#6 「KYOTO SCHOOL TRIP GUIDE Vol.2」が完成しました。
なんだかずいぶんとごぶさたの更新になってしまったこの編集長日記。そして気がつけば今年最初の更新でもある。更新が滞った理由は、年が明けてからというもの本業であるコピーライター(といっても自分でもなにが本業なのかよくわからなくなっているのだけれど)の仕事がずっと忙しかったから。そしてその理由はというと、シンプルに京都に観光客が戻ってきたからだろう。京都市観光協会さんやホテル、海外への情報発信を考える企業さんなどから、すこしずつではあるけれど、京都の観光客に向けた情報コンテンツの作成を積極的にやっていこうという気運が感じられるように(ほんとうにようやく)なってきた。
そして、よりによってこの忙しくなったタイミングで、ALKOTTOメンバーが編集や取材、記事の執筆から英訳を担当する冊子「KYOTO SCHOOL TRIP GUIDE Vol.2」の制作作業が佳境を迎えていた。なんといっても初めて編集作業をするという1年生の中心に12ヶ所の取材を敢行したことも多忙に拍車をかけていた。何しろ取材や執筆そのものよりも、先方への確認作業やデザイン化などにおいても、なるべく意見を出しあってもらいながら、ポイントは教えつつ、先方確認では下手を打たないよう入念にアドバイスして(しかも相手は絶対に下手を打てない有名なお寺さんや神社の方々)、とにかく体験してもらうことを念頭に進めながら、さすがに年度内には納品しないと、というプレッシャーもあったので、まあこれ単体だけでもふつうに大変な作業ではあった。今回はそのまとめをここに記録しておきたい。
「カワイイお守り」という切り口でスタートした第2号の編集会議。
「KYOTO SCHOOL TRIP GUIDE」について、まずはかんたんにおさらいをしておこう。この冊子は「日本全国の中学・高校に向けた、京都への修学旅行用の事前学習ツール」というコンセプトで昨年度に初めて作られたもの。今回はその第2号というわけだ。
もともとは5年前からENJOY KYOTO内に掲載する京都外国語大学の広告を学生自身に作ってもらおうと始まったプロジェクトだったのだけど、コロナ禍にあってENJOY KYOTOが休刊してしまっているので、かわりにと作ったのが「KYOTO SCHOOL TRIP GUIDE」だった。
そのへんの経緯はこちらで詳しく書いています。
昨年のVol.1では「お寺や神社でお茶しよう」というコンセプトで、京都の有名な寺社仏閣や二条城の中にあるお茶屋さん&カフェを紹介。その記事をウェブ化したものがこちらのマガジンになっているのでよかったらこちらも読んでもらえたら。
さて、その第2号となる今回は「お守り」がテーマ。じつは第1号が昨年の春先に完成した直後の4月、新学期になって15人ほどの新入生が入ってきて、それでせっかくたくさん入ってきてくれたのだからなるべく発信できる場を多くして、みんなにこの活動を知ってもらおうということで、このnoteのアカウントが7月にできた。そしてその直後からこの「KYOTO SCHOOL TRIP GUIDE Vol.2」の企画や編集コンセプトを考える会議を始めたので、制作期間はおよそ8ヶ月。なにせ第1号を経験した上級生は編集長を担当してくれた最上級生で3年生の倉谷あゆかさんと、サポート役を務めてくれた2年生の剣物真桜さんのわずか2人で、逆にこないだまで高校生だった初心者15人になるべく満遍なく役割を振り分けつつ、みんなのアイデアや意見を聞きとり、足りない部分は補い、状況をその都度共有しながら進めていくわけなので、それはまあとにかく時間がかかるわけである。
でもまあプロであれば4ページの冊子を8ヶ月もかけてつくるなんていう贅沢なことはなかなかできないわけで、ぼくとしても最初は「いやいやそんな悠長なことはやってられないんだよなあ」とじわじわと焦りを感じながらカレンダーと睨めっこしたりしていたのだけれど、途中からは「まあもうどうせなら年度内に収めればよしとしよう」と割り切って、それならなるべく多くの経験を彼女たち自身でできるようにと、すこし遠目から見守ることにした。そしてそれはうまくいったし、いつも締め切りに追われながら仕事をしているぼくにとっても貴重な経験にもなったと思う。「終わらない仕事はないし、終わったときにたいていのことはうまくいくものだ」。これはぼくが長年にわたってこの業界で仕事をしてきた経験に裏打ちされたある種の教訓であり、そして今回もまたそれは証明されたわけなのだ。
今回のテーマを「お守り」にするにあたっては、それこそ、じっくり時間をかけて議論を重ねていった。詳細については割愛するのだけど「源氏物語」や「体験型観光」、「アニメや映画の聖地巡礼」などなどのアイデアがあったなかで、ひとまず「お守り」でいこうと決まったのは夏休みの直前、7月の中旬ごろのこと。そこで学生たちはいったん夏休みに入る。じつはこのプロジェクトに参加してくれているメンバーに京都出身の学生が一人もいないというのもおもしろい。そんなわけで帰省する子などもいて、夏休み期間中は学生たちの活動が休止となる。そこで、そのあいだにぼくなりにお守りについて調べてみると、おもしろいことがわかってきた。じつはお守りの起源(もちろん例によって諸説ある)のひとつとして「旅の安全祈願」だったというものがあって、それがぼくの興味を惹いたのだ。
平安時代、貴族たちによる熊野詣が盛んに行われるようになったことで、旅の安全を祈願して、とくに女性たちが身につけていたといわれる懸守。中には小さな仏像やお経などが収められていたのだそうだ。それまで呪符や護符あるいはお札だったお守りを、袋などに入れて持ち歩くようになったのは、この旅の安全のために身につけて持っていくことが、そのはじまりだったのかもしれないなあと想像できる。そう考えると今回、京都の外国語大学の、それもグローバル観光学科の学生たちと、英語で京都の文化を紹介するにあたって、旅の安全祈願を起源に有する「お守り」を選んだことは、なんとも必然だったような気がしてくるのだった。
神道と仏教と道教と民間信仰とが混ざり合った民衆の拠り所。
学生たちと一緒に取材したのは12カ所の神社・お寺。歴史や由緒あるところもあれば、比較的新しく建てられた神社ものあったのだけど、いずれもネットや雑誌で名前の知れたところばかり。なんとなくどういういわれがあり、どういうご利益で知られているかくらいはすでに聞いたことのある場所ばかりだったけど、今回はとくに「お守り」という視点で取材をしたことで、興味深いというかいままで考えたことのない発見のようなものもあって、物書きとして純粋に楽しい取材ばかりだった。
とくにぼくが惹かれたのは、ご利益というものを通して、その時代その時代に生きた人々の生活に根ざした信仰心である。教科書やネット記事などで見聞きしていた偉大な宗教家たちによる崇高な思想としての仏教や神道でもなければ、貴族や武士たちがその権威の栄華を祈願するための寺院や神社でもなく、飢えと貧困と戦乱に苦しめられ、過酷な中世や近世をただただ生き延びるために現世利益を求めようとする庶民の懸命に生きようとする姿が目に浮かんでくるような気がしたからだ。
とくにそれを顕著に感じて印象的だったのが、北野天満宮と若宮八幡宮、そして八坂庚申堂でのお話だった。くわしくは学生たちそれぞれが取材して書いてくれた記事を読んでもらえればと思うので、ここではぼくなりに感じていたことをかいつまんでかんたんに記しておきたい。
まず北野天満宮は、いまでこそ「学問の神様」として誰もが知るところであるが、じつはそのイメージは江戸時代に全国の寺子屋で学問の神として祀られてから浸透したものだということが宮司さんのお話でわかった。
また若宮八幡宮は現在の所在地が清水焼の窯元が多く集まるところだったことから、陶器神社を合祀。いまでも夏に行われている例大祭にあわせて、京都の窯元が集まる「五条坂陶器まつり」を開催している。
そしてとりわけおもしろかったのが八坂庚申堂さん。正式名を金剛寺といいここはお寺なのだが、もともとは道教と仏教、そしてそこに人々の生活や風習に根ざした民間信仰が混ざり合っている。庚申信仰やコンニャク炊きの話はものすごくおもしろいので、この機会にぜひ知ってもらいたい。
ほかにもサッカー日本代表やJリーグのチームが参拝することで知られる白峯神宮や、「縁切り縁結び碑」で有名な安井金比羅宮、理容業の人たちが建立した新しい神社である御髪神社などユニークなものが多くあるが、共通しているのはその時代に生きた人々の苦しみや悲しみを反映した信仰が、おそらくは民衆の側からある種の民間信仰的なかたちで望まれ、それに神社やお寺が応えるかたちで「ご利益」が形成されていったのではないかと個人的には感じたのだ。それはある意味では世俗的で下等な信仰だと批判する人もいるかもしれない。宗教とは本来はもっと崇高な理念と思想の実現を掲げ、修行によってそれを実現する求道者的なものでなければならない、と。ぼくも正直なところこの取材をするまではそういうふうに思っているフシがないわけでもなかった。
でも時代も由緒もご利益も、それぞれにさまざまな背景を持って生まれ受け継がれてきた神社やお寺の話を伺っているうちに、おそらくはその時代時代の人々にとって、それらの願いは切実であり(たとえそれが現世利益的で刹那的で自分本位なものであったとしてもだ)、そしてそうした祈りにも似た民衆の思いに応えることこそが、宗教としての寺院や神社の使命であると考えれば、由緒がどうだとか、最近できた歴史のない神社だとか、そんなことはどうでも良いのではないかとさえ思うようになった。かわいいお守りがあって、受験にいいらしいからお参りに行ってみよう。それはそれでいいんじゃないかな。ぼくはそう思う。今回の「かわいいお守り特集」には、じつはそんな裏メッセージが込められているのだ。
プロのクリエイターと大学生との協働によるメディアの意義。
取材が終わったら次は記事を書く作業。こちらも12個あるのでなかなかたいへんだった。学生たちも初めてのことでたいへんではあるけれど、彼女らはひとつの記事を書けば良いのに対し、ぼくはといえばすべての原稿に目を通し、修正を指示し、場合によっては大きく書き換えたりした部分もあったりするからだ。ただ、みんな取材も記事執筆も初めてという18歳、19歳の学生にしてはしっかり書けていた。もちろん取材にぼくも一緒に行ったし、その場で話しながらポイントを共有したりもしていたこともあるだろうけど、当初は全部自分で書き換えることになるんだろうなあ、と覚悟を決めていたので、これはうれしい驚きだった。
原稿が完成するとそれぞれ取材先の神社やお寺に原稿の確認をお願いするのだけど、これは京都ライターあるあるで、神社やお寺はメールがないところがまだ結構あって、FAXでのやりとりになる。場合によっては持っていったほうが早いんじゃないか?と思うこともあるのだけど、それはそれでご迷惑なので、決まった手順通りにいったんFAXをお送りすることに。それでも以前に比べたらさすがにメールで対応いただけるところが増えたと実感。FAXだと送ってもけっこう梨の礫みたいなこともありがちだけど、返信も早くて修正も少なく、やり取りもスムーズだった。時代は進む。神社だってお寺だって、時代とともに変化しているのだ。
それとスムーズだったもうひとつの理由は、やはり取材者が学生だからというものあったとは思う。今回の取材先でもふだんはあまり取材を受けていらっしゃらないようなところや、チェックがとてつもなく厳しかったり、場合によっては強いお叱りを受けたというような話を聞くこともあったのだけれど(でもそういうのってよくよく聞いてみると取材側の対応がマズかったりするケースがほとんどだったりするんだよなあ。とくにテレビ)、神社やお寺はもちろん飲食店なんかでも、学生さんにはみなさん優しく接してくださることが多い。学ぶ姿勢を持った若者が真摯に尋ねていけば、多少の不作法や不躾には目を瞑って、快く応じてくださるケースがほとんどなのだ。それが京都の良さでもあるなあといつも思うし、ぼくが大学生と協働でこのささやかなメディアを運営していて感じる意義のひとつでもある。これは商売ではなくある種の研究であり、伝統文化を若い感性で新たに解釈し、再定義していくプロジェクトであるのだ。それをわかっていただけているからこそ、京都の誰もが快く取材に応じてもらえるのだと。
さて原稿チェックが終われば翻訳作業。これも学生自身で取り組んでもらっている。もちろん最終的にはENJOY KYOTOで翻訳を担当してくれているネイティブでプロの翻訳者によるネイティブチェックが入るのだけど、そのネイティブの翻訳に対しても臆せず自分の意見を伝えたり、この文章の解釈はどういう意図なのか?と質問したりしてくれていたので、とっても心強かった。
そしてまた、今回はデザインについてもどんなレイアウトがいいか?フォントは?写真と文字のバランスは?などなど、みんなで意見を出し合ったのだけれど、意外とこれに時間がかかった。まあ考えてもみれば文章についてはみんな高校までに作文や小論文を書いた経験があるだろうし、しかも外国語を学ぶ学生ばかりなわけだから、ある程度は文章というものに親しんでいる人たちばかり。ぼくから出される指示や話す意図がそれなりに通じるのだけれど、デザインについてはまったくの未知なる世界なのだから、あたりまえといえばあたりまえだった。デザインに関する引き出しがまったくない学生たちと話すには、まずは引き出しを作るところから取り組まなきゃいけない。そのための準備(デザインサンプルだったり、イメージの近い雑誌だったり)も必要だし、デザイン業界におけるローカルな共通言語を廃して、学生たちにわかるような言葉で伝える努力もしなければならない。そこで、これもぼくがふだん一緒に仕事をしているデザイナーにも大学に来てもらって、その場で直接やりとりしてもらう時間を持ったことで、やりたいこと、やるべきこと、できないことなんかがクリアになった。美大や芸大でなく、外国語大学の学生(それもまだ1年生)にとっては、なかなか得難い貴重な機会になったんじゃないかなと思う。
ともかくそんなわけで、制作期間8か月による力作がこの3月にようやく完成した。紙面ではスペースの関係でお守りに関してのことを簡潔に紹介しているのだけど、神社やお寺の由緒やご利益なんかについて詳しくはnoteのマガジンにて書いているので、こちらを読んでもらえると、ここでぼくが長々と書いてきたことの本質がわかっていただけると思う。
ALKOTTOは「観光」と「編集」を同時に学ぶラボ。
ALKOTTOは学生主導のプロジェクトなので、当然のことながら4年生は「卒業」というかたちで、なかば強制的にチームを離れることが運命づけられている(なんだかAKB48みたいだ!)。第1号のときには取材や後輩たちの指導、チームの取りまとめに携わってくれた松波英里さん、大原での農業のプロジェクトと掛け持ちでがんばってくれた藤松桃葉さん、そして2年次でリーダーを務めてくれた長田華歩さん(彼女は4年になっても就職活動の合間に顔を出して手伝ってくれた。ありがとう!)はじめ、1年生のころから関わってくれた4年生たちはこの春ついに大学を卒業して、新しいステージへと旅立っていった。
また、このプロジェクトにおいては活動の中心となるのは3年生で、4年生になると同時に就職活動と卒業論文のために実質引退ということになる。つまり第1号と今回の第2号で編集長を務め、コロナ禍もあって同学年のメンバーがいないなかで、たった1人でがんばってくれた倉谷あゆかさんも、新学期からは4年生になるため、ひとまずプロジェクトリーダーの重責からは卒業となる。ただし彼女は新リーダーとなる剣物真桜さんのサポート役として、しばらくは引き続き関わってくることになっている。
大学でのプロジェクトの宿命であり、ぼくとしては経験を積んでくれてようやく戦力になると思った途端に卒業していってしまうので、まあちっともラクにならないわけだけど、それでもやはり学生との協働は楽しいし、変え難い喜びがある。通常の50代の物書きならば失われてしまっていてもなんら不思議ではない、フレッシュな驚きと原点回帰的な発見とに満ちている。なにより、あくなき探究心と向上心を持ち続けていくことについては、このプロジェクトの存在が、ぼくというクリエイターの老化を食い止めてくれているとさえ思っている。40歳を過ぎるとライターとは名ばかりでライター講座を本業にしているような人が多いなかで、ぼくがいまでも多くの仕事を継続的にいただけて、かつフレッシュな気持ちで取り組み続けていられるひとつの要因として、このプロジェクトの存在が大きいことはあらためてここに書いておきたい。ほぼボランティアであるにも関わらず毎週この大学に通っているのもそのためなのだ。
といったわけで、冊子はひとまず完成した。のだけれど、今回じつはまだこれまでのような規模で配布する予定が決まっていない。コロナもあって3年間で京都市内はじめ観光を取り巻く環境はずいぶんと様変わりしたことが影響している(もちろん悪いほうの意味で)。
ただ悲観的になってばかりもいられない。みなさんお気づきのように、桜の季節には京都市内には多くの外国人観光客が戻ってきているし、それに伴って冒頭にも書いたように観光関係の仕事も急にこのところ増えてきている。最近ではウェブやSNSを含めた海外への発信に関わるコンサルのような仕事の依頼も届くようになった。ENJOY KYOTOでもウェブを中心にイベントなど新しい試みも始まっている。
そこでみなさんにお願いしたいのは、個人的にでもいいので、ひとりでも多くの人にこの冊子を手に取ってもらいたいし、そのためにもこの活動を広めるためのアクションを取ってほしいということ。もしこの冊子がほしいという人がいたら、ひとまずENJOY KYOTO宛にメールをください(→info@enjoy-kyoto.net)
そして、できればこの記事およびこの最新号の記事を集めたマガジン(https://note.com/alkotto/m/mff81c2725c57)を拡散していただき、できるだけ多くの人にこの活動に「参加」してもらいたいのだ。とくに下記の方にはぜひなんらかのかたちで届けたいと思っているので、当事者の方はもちろん直接ご連絡いただき、もし知り合いにそうした関係者の方がいればご紹介いただけたらとてもうれしい。
また「学生ならではのアイデアを求む」「英語での発信を手伝ってほしい」といった企画案件や、産学連携コラボ、もっといえば京都外国語大学以外の大学、例えば美術系大学や社会科学系大学、あるいは理工テック系の大学まで、それぞれの大学の強みを活かした大学連携による企業プロジェクトなんかも募集中なので、興味ある方は、ぜひお気軽にお声がけいただければ!
というわけで、最後にあらためていうと、このプロジェクトは京都で学ぶ若い学生が京都の文化を英語で発信するプロジェクトである。そこには京都の文化発信をしたい行政や事業者にとっても、それから京都で新しいビジネスを生み出すことによる経済活性化にとっても、さらには京都に就職してもらうことで若い才能の流出や人口流出を防ぐことにもつながる、何層にもわたって重なる京都の長年の課題をまとめて解決できるものと自負している。
それにここで取り組んでいる「編集」という分野は、ChatGPTはじめとしたAIの急激な発達に伴って、今後の人類が唯一残された能力になっていくとぼくは考えている。世界中の情報を集め、それを項目ごとに整理し、画像化や文章化までを担い、プランのとっかかりを作る、いわゆる「下書き」のような作業のほぼすべては、今後はAIが代替するだろう。でもそれをどのように活用し、どのように実社会に落とし込んでいくかは、まだまだ人間にしかできない(というかそこしかやることはない)。それはまさに「編集」なのだ。
ましてや「観光」という分野は、どれだけヴァーチャルリアリティが進化しても、実際にその場に移動して、その土地の人に出会い、その土地の習慣を体験し、その土地の野菜や魚を食べ、その土地の風や匂いや光を感じることによって得られる感動には、到底かなうことはないだろう。それゆえ、「観光」と「編集」を同時に学ぶALKOTTOというラボが持つ可能性は、今後ますます高まってくると、ぼくは確信している。
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