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家族団欒を知らない私は、独りで過ごさない夜が欲しい。[後編]

前編はこちら

母の食事が気に入らなくて、泣いてしまったこと。

それが意味するものを知りたくて、私はカウンセラーである友だちにLINEをしました。

——— 4:23 AM

起きてる?  そうLINEを送ると1分も経たぬ間に返事が来ました。
私は母の食事のこと、自転車で横転したこと、夜中のチートも白状しました。

『そっか、精神面と身体的にもダブルパンチだったんだね』

「食において涙するのって、ちょっとヘン?」
『うーん、確かに一見変わった内容だけど、物事には必ず理由があるからね。興味深いよ』

私は、母の食事で涙が出たことをただ事ではないと知っていました。
何故なら、その涙も感覚も “はじめてのこと” ではなかったからです。

今回のように  お腹が空いているのに出てきたものが好みでなくて  泣く。
他には  ウーバーでクレカ決済が上手く処理されず注文できなくて  泣く。

食べたかったのに、という気持ちで泣くことが実はこれまでもありました。
自分でも 泣くほどか? と思うのですが、私には何故か泣くほど悲しい出来事なのです。

まず一つ、今回の母の食事においては “罪悪感“ があることが分かります。
せっかく母が作ってくれた食事に駄々をこねてしまった、満足に食べられなかった罪悪感。

ウーバーにおいては、食べたいという期待に沿う結果でなかったことへの “失望感” 。
私は食事を楽しみに生きているところがあるので、1日3度しかないその機会が期待通りにいかないと、心残りというか悔しさを感じるのだと思います。

“母への罪悪感” と “期待と失望”
しかし私にはもう一つ、その奥にある感情の存在にも気が付いていました。

それは “貧しさ”

友だちに、食事に関することで我慢せざるを得ないような状況になったことがあるか、と訊かれました。
確かに両親の離婚当時は、モヤシが大活躍の節約ゴハンが多かった気がするけれど、空腹を我慢する等といった経験はありません。
むしろ離婚後も父と関わりがあった私は、素敵なレストランにもよく連れて行ってもらった記憶があります。

食事以外にも、ピアノやギター、ダンスなどの習い事もさせてもらっていたので、母子家庭が故の経済的な貧しさは、感じず過ごすことができていたと思っています。

では “貧しい” とは一体何なのか。

『いつかはわからないけど、実はなずなちゃんがめっちゃ我慢してることがあって “また我慢しなきゃいけないのか?” って苦しくなるのかな、と思ったんだけど。ピンとくる?』

友だちからのLINEに、また涙がこぼれ落ちたのはピンときたからでしょう。

——— 私には、バーテンダーの父、専業主婦の母、年子の兄が一人いました。
しかし8歳の頃に両親が離婚、9歳の時に兄が家出し、10歳の頃からずっと母と二人で暮らしています。

父が居た頃から、その仕事柄、夕飯は母と兄と三人で食べることが多かったし、昼になっても父は寝ているか出掛けていて、家族四人で食卓を囲む機会など殆どありませんでした。

母と二人になってからも、母は朝から晩まで働き詰めで、私は学校から帰宅すると作り置きされたご飯をレンチンして、テレビを観ながら一人で食べるのが日常でした。

その日常は私にとって “寂しい” や “孤独” を象徴するようなもので、それ故に作り置きの定番であるシチューやカレーといった食事には良い印象がなく、大人になった今も特別好んで食べません。

そんな環境で育ったから 食事が楽しいものである という風に思えなかったのだと思います。
それを私は物理というかパワー系、ゴリ押すのように 食欲を満たすこと で、なんとか食事の楽しさを補ってきたのだと思います。

時に、お腹が空いていないのに食べてしまうことがあったのですが、これもきっと別の何かで感じたストレスを、得意の方法で埋めようとしている行動なのでしょうね。

——— そして今回のように、食事を物理でも楽しめなった時。
それすらできないのか、と悲しくなってしまうのは、幼少期の一人で過ごすしかなかった夜の孤独がぶり返すから。
だから涙が出てしまうのだとわかりました。

寂しかったあの夜を、孤独だったあの夜を、思い出してしまうから。

もう夜を、独りでは過ごしたくないから。

当時は他の家庭がどんなものなのか、普通が分からなかったから、自分の環境に疑問を持つこともできませんでした。
しかし今思うと本当に、孤独な子供時代だったと思います。
よく耐えたね、頑張ったね、と自分を抱きしめてあげたくなるのはこんな時です。

だけどこの孤独には、もう少し奥があることに、私は今朝気が付きました。

母の食事を嫌うこと、それは母を嫌うことにも繋がるように感じていて。

当時、私の周りには母以外に頼れる大人が居ませんでした。
父も責任感のない人だったし、祖父母や親戚とも関わりがありませんでしたから、唯一頼れる大人である母を嫌ってしまうと、私は実質的な意味で独りになってしまうのです。

たとえ母の食事が嫌いでも、それを食べなければ私は生きることができない。私には他に生きる方法がなかった。
母を嫌ってしまうと、私はすべてを失ってしまうような気がしていたのだと思います。

他に頼れる大人が居ないから、生きる為には、私は母を嫌うことさえも許されなかったのです。

母は私とは違う人だと割り切ったり、母に対する嫌悪を正常に感じられるようになったのは、つい最近のことでした。

“貧しさ” は、不十分な愛情や愛着といった心の貧しさ。
豊かではなかったという感情を意味しているのだと思います。

あまり良い気持ちになれる答えではなかったけれど、私はまた一つ、自分を知ることができたのでした。

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