冬。静かに波音が聞こえているばかりだ。

 この海の美しさときたら。島の先端部分に立つと、視界の端から端まで、穏やかに煌めく水面と柔らかい雲に覆われた空が覆い尽くす。
 のんびりしている間に空は夕焼けの呈となり、薄桃色の雲に細波のような金色の縁取りから、天使のはしごが幾重にも下りている。視界の端で透けて見える空はうす青く、雲の蔭はすみれ色に近い。穏やかな海は空の色を映して、青とすみれ色が混じり合ううえに桃色が、ごく薄いオーガンジーのようにふんわりと掛かっている。雲の向こうの太陽がその光陰を落とし、水面は金に輝いていた。
 あまりの神々しさに息ができず、ただ眺めていると涙が出る。何枚か写真を撮ったが、この眺めそのものを納めることは到底叶わなかった。

 宗教画の後ろに描かれる幻想的な景色、天使の上っていく空はファンタジーなのだと思っていた。それを実際に目の当たりにして、この国の芸術の根底にある豊かな自然風景を知ったのだった。

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