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angelspace
2024年6月24日 05:08
昨日の原初舞踏の稽古の後、あまりにも眠くて不思議なくらいだった。それで、途中の道の駅に車を止めて、そこで仮眠することにしたのだけれど、思いの外よく眠ってしまったようで、目が覚めた時には東の空が白み始めていた。朝靄のかかった田園地帯の夜明けの風景はとてもきれいだった。明るくなってから周囲を見渡してみて思ったのは、このあたりは昔は湿地帯だったんだろうということ。昨日の稽古のテーマが「蛇」だったので
2024年6月10日 10:41
昨日の原初舞踏の稽古で、お茶碗と共に過ごした時間は一生忘れられない体験となりました。物との、包みつつ包まれ、包まれつつ包むの相互包摂の関係はまさに「ふれる」の本質であり、至福以外の何物でもなかったと言えるでしょう。それはずっと求めて、ずっと得られなかったものが、こんなに近くにいつもあったということの驚きでもありました。あるポイントを超えたら、身体が勝手に動き出して驚きました。最も収まりのい
2024年6月3日 07:11
5月の終わり、東京巡礼の撮影の一環として、上野公園で仮面をつけて踊り、とても濃厚な時間を過ごしました。帰りには足がガクガクで身体もヘロヘロになるくらいに集中した感じで、最高に充実してましたし、面白かったです。仮面の深みを経験しているというか、咒具としての仮面の可能性が開かれようとしているというか、まさにそのような実験的な現場にいたと言えるのかもしれません。上野の森にはとてもよい場所がありま
2024年5月17日 09:55
今朝、夢の中でラスボスと戦っていた。やるかやられるか五分五分の中で、うぉーと声を出した時、大丈夫?との家人の声で目覚めた。後で話を聞くと、その唸り声の少し前に「お母さん」と僕が叫んだらしい。これにはまったく覚えがないけど、もしかしたら昨夜noteに書いたことと関係あるのかもしれないと思う。夢の中では何か覚悟を決めたようで、本来は触れてはいけない、玉のようなものに触れ、腹に収めたのを覚えてい
2024年3月13日 12:01
踊りの中で「想起」が起こるということについて、今朝のポストで最上さんが書かれていました。少し長いけどスクリーンショットで引用します。特に前回の稽古の中では古い絹の着物を使ったということもあり、参加した多くの人がそれぞれに意味のある体験をしたように思います。思い返せば、4年前の床稽古の時に、母が出てきて、さめざめと泣いたということを覚えていますし、折に触れ、様々な過去に縁のあった人が立ち現れ
2024年1月16日 10:54
Xのポストを見ていたら、最上さんが昨日体調悪くて動けなかったと書かれていました。そして新年会の踊りでの荒ぶるエネルギーを下ろしたことと関係しているのではないかと考察されていました。実は、昨日は僕も動けなくて一日中横になって過ごしました。7日の本番と、そこから続くエネルギーが、14日の稽古の中で答え合わせされて、必要なプロセスを一気に進めたという感じがしていて、大きなエネルギーが動いたという実感
2024年1月15日 07:00
今朝も3時過ぎに目覚めました。昨日は2024年最初の原初舞踏の定例稽古ということで、考えてみれば、昨年最後の稽古が12月24日、リハーサルが12月29日、新年会本番が1月7日、そして昨日の稽古が1月14日ということで、この3週間の間に、とてつもなく濃密な時間を過ごしたということと、それらの結果、自分にとって大きな変化があったということを実感することになった、昨日の稽古でした。身体の中で何か発酵
2024年1月13日 07:47
昨日のnote「一里塚」の中で、このように書きました。ある意味、いいも悪いも含めて、今の自分を受け入れられたということなのだと思うのですが、今朝目覚めた時に、今までより客観的に振り返りができるようになっていたと思います。足りなかったのが何か、どこが見えてなかったのかがわかったような気がしたのです。練習していた頃から、リハーサルを経て、課題になるところはいつも同じだったのですが、どうやらそれ
2023年3月4日 23:48
今日は1月の関西ヌーソロジー研究会のレクチャーからの切り抜き動画が配信されていました。世の中はいろいろ不穏な情報で溢れていますが、この川瀬統心さんの話しぶりを聴いていると、ヌーソロジー的な世界観が見えてくることで、人間がどのように変化していくのかということがわかる感じがします。ことわりが見えることで、今の位置がわかることで、人間は不安や恐れから解放されるのだと思うのです。むしろ、これから起こる
2023年2月27日 13:52
昨日の稽古の中で、スローは少し変わったシチュエーションを取り入れて行われた。いつものようにお茶碗に向き合って座る人の後ろに、その人を見守るように一人が座る。ともに舞台上手から歩いてきて、自分の場所に座り、見守り手はその後ろに座る。そして前の人はいつものようにお茶碗に向き合い、ゆっくりとお茶碗に触れ、それを口元に運び、唇を触れ、水を飲む。そのプロセスの中で、後ろの人がいることで何が変わる