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包みつつ包まれ、包まれつつ包む

昨日の原初舞踏の稽古で、お茶碗と共に過ごした時間は一生忘れられない体験となりました。

物との、包みつつ包まれ、包まれつつ包むの相互包摂の関係はまさに「ふれる」の本質であり、至福以外の何物でもなかったと言えるでしょう。それはずっと求めて、ずっと得られなかったものが、こんなに近くにいつもあったということの驚きでもありました。

あるポイントを超えたら、身体が勝手に動き出して驚きました。最も収まりのいい位置に茶碗を運ぶと、茶碗が僕で僕が茶碗という感覚になり、まさに喜びの渦の中にいるようでした。このために生まれてきたと言ってもいいような、そんな強度を体験した感じがします。

終わってからもしばらく戻って来れなかったくらいに深く入り込みました。今でもあの感覚を思い出すと意識が飛びそうになるほどです。この感覚は先月上野で仮面をつけて踊った後、戻るのにとても時間がかかったというのに似ています。許されるならそのまま茶碗を手にしたまま何時間も浸っていたかったという感じでした。

他の方の稽古を見ていた時、茶碗と向き合ったまま泣き出した人がいて、それはとても魅力的な瞬間でした。後で話を聞くと、全てが花に変わるような体験だったようで、まるで花咲か爺さんの話だなと思いました。

たしかにあの空間の中には花咲か爺さんに通じる何かがあると思います。至福の創造空間とでもいいますか、またそれがごくごく身近なところにあるというのが驚きです。

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