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「光り輝くそこに あなたがいるから」 第⑤話


     
「君はいつも、何を想って踊っている?」
 
 
 ある時、浜を二人で散歩中、ミズキの舞についてみずきに尋ねたことがあった。みずきは微笑んでいるような、だけど見方によっては無表情にも見える顔で、どこか遠いところを見ていた。沈黙は長かったが、僕とみずきの間ではそう珍しくないことだから、僕はぼんやり、みずきの言葉を待ちながら歩き続けた。
 
「私が踊る側には、いつも弟がいたの」
 ようやく口を開いたみずきは、穏やかな表情で言った。
「弟はね、とても小さかった。言葉をまだほとんど知らなくて。だからね、私が手をひらひらとさせると『ちょうちょ、ちょうちょ』と言って喜んだの。とても可愛かったのよ」
 みずきは海に目を向けた。そして少しのため息をついた。
 

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 あなたと私は十四、歳の離れた姉弟だった。
 母が再婚を決めた時には、あなたはすでに、母の中にいたわ。私はそういうことがわかる年頃だった。
 あなたが生まれた日、あなたと私、それに母と養父は家族になった。
 久々に、何年ぶりかに訪れた幸せな時間だった。あなたが私達を繋いだの。それがただ一瞬だったとしても、私にとってはかけがえのないものだった。
 
 両親にとって、あなたはもちろんだけど、私のこともなくてはならない存在になった。
私には、あなたのお世話をする大切な役割が与えられた。十四歳のお姉ちゃんよ。立派なベビーシッターになる。そう思われていたのでしょう。だけど、私はただの少女。ベビーシッターでも、若い母親でもない。私の周りにいた大人たちは、いつからか勘違いしていたの。
 私が何者でもない、ただの十四歳の少女だということは、私だけが知っている事実であるようだった。

 母はすぐに仕事に復帰したし、あなたをミルクで育てたのは私。
 可愛かったけれど、大変だった。あなたは飲んだミルクを吐き戻すことが多かったし、お腹が満たされたからといって、たっぷり寝てくれるタイプでもなかった。だけど、それは母と養父には見えないところで起きていたことだから。
 すくすく育つあなたの姿を見て、二人は満足そうだったし、私もよく褒められた。あなたのお陰で、私は母から認めてもらえたの。私の生活は常にあなた中心だった。
 
 ある時期からは、私の通うダンススクールにもあなたを連れて行くようになった。私は、ダンスだけは続けたかったから。
 あなたはとても良い子にしてくれた。スタジオの鏡に映る自分の姿を見て、楽しそうに笑っていた。そして、私のこともよく見ていた。
 私はいつも、あなたを目の端に留めて舞った。
 そのころから、私はあなたのために舞っていたのかも。あなたと、私自身のため。

 私が初めて男の子とデートの約束をした時のこと。あなたを連れて行ったのよ。彼はびっくりしていたし、とてもしらけていた。だけど私は違った。三人で過ごす時間に、自分の将来を重ねた。あなたみたいに可愛い男の子を連れて、愛する人と三人で、レストランへ行ったり、遊園地に行ったりするの。家族揃ってよ。そういう夢を、あなたはあの時の私に見せてくれた。もちろん、その初めてのデート以降、その男の子と仲が深まることはなかったけれど。
 
 あなたが二歳になった頃、私は高校へ通う歳だった。だけど、あなたを育てていたのは私。高校受験の準備など、できるはずはなかった。
 母は中学を出たら、私に働いてほしかったのだと思う。それを口で私へ伝える事なく、あなたの世話を、当たり前に私にさせることで現実にした。
 
 若い私は様々な職を転々とした。
 将来について考える余裕などなかった。世の中を知らずして、複雑な物事の中にいた。
 自分の存在が、何の為のものかわからなかった。だけど、それについて、考える余力はなかった。

 ある時、本当に珍しく、両親とあなたと海へ行ったわ。
 母はそれまで働いていた仕事を辞めて、別の職場に移るまでの数日、休みができた。そこで皆で海へ行ったの。行くべきでなかった海へ。
 私もね、少しは楽しみだった。海へ行くのなんてどれくらいぶりだっただろう。
 海は意外と近いところにあったのね。きっと身軽で、自由で、意志さえあれば、いつだって簡単に行けるところだったのに、私達はたどり着くまでに恐ろしく時間を要した。
 砂浜に初めて足を降ろしたときのあなたの反応を覚えている。ザラザラとした砂の感触が嫌だったのね。あなたはもっと好奇心を見せるかと思ったけれど、嫌がって大泣きした。そして私のところへ走ってきて、抱っこを求めたのよ。母でなく、私のところに。
 母は笑顔で、あなたのことを見ていた。私が抱き上げたあなたに、とても優しい笑顔で話しかけていた。それはまるで、どこかの可愛い子どもを見るような感じだった。
 
 私はあなたを波打ち際に連れて行った。
 波の音は思ったよりも大きかった。海に足をつけてみた。とても冷たくて、一気に体が冷えていく気がした。
 引いては押し寄せる波の中に、あなたを抱いて立った。まるで、二人だけが海の中に引き込まれていくような感じで、それはとても正しいところにいるような感覚だった。
 
 私達は、海を気に入った。母と養父が昼食を取ろうと言ったときも、私とあなたは残って遊ぶことを選んだ。その頃には、砂浜に慣れ、波に慣れ、海に足をつけられるようになっていたあなたは、初めての浜遊びに夢中だった。
 
 随分と時間をかけて遊んで、私は喉の乾きを感じた。私は、何か飲み物を飲みに行こうとあなたに言った。だけどあなたは、その時やっていた遊びを止めたくないと、頑として動かなかった。
 私は自分の欲求を我慢できなかった。幸い、その場から見えるところに荷物は置いてあった。十数メートルしか離れていないところにシートを広げていたから、そこへ飲み物を取りにいくことにした。
 荷物の場所にいくまでに、何度も振り返り、あなたを見た。そしてシートの上の荷物の中に飲み物を見つけて喉を潤した。少しぬるくなっていたけれど、とても美味しかった。あなたにも何か飲ませなくてはと、持ち物を探った。小さな子どもと出かけるときの荷物の多さといったら。慣れない準備で、母が色んな物を詰めてきたことがわかった。
 ようやくバッグの底の方に、水筒を見つけて、それを持ってあなたのところへ戻ることにして、サンダルを履いた。
 遠く、波打ち際で遊ぶあなたの姿が見えた。
 ふと下を見ると、とてもきれいな貝殻を見つけた。可愛らしい、桜色をした貝殻だった。
 あなたに見せてあげたくなった。よく見るとあちこちに落ちていたの。あなたが作っている砂のおうちの飾りにと、私はそれを拾いながらあなたの元へ向かった。
 拾いながら向かったの。向かっていると思っていた。

 ところが、顔をあげた時、私は思っている場所とは随分と違うところへ来ていた。そのことに気がついて、すぐにあなたを探した。そしていくらか先に、あなたが作っていた砂のお家を見つけることができた。
 急いでそこへ向かった。その間、あなたを目で探しながら。だけどあなたはいなかった。
 あなたはいなかった、どこにも。それっきり。
 
 手に握っていた桜色の貝殻が割れて、手のひらに刺さった痛みがあった。あなたに見せたかったのに。喜んでほしかったのに。
 私は十六歳だったの。あの時、私はまだ少女だった。
 あなたから目を離した私は、どんな罰を受けたら良かったのだろう。完全にその場から離れていた、母親や養父よりも何倍も重い罰を。


 
 あなたは今、どこにいますか。

 
 空と海は今日も同じ色をしている。互いに思い合っているからよ。私はあなたのことを、片時も忘れる事なく生きる。生きていく。
 あなたにとって、私はたった一人の姉で、一番慕ってくれていたでしょう。
 ねぇ、私とあなたは今も同じ色をしているのよ。だから、こわくない。
 あなたは、どこにいるんだろう。私にはわからない。だけど、もしどこか彷徨って、心細い思いをしているなら、迷わなくてすむ方法があるの。お星さまを見つけるのよ。あなたが初めて覚えた『きらきらぼし』。
 
 きらきらひかる おそらのほしよ
 
 お星さまを見つけてごらん。そうしたら迷ったりしない。あなたはお空の方へいくの。
 お星さまを目指すのよ。そこで待っていてね。私が今度こそ、必ずあなたのところへ行くからね。
 桜色のきれいな貝を、あなたに見せてあげるから。



(第⑥話へ続く)




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1話からはこちらです。
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