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「光り輝くそこに あなたがいるから」 第⑥話
定職には付かず、相変わらず転々と職を変え、住む場所を変えながら暮らしている。
海には、あの日から訪れていない。海を感じることが怖い。海風も、潮の香りも、何もかも私をあの日に引き戻すから。だけど、なにかに怯えながら暮らす生活は、徐々に私を壊していくようだった。
突如襲ってくる悲しみは、あの日弟と夢中になった波のように繰り返しやってきて、静まることは永遠にないのだと、自分でもわかっていた。
私の密かな願いは、弟のことは仕方のない『事故』だったと、誰かに言ってほしかった。それは叶わないと、一番思っている人間が、たとえ自分だとしても。
ある時ふと、明け方の空を見て、海のある町に行ってみようと思った。直感的に湧いた考えが消えないうちに、取るものも取り敢えず行動を起こした。
人のいない浜が良かった。そして、ちょうど良い場所にたどり着いた。
久々に感じる海風、潮の香り。砂浜に降りた時、足の震えが止まらなかった。足がすくんで前に進めない。弟と行った海とは全く雰囲気が違うのに。やはり海は繋がっているから、どこかに弟を感じたのだろう。その日は、砂の上に立つのがやっとだった。
それでも、何度も浜を訪れた。早朝、電車に乗って浜へ向かう。少しずつ、時間をかけて体と心を慣らしていった。
ある日、目覚めるとなにかがいつもと違った。その朝の兆候を絶対に逃してはいけないと思った。すぐに支度を整え、電車に乗った。
海辺の町に着くと、浜まで走った。薄暗い朝だった。町はいつにも増して人の気配がない。曇天ではあるが、鈍く光が透けるような空は、あふれそうな私の感情を吸いあげてくれるようだった。
息が切れた。浜に着くと靴を脱ぎ、裸足になった。呼吸を整えながら海を見ると、そこに弟がいるような気がした。弟が、可愛い笑顔で私を見ている気がした。
体中に力がみなぎった。どうしてか、踊れる気がした。弟を連れて通ったダンススクールで、私が踊る姿をきゃっきゃと笑ってご機嫌で見ていた弟の姿を思い出した。
緊張で体はこわばり、息が荒くなった。踊り出すまで、だいぶ時間を要した。その時。背後に誰か来たのがわかった。おそらく、十数メートル離れたところから私を見ている誰か。意識が全てその人の気配に集中した。
どうするか悩んだ。私は弟に向けて踊りたかった。誰に見られていようとも。そうしたら、なんだか背中に温かいものを感じた。背後にいる誰かの、温かい視線。その人自身が持つなにかが、私を温めるようだった。
とても不思議な感覚だったけれど、確かにその人が私に送る『気』のようなものが、私を勇気づけていた。
そこからは感じたままに体を動かすだけだった。身体的に感じるものはほとんどなかった。意識すらあるようでない。ものの数分の出来事が、記憶できない一瞬のように終わりを迎えていた。
踊りきって、浜に横になった。涙が流れていた。弟に見てもらえた。私は、また弟と繋がることができた。体に、確かな力が宿った。
私は背後にいる誰かの存在を思い出したけれど、一瞥することなくその場を去った。だけど、その人の『気』を忘れないと思った。だから、時々浜に行くことにした。そして、再び出会った。彼に。
あるとき浜に行って、あの日、あの人がそうしていたように、私も階段に腰を降ろした。その頃にはもう、波の音も、潮の香りも、私を不安にさせるものではなかった。とても穏やかな気持ちでそこに座っていた。
しばらくして突然、あの日背中に感じた、あの人の温かみを、体が思い出した。ここへ、あの人が近づいて来ている、そう思った。
緊張で胸が高鳴っていた。その時点では、まだあの人が男性か女性かもわからなかったから。どうにか接触したいと思っていた。ただ、嫌われたくない、と思った。私にとっては、とても珍しい感情だった。
彼も私に気づいた。初めは気がつかなかったようだけれど、私の真横を彼が通った時、彼も私も、互いを認識したようだった。
彼はそのまま通り過ぎてしまった。だけど何かを考えているようだった。おそらく、かける言葉を探しているのだと思った。だから、私から話しかけた。
「以前、ここで会いましたよね」
それからは度々、彼と朝食を共にするようになった。
彼と過ごす時間はとても心地良い。会話があってもなくても、彼の放つオーラが、私にやすらぎをくれた。
彼は少し変わった人で、私のことをあまり深く知ろうとしない。もちろん、彼自身についても多くを語らない。それはまるで、語る価値がないと思っているようですらある。
私は彼に名前を聞かない。彼がそうであることを望んでいる気がする。
私達は似ているのだろうか。私達はいずれ、お互いの意志が一致した時、彼の名前を聞くことがあるだろうか。
それから、彼は先の約束をしない。それについて彼は
「今を大切にしたい。フォトグラファーだからね」と語った。
瞬間を切り取るフォトグラファー。確かに、そうなのかもしれない。過去も未来も考えたくない。それは私も一緒だ。彼と出逢って、やっと、今生きていることの価値に気づきつつある。
そんな『今を大切にしている』彼から、次の週の予定を聞かれたときは少々面食らった。
朝の腹ごしらえを終えて、しばらく二人でふらふらと浜を散歩していたときのことだ。
「来週は、どこか曜日を決めて会えないかな」
「あなたには珍しいことを言うのね。なにを企んでいるの?」
「君を警戒させて申し訳ないけど。こないだ君が浜で踊ったとき撮影したフィルムを現像したんだ。かなり芸術的な作品になっているから、君に見てほしい」
「プライベートで撮る写真は全てデジタルなんだと思ってた」
「咄嗟の判断だったけれど、フィルムにして正解だった。あの場の雰囲気にあっていた、というか」
「フィルムカメラで撮られた写真には哀愁を感じる。あなたは、私からそのようなものを感じている?」
私がそう言うと、彼は小さく、優しい笑みを浮かべて、だけどそれには答えなかった。しばらくは無言の散歩が続いた。
静かな浜。実際は色んな音が聞こえてくるのだけれど、心はとても穏やかでいられる。
彼がおもむろに口を開く。
「君はいつも、何を想って踊っている?」
だんだんと太陽は高くなってきていて、海面をさっきよりも、より一層キラキラとさせている。眩しい海を見ながら、彼の問いかけに逡巡する。
私が踊る。それは弟を感じたい時。弟と繋がりたい時。とてつもない淋しさを感じた時。
私が浜で踊るのは、「今」をしっかりと感じるため。淋しさ、気持ちの落ち込み、襲ってくる恐怖や悲しみは、私の過去や未来に影響を与えるものではない。
今の私を襲うこの感情に立ち向かうには、「今」をしっかり生きること。今の自分の気持ちに寄り添うこと。弟を感じること。この永遠に続くかもしれない感情を乗り越えるために、ただ淡々と繰り返していく、儀式のようなものだ。
彼に、なんと答えたら良いか分からずに時が過ぎる。
そっと彼を見ると、互いに深い話を避ける傾向にある私達の関係に慣れているからか、特に答えを待っている様子はない。
「私が踊る側には、いつも弟がいたの」
私が絞り出した答えは、弟の存在を彼に明かすことだった。言いながら、弟との思い出が蘇る。可愛かったあの日の弟が浮かんで、気持ちが温かくなった。
ちょうちょ ちょうちょ
海に向けて、手をひらひらとさせてみる。海面に反射する光で、手の輪郭がぼやける。弟の笑った顔が浮かぶ。
「写真」
「うん」
「見せてもらえるの、楽しみにしてる」
私達は、初めての『約束』をして別れた。
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(第⑦話へ続く)
全13話
1話からはこちらです。
https://note.com/aomame_nono/n/nb0033047a37c
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