金曜20時までの恋人(最終話)〜カウントダウン〜
時計を見ると18時を回っている。
イライラが爆発しそうなのを必死でこらえる。
どうしてこんな時に、面倒な仕事を押し付けてられてしまうんだ。
「19時過ぎには新宿にいるから。待ってるね」
ミナナからのメッセージを確認すると、返事は後回しにして、とにかく仕事に集中した。
19時45分。
新宿に到着したときには、半ば諦めがついてしまって、急ぐことをやめた。
こんなに焦って駆けつけても、まもなく訪れる20時にはすべてが終わる。
よく考えたらなんてくだらない遊びに付き合っているんだろう。
20時以降、誰か捕まえて飲みにでもいかなければやっていられない。
少し投げやりな気持ちが混ざる中、混み合う駅の人だかりにミナナを見つけたときには、残り8分を切っていた。
「アユムくん!」
こちらに手を振るミナナに、僕は片手を挙げた。
今日のミナナは綺麗だった。最後の最後にキメてきたな、と思った。
形の良いワンピースに、上気したような健康的で柔らかいメイクを施し、艶のある柔らかそうな髪を肩のあたりで揺らしている。
遠くからでもいい香りのしそうな大人の女性だった。
「これで最後だね」僕は言った。
ミナナの悲しそうな顔を見て、いつも彼女がやってくれるポーズを思い出した。
「最後にあれ、やってよ。得意のダブルピース」
ミナナは笑った。ちょっと周りを気にしつつ、控えめに顔の横に両手のピースをくっつけて、無理矢理に笑顔を作った。その瞬間、ミナナの目から涙がこぼれた。
「嘘でしょ。泣くの?」さすがに慌てた。
泣きながら笑っているミナナは
「やば。なんでだろ」と言って、ハンカチの角を目に押し当てた。
「どうして泣くんだよ。泣くくらいなら一緒にいたらいいじゃん」
言ってしまった。だけど、後悔はしていない。
「恋人になってよ」僕は力強く言った。
ミナナは驚いた顔をして、慌ててスマートフォンを取り出した。そして洟をすすりながら
「アユムくん。お願い。もう一度言って」と言う。
「は?だから。ミナナのことが好きだから、恋人になってよ」
「ありがとう!アユムくん!!」
ミナナはスマートフォンを手に握ったまま、僕の胸に飛び込んできた。
僕はミナナを抱きしめた。金曜の浮かれた新宿で、誰の目も気にすることなく、たった今恋人になったミナナを気が済むまで抱きしめた。
✧✧✧✧✧
──20時40分。
「ミーナ、こっちこっち!」
「ごめーん、遅れた!」
待ち合わせは20時半だったのに、少し遅れてしまった。
「で?で?例の男の子とはどうなったの?」
まだ席についてもいないのに、友人たちは私から詳細を聞きたくて仕方がないようだ。そんな友人たちに向けて私は、両手でピースを作り、顔の横にピタリとつけた。
「うわー、こっわ!宣言通りじゃん。しかも、なに?本当に体の関係なしに恋人にしたわけ?」
「えへへへへ」
私は友人がグラスに注いでくれたシャンパンをすべて飲み干した。
「はぁ~。というわけで。ぜーんぶ宣言通りにやりましたわぁー」
友人たちの唖然とした顔が面白い。
「①ドキッとするメールを送らせる。
②体の関係なしに距離を縮める。
③金曜20時までに告白させる。
全部クリア!やったー!」
さっき飲んだシャンパンのアルコールが一気に体内を駆け巡る。
「早かったよ、彼。月曜の夜にはメッセージくれたから、いけるって確信したもん」
私はスマートフォンに残っているアユムからのメッセージを開き、友人たちの方へ向けた。
「はぁー?なにこれ」
「ミナナって誰よ」
友人たちは大笑いだ。
「それにしても素直な彼だなー。告白は?どんな感じ?」
私はスマートフォンに録音したアユムからの告白の音声を流して聞かせた。
「ギリギリ19時58分。録音する手が震えたわ」
「さすが、サークル内で1番モテた女」
「アハハハハ」
「あーでもね、ちょっと反則しちゃった。
彼から、“金曜20時ルール”の理由を聞かれて。まさか『ミッションです!』とは言えないから、咄嗟に思いついたことを言ってみたわけ。その中で口が滑って“金曜20時までに恋人になりたい”って言っちゃったんだよね」
「ま、そりゃあ本当のこと言ったら幻滅されるからね。20時半に友人に報告するから20時までに!とかさ」
「で、どうするの?本当に付き合うの?」
「うん。なんか私もちょっと好きになったかもなー、なんて」
友人たちは、アユムの告白を何度も再生して聞いては、手を叩いて笑っている。彼女たちの笑顔を見ると、私は幸せな気持ちになる。
女たちは、恋の話が大好きだ。
餌を求める鯉のように誰かの「恋バナ」をいつも求めている。
ふと、今頃どこかの安い居酒屋で私のことを待っているアユムのことを思った。
彼と出会ったのはたった一週間前のことなのだ。
酔っ払ってホテルで眠ってしまったアユムに、こっそり唇を重ねたあの日。
しばらくはアユムとの恋を楽しもう。
私たちは「恋人」になったのだから。
[完]