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舌だけで健康状態を言い当てられた話

ニューヨークで鍼を受けにいったことがある。長年のストレスが祟ったのか、その頃の私は生きているだけでやっとみたいな状態にあり、なんでもいいから自分の心身を楽にしてくれる何かを探していた。

マッサージ、湯船に浸かる、アロマキャンドルをたく、整体外科で筋肉を楽にする注射を打ってもらう。そういういかにも疲れた人向けのアクティビティを一通りやった後に、じゃあこれもやってみるか、と思って、私は評判のいい鍼灸院の予約をとった。

鍼灸院は、ウォール・ストリートの真ん中の、石造りの装飾が豪華なビルの9階にあった。いかにもニューヨークっぽい見た目と違い、ビルの中は普通のオフィスビル風に改装されており、鍼灸院の看板を掲げたオフィスの中は白い壁とグレーのカーペットにウォーターサーバーと気だるそうな若い受付のお姉さんと、普通の現代のクリニックだった。

ネットで腕がいいと評判の鍼灸師は、中国人のおばちゃん先生だった。個室に案内されて待っていると、背が低く、髪をキュッと結んで眼鏡をかけたそのおばちゃんがきびきびと入ってきて、部屋の隅の椅子に縮こまって座る私の方を見て、優しく声をかけてくれた。正直、家を出るのも人と話すのも怖い時期だった。おばちゃんは簡単な挨拶をしてから「じゃあ、まず今の様子を見るからね」と私の口を開けさせ、舌を見た。そして一目見た瞬間に「甘いものの食べ過ぎね」と言った。

確かに、甘いものを食べ過ぎている自覚はあった。小さい頃は細身だった私は、大学受験のストレスを感じ始めた頃からお菓子をばくばくと食べるようになり、ダイエットなどを経て体重こそコントロールできるようになったものの、今でも疲れるとすぐに甘いものに頼ってしまう。オフィスで働いている時なんてお菓子が食べ放題だったため、一日中カントリーマアムやらクッキーやらチョコレートやらを食べまくっていた。ニューヨークでも、よろよろの体でパンケーキやらマフィンやらを食べにいっていた。「これが効く」「これを摂取すると辛い気持ちから一瞬だけ解放される」と知ってしまった人間の執念とはすごいものである。

鍼灸ってすごいな、中国の東洋医学ってこんなことも分かるのか、と思いながら施術を受け、私はその日家に帰った。

結局甘いものを控えることはニューヨークにいた間はあんまりできなかったのだが、それはおそらく甘いものの食べ過ぎが不調の症状であり原因ではなかったからだった。ストレスがかかる原因があって、それになんとか対処しようとした結果、私の脳が砂糖を欲していたのだ。でも、おばちゃんのあっさりとした一言は、スッと私の心に入っていた。確かに、甘いもの、食べてる。甘いものを心の支えにしてる、私、と思った。そして、不思議なことだが、どんなにネガティブなことであったとしても、自分がしたことがきちんと自分の体に反映されていると知ることは、まともな因果関係がまだ世界で作用していると知るようで、ほっとすることでもあった。

その当時は、ストレスに対応する応急処置として貴重であった甘いものの摂取は制限せずに、まずはとにかくストレスの原因を取り除いて休むことに努めた。そしたら、私はゆっくりと、だが確実に、元気になっていった。甘いものをむやみやたらと食べる回数も減っていった。

だいぶん元気を回復して、東京に帰ってきた今でも、たまに甘いものが衝動的に食べたくなることがある。そして、一発で砂糖まみれの私の体の状態を見抜いたあのおばちゃん先生のことを思い出す。

でもニューヨークでの経験や過去の振り返りを経て、ただ甘いものが好きで美味しいスイーツを食べたい時と、もうなんでもいいから甘いものでストレスを誤魔化したい時との見分けがだんだんつくようになってきた。時期によってもそのバランスは変動するが、前者の方が多くなってきたことに、私は、自分の前進を感じている。

今日もフレンチトーストを食べた。フレンチトーストは私の大好物だ。お皿に乗ったその蜂蜜たっぷりのトーストは、食べていて幸せで、味覚を祝福されているような、とろけるふわふわ加減だった。でも今日は、ストレスに食べさせられているのではなく、私が意識的に食べたくて食べている、と自分で分かっていたため、罪悪感などはなく、ただ楽しく食べていた。明確に食べたいものを食べる幸せは何にも代え難い。

今後も甘いものとはうまく付き合っていきたい。食事をストレス発散ではなく、喜びの時間として味わい続けられたらいいだろうな、と思う。


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