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先生が嫌いだった私が先生になるまでの話②仕事感も学力も得た部活編。

部活について、受験業界では賛否が分かれるところですが、RADWIMPS(尊敬する)の「正解」という曲にはこんな詞があります。

理屈に合わないことを
どれだけやれるかが青春だとでも
どこかで僕ら思っていたのかな
あぁ答えがある問いばかりを
教わってきたよ
そのせいだろうか
僕たちが知りたかったのは
いつも正解など大人も知らない
喜びが溢れて止まらない夜の眠り方
悔しさで滲んだ心の傷の治し方
傷ついた友の励まし方

RADWIMPS「正解」

この歌詞を借りて、
私が思う部活の意味は

「理屈に合わないこと」
「いつも正解など大人も知らないこと」

これを学ぶ最高の機会である、です。

やる気のなかった中学の吹奏楽部
人数合わせのはずだった高校の演劇部
クオリティーを求め続けた大学の軽音部

どれも「理屈に合わないもの」でした。
そして「正解など大人も知らない」ものだからこそ自らで取り組み、私の価値観の形成、今の仕事感の形成に大きく影響しました。

だから私は”部活は意味がある派”です。

みなさんはどうでしたか?
部活は全く無意味でしたか、それとも有意義でしたか?
とても気になります。

よく生徒さんや親御さんから、
「部活はどうしたらいいのか?」
「受験の邪魔にならないか?」
そんな相談があります。

答えは正直「状況による」ですが、
私は「やりたい!」と思える部活はメリットが大きいと思います。
今日は、そんな私が思う部活の価値を、教育系フリーランス/オンライン家庭教師という教師でも塾講師でもない視点から、少し言葉にしてみます。

(昨今の教育現場事情については、学校の先生は本当に大変だと思います「学校の先生は部活動もやるべき‼︎」という意味ではありません。様々な分業が上手に進むといいなあと思います。)


▪︎基準が低かった中学時代


中学生の部活から得られる教訓は”反面教師”です。

ザ中2病の私は部活を真面目にやるのが恥ずかしい年頃。頑張ったところで大会でいい結果が出るわけでもないし”部活はサボるモノ”と、斜めに構えるのが普通。大した理由もなく部活には行かず、教室で友達と遊ぶ。真剣とは程遠いものでした。
思えば私生活全体がそんな感じでした。勉強も自分なりに頑張っているものの中途半端。成績も中の中。将来への希望も特別ない。

この調子で行けば「部活なんてつまらないもの」と、人生を通して思っていたでしょう。


▪︎転機になった高校生の出会い


そんな中途半端な私は高校受験を失敗しながら進学します。
仲良くなった男子たちと将棋部(帰宅部)に入部して相変わらず「部活=無意味、そんなことより勉強しないとなあ」となんとなく塾に通っていました。しかしこの時期は結局友達と遊び呆け、自分なりにすら頑張っていなかった。

しかし、ひょんなことから人生の雲行きが変わります。
「演劇部が廃部になりそうで、とりあえず5人必要だから入ってほしい」
ある日友人から頼まれ、「いいよ」、困ってるし、人数合わせだけなら、と気軽に二つ返事でOKしました。

「人生の大事なことは予期せぬ所からくる」とはよく言ったもので、
ここが私の中途半端ライフの転機となります。

詳しい話はとっっても長いので割愛しますが、
最初の私はもちろん演劇にやる気も興味もなく、頼まれたからミーティングにいるだけ、絶対舞台になんて立ちたくないめんどうな奴。
卒業前の打ち上げで、顧問に「どう扱ったら良いか、本当に困ったよ(笑)」とネタにされるほどめんどうな子でした。
そんな顧問が、考えた末”照明”という仕事を私に与えました。

これにまさかのどハマりします。イヤイヤ参加した市民文化会館でのワークショップから「光と演者と舞台」の奥深さにどんどんハマっていきました。光の当て方1つで変わる舞台の雰囲気、フロントからの光が作る演者の綺麗な顔、サイドからの物憂げな顔、バックからのアンニュイな影。景色や、感情、雰囲気、それらの情景を光でアシストすること。それは実際に舞台上にはない物を、光を手がかりに観客の頭の中に想像してもらうことでした。その楽しさ、どうしたら伝わるかを考える楽しさ、実際に試す楽しさ、「実際にはないからこそ、あるよりも想像できる」奥深さ。どんどんハマっていきました。

授業中にも真剣に机に向かい、図面を描き続けていました。
映画や演劇もよく見るようになりました。
様々なものを見る目が変わりました。
それが出来上がるまでの時間や努力を考える様になりました。

生まれて初めてこれほど熱中するモノに出会い、大会がどうとかはなくても、ただ純粋に良いものが作りたい。そういう感情を知りました。
自分が好きになれる何かを追求する熱量をこの時に得た気がします。

そして、そんな私の熱量を受け止めて育ててくれる、環境や機会がありました。

どんな環境かざっくり言うと。
・私以外のメンバーの熱量は最初から高かったこと。
・顧問の熱量がダントツで高かったこと。
(それを見せない押し付けない人だった)
・なんやかんや毎日の様に20時ごろまで部活がやれた(自主的に)
・他校と合同で公演をする機会、外部から講師を招く文化があってその時は特に真剣にやっていた。
・夜遅くまで練習してても学校が寛容だった。
・2年生になると自分達の倍以上の人数の新入部員ができたこと。

など、今思っても数々の良いことが重なっていたと思います。
おそらく演劇に取り組むのに、成長するに最高の環境が揃っていたと思います。
それでも大切なのは、どれだけ大きな大会に挑んだかよりも、
どれだけ自分の全力をぶつけられたか。だったと思います。

だから、これはすごく特別なことではない気もしています。

それは中高の部活動自体が本当に特別だと思うからです。

大学生以上等になって、自分達で財源を賄う様になると簡単には使えない様な環境を、学校のおかげで自己負担ゼロでホイホイ使える。周りの大人も”部活だから”という理由だけでなんか応援協力してくれる。
守られて、整えられて、大人になってしまってはできないことが沢山できる時期それが部活。
不遇な部活もあるかもしれませんが、それでも何の後ろ盾もない社会人の集団よりは社会から見る目は違うと思う。

ある種のチート期間で、
本当に何かに挑戦し、全力で熱中するにはこれ以上ない時期だと思います。

そんな部活に励む日々の中で、不思議なことに、成績も向上しました。後輩にカッコつけるために勉強していた気もします。大した学校ではないですが高3の模試で学年1位を取るまでに至りました(一応、京大や旧帝志望の子達もけっこういる中での奇跡)。

▪︎部活のプラス効果


しかし、振り返ればそれは必然で、この時期に、
私の人生の熱量が上がり努力の基準が大きく変化したからだと思います。
努力がそれまでの”自分なり”の枠を超えたことが大きかったと思います。

演劇部を通して、自分が頑張った分だけ誰かが感動してくれる。ということ自分の努力が何かにつながる喜びを知りました。同時に誰かを感動させるにはそれなりに頑張らないといけないことも知りました。

これは部活をそれなりの規模で真剣にやってきた子に共通することだと思います。目標を達成するために必要な時間や努力の量、忍耐や試行錯誤の感覚、この基準は、1000時間理論の様にある程度の共通性があると思います。
全国レベルである必要は決してないとしても、部活に真剣に全力で取り組むことで、基準を見つめ直し、身につける機会は非常に価値があると思います。私も高校生の時にその機会を得ることができました。

もう少し言葉にすると、「とにかく好きになれることにひたすら打ち込んで、自分の努力の基準をあげまくって、さらに社会と比べて独りよがりを脱する」ということだと思います。

さて、しかし私の場合、それで受験も大成功!とならないから人生は難しい。これはまた別のお話。ざーっくり今振り返れば、やはり地頭と勉強期間が足りなかった。それでも、この時期の部活の経験が当時とそれからの人生に大きく影響したのは間違いありません。部活をもっと早く辞めて勉強していれば…とは幸い思いません。部活もやって、勉強ももっと早めからやっておけば良かったとは思います。


▪︎さらにクオリティーを求めた大学生


それでもお陰様で大学には進学できました。
そこで出会うのが”批評会”を通過しないとライブに出れない軽音サークル
(部活並みに真剣なのでもはや軽音部と表記)
高校で得た努力の基準はここでさらに研がれることとなります。
「そんな演奏、人に聞かせるの?」そんなハードな言葉が飛び交う環境にそうとは知らずに入部します。それでも1人1人真剣に大好きな音楽に向かい、自分の演奏の良し悪しで仲間と一緒にライブに出れるかどうかが決まる。だからこそ真剣に練習する。
1回1回、どこかで誰かの涙があるほど真剣な環境でした。
結果みんな超うまい。上手くなる。本当に自信を持ってみんな上手かった(今も上手い)と言える環境が4年生の頃にはできあがります。私もしっかりハマっていきました。試行錯誤と努力、その精度と基準はこの大学生活でさらに研ぎ澄まされました。

身体や知能、感情の成長と共に、技術や自分の使い方も学んでいった様な気がします。きっと生涯この感覚は研ぎ澄ますことができる気がします。


▪そして今


こうした部活経験は今わかりやすく、私に繋がっているとは言えません。
演劇関連の職についてはないし、音楽関連の職にもついてない。

だから一見、部活動は人生の「理屈に合わないこと」で真剣に取り組むことが「正解か知らない」ものでしょう。

それでもやっぱり、部活動が私に与えた影響は大きいです。

そりゃ「もっと勉強しておけば…」とか、大学生も「もっとインターンに行っておけば…」とか「たられば」で思うことはあります。

それでもあの時「理屈に合わない」「正解か知らない」「けど全力で頑張った」ことに価値はあったと思います。(思いたいだけかもしれないけれど)

だから、これから部活を頑張るか迷う若人のには「やりたい!」と思うなら挑戦してみることを勧めたい。
そのために、先生らしく部活のメリットを簡単にまとめておきます。

▪︎部活のメリットまとめ

・人生の熱量が上がる
・自分の全力をぶつけられる
・努力の基準が上がる
・自分の努力を試す機会が得られる
・挫折と忍耐、試行錯誤を知る
・時間の大切さに気づける
(人間は忙しいほうが意外と無駄なことをしない)
・誰かの頑張りを理解できる様になる
・目の前にある物ができ上がるまでの価値を感じられる
・社会との繋がり方を少し知る
・結果、勉強の成績も上がる(かも)

などなどは挙げられます。

私自身はこれらの結果、成績が上がりました。
(中学の頃、私より上位だった多くの人よりも偏差値の高い大学に入れました)

そして今も、
「こだわって働きたい。」
「自分を選んでもらったからには最高のものを届けたい。」
「最高のものを届けるために努力したい。」
そういうマインドを持って一つ一つの仕事を納得して行う。
そうあり続ける様に努力しようとする人間になれました。

これの良し悪しは置いておいても、
思い出して比べていただきたいのは
最初の冴えない中2病中途半端男子だった私です。

そんな男子が、
それなりに人に喜んでもらう何かを提供できる人間。
少なくとも楽しんでもらえる様に努力できる人間に変化しました。

だから私は全力で部活は意味がある派です。

ちょっとした出会いと、それなりの時間をかければ、
人は変われる。部活はそのきっかけになり得る。
と思うからです。

それでも現状の学校の環境を目にすると、学生が終わった目線で世界を見ると、手放しで部活動を推奨できない気持ちもあります。やっぱり学校の分業が進むといいと思う。

だから必ずしも部活である必要はないと思います。
ただ、好きなものに出会うきっかけ、努力の基準が変わるきっかけ、大切な事を学ぶ、勉強以外のきっかけ、全力で何かにぶつかる機会等、理屈に合わないけど大切だと思える物と子ども達が出会う機会が消えないことを願います。
そして、周りの大人が、大変だと思うけれど、全力の熱量を受け止めて育ててくれる環境を与えられるように、願っています。
自分も協力していければと思います。

大切な人生感が育つ出会いが部活にあるように願っております。

駄文をご拝読いただき、ありがとうございます。
また次回、宜しくお願いいたします。

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