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透明でありたい

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透明でありたい

最近の記事

無題

最近は家族が死ぬのが怖い。ずっと同じではいられないってわかってるけれど、今のままで生きていたい。20代前半は、とにかく一人でなんでもできるようにと生き急いだこともあるけれど、20代後半のわたしは、ある程度は頼ったり頼られたりしながら生きる部分も持てるようになった。うまく逃げることだって覚えた。多分まだ足跡は残してしまうけれど。 とは言え、家族のようにそういうやりとりができる相手がいるかと聞かれると、ついどこか線引きしてしまうことが多くあまり思い浮かばない。し、これはまだ自分

    • わたしのいのちをつかう

      ここのところ、1年を振り返る場としてnoteを使っているので2023年も書き連ねてみる。 まずは、うれしかったことを三つ。 ひとつめに、友達と顔を見て話せる機会が増えたこと。それはわたしが待ち望んでいた《対話する相手》ができたということ。日記はある種の壁打ちみたいなものなので、会話のなかで気づきを得たり思考が深まったりする時間は貴重だった。あなた、と呼ぶことのできる特別な相手は一人じゃなかったよ。 ふたつめに、お金以外の価値を見出せたこと。偶然のご縁が重なってフリーペー

      • 品番のない香水

        明け方の雨で色が濃くなった道路。あおいろの熱を帯びた髪。西瓜を頬張って腫れたくちびる。私にしか、できっこない、なんてことはないんだけれどね。慌ててカメラを構えるも、天使たちは姿を消した。ぎこちなく抱きしめられるのにもすっかり慣れて。今日もどこかで孤独が死んだ。日記以外は、全部見ていいよ。どうせ何にもわかんないからさ。 わたしという生き物は、布団の上でも、電車の中でも、等しく涙が流れるタイプ。特別我慢しようともしないせいもあるけれど、涙がぽろぽろと頬を転がるのは日常茶飯事。そ

        • only for us

          おひさしぶりです。anoです。 まるっと1年ぶりにnoteをひらきました。 ことばを大切にしようとすると、想像以上に慎重になってしまう。こういうのは自分の内側だけにそっと留めておこうって、もごもごしているうちに365日も経ってしまったようです。 健やかな生活。よく眠って、働いて、きちんとご飯を食べて、お風呂に入って。生きてゆくなかで知った理不尽にすこしずつ慣れてしまうことが苦しかったけれど、からだに怒りを溜めないようにすれば、だいじょうぶ。大丈夫。 わたしの近くに変わ

          U are my lemon

          皆様、お久しぶりです、anoです、○ 社会人としての生活が始まってから 平日と週末に境界線が引かれてから 私はわたしを幸福にするためだけに 時間を費やしてきたつもりでしたが やっぱりすこし息切れしております。 もともと得意だったわけではないし。、 ということで、 手紙を書こうと思ってポストカードを 選んでいるとピッタリのいちまいが、! ‘ 疲れているときには檸檬を頭に浮かべてね ’ という一節が添えられている グリーンとイエローのみずみずしい檸檬。

          U are my lemon

          step

          あけましておめでとうございます。anoです。 2022年。happy holiday という表現を知りました。元日も単なる祝日であると思えばホッとする。使ってみようと思うのだけれど、恥ずかしくて。結局、時候の挨拶は変わらなかった。のも、私らしいでしょうか。 みなさんはどんなお正月をお過ごしでしょうか。わたしは、2020年1月1日の日記に救われて息をしています。 また、あたらしく、1が、くるだけ。 そんな一節に励まされるのは、慎重な性格のせいでしょうか。何事も手放しでは

          不恰好な球体

          徒然なるままに、から始まる文章と出会ってから10年が経過したらしい。スケジュールに余白がない日々を徒然と呼ぶのは許されるだろうか。言葉に縋らずとも死ななくなったわたしに。 睦月。太ったり、痩せたり、私って月とお揃いだね。祖父の命日に祖母と母が部屋を温めて私の帰りを待っている。わたしの純度を保つための孤独。無責任なプロポーズに目を潤ませて。透明のマスカラに心躍った。 如月。重力と引力の関係はやめました。別に反抗したいわけではないけれど、飼い慣らされたくもない。海。あさのうみ

          不恰好な球体

          アーモンドミルク

          ちゃお。anoです。明け方の雨が嘘みたいに眩しい夕刻。いつもの日記では物足りなかったので書き留めてみる。 個人は等しく孤独である。自分と同じ温度の感情を渡すことはできないし、貴方と同じ色を映すことはできない。五感の全てを使い果たしても、それ以上に、交わることができない、境界線がある。 なんて、分かっているつもりだった。以前は理解できなくて(したくなくて)身を削ってでも、自分の感情を相手に飲ませようと、相手の感情に混ざろうと、したこともある。けれど、どれもこれも、ますます、

          アーモンドミルク

          丁寧な梅雨の過ごしかた

          ちゃお。anoです。 梅雨は湿気で髪が巻けなくなるので少し憂鬱。気圧も下がるし、布団からでるのも億劫。外を歩けば濡れた傘に気を遣うし、いつもの最寄駅がずっと遠く感じる。 でも、たまに気まぐれな風が首元を通り抜けて、すーっとすると、ひんやりしていて、きもちいい。雨の日も悪くないな。なんて、思う瞬間もある。いつもより静かで雨粒の音しか聴こえない真夜中は孤独な自分と向き合うのにちょうどいい。 なんて、言ってみても、やっぱり疲れるよね、あめのひ。 相変わらず、選択と葛藤だらけ

          丁寧な梅雨の過ごしかた

          美しさとは何か。

          ちゃお。anoです。 いま、わたしは、うららかな春の風に包まれて、とてもしあわせなきもちです。ほんとうは、明日のゼミで使う資料をまとめなくてはならないし、水面下で書いたり消したりを繰り返している原稿も進めたいし、そういえば、履修登録も終わっていない。やるべきことはたくさんある。が、今日は特別。言い訳をしてでも、noteを更新します。 何と言っても、今日の私は休日なのです。久しぶりに予定のない日。予定がない、というのは、やるべきことがないという意味ではなくて、誰かとの約束が

          美しさとは何か。

          目を逸らして、春。

          何も生まれない。何も紡げない。 雲のように形のない想いを。 水のように色のない言葉を。 どこを探しても見当たらない。 何も生み出さない。何も紡がない。 これはれっきとした意志である。 見るに堪えない言い訳と。 眠るに堪えない夜を越え。 漂うだけのたましいを。 鈍い痛みと共に去ぬ。 甘い星型のクッキーと。 未明のほしを廻るテロメア。 不健康があるから健康があります。 愛おしさすら疑って。 貴方の筆圧を覚えていました。 玄関のタイルが心地よいので。

          目を逸らして、春。

          混沌。なんて、わかりやすい二文字にまとめないでよ。

          これは、泣き言であり、今日を生きた証であり、私がわたしであるゆえ逃れられない絶望であり、疑惑だらけの祝福であり、自分勝手な悦であり、雑踏に隠した秘密であり、黄金糖より甘い溜息であり、白昼夢のような言い訳である。 感情は誰にも渡せないから、言葉はいくつも含むから、なんにも言えない。日々、外から見たら、つまらない奴になっていく気がする。誰も隣に座りたがらない気がする。わたし、ここにいちゃ、いけない気がする。いっそ、透明になれたら良かったのに。 コバルトの絵の具をそのまま広げた

          混沌。なんて、わかりやすい二文字にまとめないでよ。

          柔らかに広がる湯気のように形はなくともあたたかく

          ちゃお。anoです。今日は大切なお話をします。 なんて言いましたが、そんなに構えないでください。「良い話と悪い話、どちらを先に聴きたい?」なんて。駆け引きをしたくなる日もあるけれど、大抵のことはコインの裏と表なので、今日は日常で特別です。 とか、また、話が逸れてしまうので、本題に入ります。 さて、この広い世界の中で私を見つけてくださった全ての方に質問です。あなたにとって、私はどんな人間でしょうか。それは、私の知っている私と同じ色や温度でしょうか。そして、あなたの世界に、

          柔らかに広がる湯気のように形はなくともあたたかく

          ノンカロリーシュガー

          ちゃお。anoです。 課題をほおって、noteにいます。よろしくないと思いつつ、きょうはそういう気分なのです。うまく、まとまっていないかもしれない。けれど、書きたいので書きます。 5年ほど前、わたしがまだ、大学生になりたての頃。大学デビューを目論んで、髪の毛をすこしあかるく染め、色んなともだちに声をかけ、にこにこしていた、18歳、夏。はじめての恋人に、浮かれる、わたし。 あるとき、高校時代の恩師や、社会人楽団の先輩といった、干支が二周りほどちがうおとなたちと、焼き鳥屋さ

          ノンカロリーシュガー

          あさとよるの関係性は、きみに宛てた手紙と、すこし似ている。

          あさ。あさは、こころが、しずかだ。 まぶしい光のわずらわしさや、ふとんとからだのぴったりとした感じ、すきなひとと食べる朝ごはん、へんなくせのついたまえがみ、せなかごしにかける、いってらっしゃいのこえ。おまけに、わすれものない?も。 ぜんぶ、はじまるまえの、あさ。 めがさめて、ほんとうにすぐのわたしは、なにいろでもなくて、なにものでもなくて、くうきとわたしのさかいめをさがしているような。とびきり、さいしょのあさは、だいたい、そんなふうなのだ。 だから、そんなあさに、あた

          あさとよるの関係性は、きみに宛てた手紙と、すこし似ている。

          価値

          やっほ。anoです。 最近の日課は、寝る前に「きょうのしあわせ」を3つ日記に書くことです。例えば、今日だったら、①おばあちゃんちの畑の野菜たちが雨粒を纏ってぴかぴかだった、②面倒でも積み重ねることの大切さを感じた、③たまごボーロが美味しかった、みたいな。(笑) この習慣を始めてから、ちいさな出来事にも焦点を合わせて、そっと掬えるようになった気がするし、3つ思いつかない日は、今からでも自分に少しご褒美をあげようって、適度な休息の目安ができたし、以前よりも、わかりやすく、日々

          価値