笑って長生きするさ〜
朝七時くらいだっただろうか。
「あ、はいこれ!」
そう言うと、母が私に一万円を差し出した。
「え?どうしたん?何のお金!?」
自分がまだ寝ぼけているのか母が勘違いをしているのか、状況がよく飲み込めずに少し裏返った声が思わず出てしまった。
「あ、この前ほら、あんたが買って来てた芋焼酎、お父さんが知らずに勝手に開けてしまったでしょ?あたしも一緒に飲んでしもて。後で聞いたら、お父さんも知らんて言うし、あたしもあたしでお父さんが買って来たもんてばっかり思ってて、二人でこら美味かなぁて、ほとんど飲んでしまって。あんたが買って来た焼酎やったんやろ?ごめんごめん。これで足りるね?」
「なん!よかとに。一万もせんよ。珍しく店に入荷したけん、無くなる前に買ってただけばい!みんなで飲もうて思ってた焼酎だけん、飲んでくれててかえってよかったよ。そんなに美味しかったなら尚更よかったよかった。だけんお金はいらんばい!」
「よかよか、こんお金は、なら今度盆にでも飲むようにまた美味しいとば買って来てくれ。」
そう言って一万円を私の手に握らせた。
私の母は、現在七十六歳である。
毎月病院で検査をしてもらい、大きな疾患もなく毎日元気である。
朝はグラウンドゴルフに汗を流し、それから庭の手入れをしたり裏の畑の草取りに精を出し、お昼前にはご飯を食べて少しお昼寝をする。
その後また畑仕事をして買い物に出かけ、夕方までクロスワードパズルを真剣に解く。
文武両道というわけだ。
夕方の食事が終わると、友人と歩きに出かけ、いろんな話題で盛り上がったり情報を収集したりしながら頭を活性化させているらしい。
スポーツ観戦が大好きで、今だとオリンピック、そして欠かさずにプロ野球の中継を観てはしゃいでいる。
毎年夏には、東京ドームにも足を運ぶ。
贔屓のチームや選手が活躍した日のスポーツニュースは全部チェックし、二度感激を満喫している。
「何回観ても楽しかもんなぁ!」
と、上機嫌である。
今日はまた、特別な用事で予定が埋まっている。
「もうすぐしたらおっちゃん(母の兄)迎えに行ってそのまま病院に検査に連れて行かなん。それから米とかビールなんかの買い物に付き合って銀行にも用があるらしかよ。それから涼子(母の姪)んとこに魚持って行ってしゅん(私の息子)の就職祝いのお礼ば言うて来なんなぁ。三時頃には戻って来れるどかい?そん後お父さんとイオンに行ってあれこれ買い物して温泉センターに行って来ようかねて思っとる。晩御飯は少し遅なると思うけん、なんかつまみながら待っとってな!」
なんともまぁ、売り出し中のタレントさんのような過密スケジュールだ。
「冷蔵庫に栄養ドリンクのあるけん、あんた飲んでよかよ。連勤で疲れとるど?しゅんが仕事終わる頃には戻って来ると思うけん、まぁゆっくりしとってね。晩御飯はなんがよかね!?なん?あんたが用意するてね?なら甘えようかね。お菓子とかはいらんね?」
そう言葉を残して颯爽と出かけて行った。
そんなパワフルな七十六歳である。
私は子供の頃、母のことを、厳しさの塊で作られた、鉄のような人間だと考える時期があった。
小学生になりたてで、学校から帰ると近所の子はみんなランドセルを放り出して遊びに出かけた。
私は宿題が終わってからしか外には出られなかった。
だから、のろまの私は宿題が終わらず、遊びに行けない日もあった。
みんながお金を持って集まり、駄菓子屋さんで飲み食いをしていたが、母は、「おやつは家にたくさん用意してあるんだから、ちゃんと家で食べなさい。そんなんで仲間はずれにされるようなら、それは本当の友達じゃない」
と、決してお金を持たせてくれなかった。
夜は勉強の時間が決められていて、算数、国語、社会、図工、家庭科、保健体育、今にして思えば、母はほとんど全ての科目に精通しており、時に厳しく、ある時は褒めてくれながらいろんな物事を教えてくれた。
時に大きな反抗心もあったけれど、成長するにつれ、母が厳しく教えてくれた全ての言葉が、その通りだと実感する機会に遭遇した。
「口先だけの人間になるな!」
「いつでも御天道さんを胸を張って見れるような行いをしなさい!」
「やるべきことは早めに仕上げなさい!」
「本番になったら本気を出す。その時になれば真面目にやる。そんな都合のいい話はない!毎日コツコツ出来ん人がなんで本番で力を出せるか?子供のうちにしっかり習慣を身に付けて人格を作っていかないと、大人になってもずっと成長はしない。今の性格がずーっとその人を左右する。だけん今苦労を当たり前って思う人は、大人になってお金持ちになっても質素に慎ましく生活が出来る!」
曲がった行動が大嫌いで、こうと決めたらすぐに行動に移す、それが私の知っている母である。
平成十五年の秋が終わる頃、私は妻を病気で亡くした。
息子が一歳、娘は0歳だった。
私は二人の子を連れ、当時生活していた妻の故郷である新潟から、自分が育った熊本の実家に帰って来た。
三十を過ぎてからの、再出発であった。
家と両親の存在が無ければ、私達は路頭に迷っていたに違いない。
それほど目の前と、近い未来すら見えない暗闇のどん底にいるような状況だったと思う。
子供たちが保育園に通い始めて、最初の大きな行事があった。
歌やダンス、劇などを披露する、年に一度の発表会だった。
息子が持って帰ったプリントに、詳細が書かれていた。
当日はたまたま私の仕事も休みだった。
私は頭を抱える仕草をしながら大きくため息をつき、母にこう言った。
「わぁ、保護者も参加の行事やぁ。仕事は休みなんやけど、お母さん、おれの代わりに観に行ってくれんね?おれは車で待機してるけん。どの家庭も夫婦そろって行くでしょ?しゅんとわかなにもパパだけってのは悲しい思いさせるかも知れんし、おれもちょっと恥ずかしいかな。」
すると母はすごい剣幕でこう言った。
「あんたはなんば言いよっとか!?馬鹿じゃなかっか?なんが恥ずかしいか?あんたはそんな見栄張って何様か?しゅんとわかなにしたらたったひとりの親やろもん?見栄じゃなくて胸を張って行ってやらんか!馬鹿が!!あのな、あんたの行動に全てがかかって来るんぞ。あんたが行事にも参加せんのなら、あぁ、あそこの家庭は片親やけん、しょうがないってみんな同情してくれるかも知れん。あんたがひとりで堂々と行ったら、片親なのに全部の行事にちゃんと参加してすごいな!見習わなんなぁてなる。自分がしっかりして、あの子たちにもしっかりしてもらわんば、亡くなった奥さんは浮かばれんぞ!あんたのためじゃなか!子供のためにしっかりせんか!あたしは代りになんか絶対行かんけん!甘えた事を言うな!!」
私は全く言葉が出なかった。
まさにぐうの音も出ない状況に陥り、下を向いて歯を食いしばった。
自分が情けなく、恥ずかしく、この年齢になっても甘えてばかりで、妻に、子供に、親に申し訳なくなり、体が固まってしばらく動けなかった。
自分勝手でその場しのぎ、軽はずみで醜い心の中を、鋭いナイフでえぐられて、表に出されたかのような気持ちになった。
こんな父親ではダメだ!ダメだダメだ!と、心の中で何度も何度も繰り返して叫んでいた。
当日の朝、母が笑いながらこう言った。
「さぁ、あたしも一緒に観に行こうかね!しゅんとわかなの歌をビデオに撮ろうかなぁ!」
私はとても嬉しくて、母が頼もしく思えた。
私と母は、ステージに一番近い席を取り、手を降って二人を応援した。
あの日の母の説教と、舞台から聴こえた子供たちの朗らかな歌声は、今でも私の心の応援歌であり、希望の光である。
そんな懐かしい思い出を振り返りながら、あれこれ準備をしていると、やがて陽も西の海に沈もうかという頃、父と母が帰って来た。
今日は母の誕生日だった。
息子がケーキを買って帰り、私はお寿司を用意していた。
「ばぁば!誕生日おめでとう!これ、パパとおれからプレゼント!」
そう言って包みを渡した。
母はスポーツブランドのFILAが好きなので、スポーツウェアの上下セットを息子と選んで用意していた。
「あら!ありがと!なんね!ちょっと開けてみよか?わぁこらすごい!欲しかったんよ!今度大きなグラウンドゴルフの大会があるけん、その時着て行こうかね!」
私も息子も安心したように目を合わせて笑った。
「おれの誕生日は三月やけんまだ先かぁ。」
と、父が言った。
「えらいいっぱい買い物して来たね!片付けたらご飯にしようよ!結構いいお寿司用意してるけん!ケーキはしゅんが絵文字入りで予約して特注のを買ってる!」
「ばぁばさ、年に一度の誕生日なのに、一日忙しかったみたいやね?」
と、息子が聞いた。
「ほんとよ!家でゆっくりしてていいのに!」
と、私も援護した。
母は汗を拭きながらお米を下ろし、
「そうやねぇ。生まれて間もない頃とか子供の頃やったら、この世に生まれた日って感覚だと思うとよ。もちろん今でも誕生日は嬉しいよ。こうやってお祝いしてもらってありがたいわ。この年齢になればね、生まれた日っていうよりは、『無事に生きている日』って感じかな。巡り合わせが違っていたなら、お父さんとも出会ってないだろうしあんたも産まれてないし、そしたらしゅんもわかなちゃんもおらん訳よ。もっと言えば、あたしはもうとっくに亡くなってるかも知れん。人に迷惑かけたりお世話したり、バタバタ動き回れるってことはこうやって生きてるってことやと思うけん、誕生日だからこそ忙しい方が幸せなんよ。」
と、目を大きくした。
私は小さい時から、たくさん母に教わった。
そしてまたひとつ、大切な物を学んだ気がする。
嘘をついたらもう一個嘘を重ねないかんくなる。
間違ったことさえせんかったらいつも堂々としてなさい。
偉そうな態度をとるな。偉い人は誰よりも謙虚やから。
結果が全て。練習は結果よりもっと大事。
人に迷惑かけてもしょうがない。その分世話焼きになれ。
子供に気に入られるのは簡単よ。お金を与えてなんでも言う通りにしてあげればいい。けど親は責任がある。嫌われても、生きて行くのに必要な事を教えないかん。親は自分の子に嫌われてもいいて思って生活するんよ。
ミルクとオムツの入ったバッグ持ってあんた達が帰って来た時は、これから先どうなるんやろかて、正直思ったわ。
しゅんも途中で高校に行けん時期もあってどうしよかてみんなで悩んだけども、あんたが仕事を犠牲にしてずっと一緒に過ごして、ちゃんと回復して大学も卒業して、こうやって社会人になってプレゼントまでくれるようになった。親のあんたが、二人三脚で頑張ったからよ。
わかなちゃんも素直でニコニコして、今でも「パパ!パパ!」「ばぁば、ばぁば!」て甘えて来て、あんだけ泣いてばっかりやったのにねぇ。
身体に気をつけて、お酒も飲み過ぎんように。
まだまだこれからやけん。
五十一歳でしょ?ならちょうど折り返したい!
やっぱり誕生日のビールは美味しいわ!
ありがとね。
あ、あんた明日は早番でしょ?
夏バテせんように、お弁当は焼き肉弁当にするけん!
生姜入りのから揚げも入れようか?
大盛り?
しゅんは特盛やったね!
お母さん、
いつもありがとう。
私の記事に立ち止まって下さり、ありがとうございます。素晴らしいご縁に感謝です。