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学問の神様に学ぶ、学ぶことの尊さ。北野天満宮「学業守」

◆この記事を書いた人
京都外国語大学国際貢献学部グローバル観光学科1回生 河原のどか

現存する京都唯一の路面電車である嵐電。春になると約70本の桜のトンネルを楽しむことのできる北野線の終点である北野白梅町駅から東へ歩いていくと、あらゆる天候にも耐えてきたであろう、高さ11.4メートルの「一の鳥居」が待ち受けている。「天満宮」と書かれた扁額を掲げるこの鳥居は北野天満宮の参道入口である。

高さ約10mの一の鳥居


鳥居をくぐり歩いていくと、左右にいくつもの「撫牛」がある。これらは、自身の気になる部位を撫でるとご利益を与えてくれると言われる。たとえば、学問成就を願うなら牛の頭を撫でる、足が不調であれば改善を願い牛の足を撫でる、といった具合だ。これまでに数多くの人々から撫でられてきたことで変色してしまっている箇所がいくつか見られるのだが、そこから多くの人の思いを感じることができる。

多くの人の思いを受け止めてきた撫牛


わたしの学生生活もより充実したものになるよう、撫牛の頭を撫で、学問成就を願うと、さらに進んでいく。すると正面に木造の「楼門」が目に飛び込んでくる。門をくぐるとすぐ左手にあるのが「絵馬所」だ。現在は休憩所の役割を兼ね持っているが、本来どのような意味を持つものかご存じだろうか。一般的に大型の絵馬が奉納されている在殿を指す。絵馬というのは様々な祈願、あるいは報謝を記して奉納するものである。北野天満宮の絵馬所は京都に現存する中で最古のものと言われている。塾が算額の絵馬を奉納することにより、天神様に学業のご利益を授かると共に、広告としての役割があったという。また、江戸時代に流行した千社札と呼ばれる名前や出身地の書かれた紙札がたくさん張られている。現在も西陣織で作られた三十六歌仙の額や明治時代に奉納された物があるため、ぜひ人々が残してきた作品の数々とその歴史を感じてもらいたい。

時の流れを感じられる絵馬所


絵馬所を後にして正面に見えるのが三光門、さらに三光門をくぐると御本殿にたどり着く。色鮮やかで豪華な装飾は安土桃山時代に豊臣秀吉公のご子息である秀頼公によって御造営されたもので、当時の姿が残っていることから国宝に指定されているという。動物をモデルにした装飾がたくさん見られるが、なかでも虎をモチーフにした装飾に注目したい。というのも、日本人が初めて実物の虎をはっきり確認したのが豊臣政権時代に朝鮮出兵した「文禄・慶長の役」の際のこと。それ以前に作られた絵画や彫刻には「虎らしき動物」と言わざるを得ない作品が確認されるという。北野天満宮の御本殿は朝鮮出兵後に建立されたため、当時としては比較的リアルな虎に近い姿で描かれているのだそうだ。

安土桃山文化の装飾が残る御本殿
躍動感溢れる虎の装飾


ここで、北野天満宮の御由緒について紹介しよう。天神信仰発祥の社として今から1000年以上前、御神託(神様のお告げ)により建立された。平安京から見て、鬼門(北東)から生じた悪い気を封じ込めるという天門(北西)にあたる北野の地に菅原道真公(菅公)を祀った。その後、一條天皇より「北野天満大自在天神」の御神号を賜り、菅公は「天神様」として祀られた。以後、一條天皇の行幸(天皇陛下が直接お参りされること)をはじめ、代々皇室の御崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきた。

ここで菅原道真公のイメージについて問う。まずはやはり学問の神様のイメージが大きいだろう。しかし、取材を通して見えてきたのは、菅公が学問のみならずあらゆる分野で優れていた人だったということだ。いまでこそ「学問の神様」として信仰されているが、実はそのイメージは江戸時代に全国の寺子屋で学問の神としての信仰が篤くなり浸透した姿である。戦国時代に連歌(和歌の五・七・五(長句)に、ある人が七・七(短句)を付け、さらにある人が五・七・五を付け加えるというように、百句になるまで長句・短句を交互に連ねていく文学)や茶道が流行った際には、道真公が優れた文学を残していたことや茶の湯を研究していたことなどから文化の神として崇められていた。また、弓の名手であったことから武道の神としても信仰された。菅公は無実の罪を着せられ大宰府に左遷されたのだが、自らの潔白を声を大にして証明しようとは決してしなかったという。その理由は、左遷を命じた帝に対して不敬に当たると考えたため。このことから明治維新における尊王攘夷運動の際には、あらためて信仰を集めたという。これらの幅広い菅公の功績は、豊臣秀吉公をはじめとする時々の権力者や人々に幅広く崇拝されるきっかけともなっていった。

北野天満宮にお参りしたのであれば、やはり学業に関するお守りを授けておきたい。おすすめはブルーでかわいい「学業守」だ。もともと「勧学守」という名前の白いお守りがメインだった。しかし「色違いはないの?」といった声が多く寄せられたため、パステルカラーを用いた小さな巾着型のお守りを用意したという。揺れると鳴る小さな鈴の音もまた愛らしい。
学業成就のお守りなので、せっかくなら通学用のカバンやペンケースなどにつけることをおすすめしたい。ただ、お守りが汚れないよう、注意は必要である。他にも、桐箱に入った「学業守」がある。これはお札とまではいかないが、お守りを持ち運ぶことを懸念する人に向けてお守りの置き場所として桐箱を利用してもらうためのものなのだそうだ。また、普段の学習時に使うことで学問への意識を高める「学業鉛筆」や勉強部屋にお祀りしておきたい「学業札」などがある。



また、北野天満宮は日本の美しい四季を感じられる場所でもある。梅苑「花の庭」と史跡御土居のもみじ苑は京都の中でも屈指の名所である。2月~3月は梅の花が、4月~6月には青もみじが、10月~12月には紅葉がみられる。取材に訪れた際、開苑されていたもみじ苑にご厚意で入らせていただいた。もみじ苑は御土居という豊臣秀吉公が京都の都市開発の一環として作り上げた土塁が活用されている。そのため、御本殿などを上から一望できる。まだ色づき始めの季節であったため、青もみじの部分が多かったが、さわやかな緑色と鮮やかな赤色が交わっている様子はとても美しかった。後日、夜間のライトアップの拝観も楽しんできた。12月の初旬に訪れたが、真っ赤な紅葉が暗闇に広がる様子や、落ちた紅葉でさえも絨毯のようになり、非常に綺麗であった。紅葉の季節にはぜひ訪れていただきたい。

もみじ苑を案内していただきました
赤と緑が鮮やかに交じる11月初旬のもみじ
ライトアップされたもみじの絨毯



今回の取材を終え、菅公の偉大さに感嘆するとともに、菅公の思い、その他大勢の人々の思いを受け継いできた北野天満宮の寛大な在り方にも感動した。また、菅公の生き様に倣い、一時の努力を惜しまずさまざまなことに興味を持つことが大切だと感じた。そしてそれは、これまで教科書の中に登場する歴史上の人物でしかなかった菅原道真公という人物のリアルな息遣いを感じる体験でもあった。みなさんもぜひ、北野天満宮へ訪れて歴史の流れと、菅公の足跡にふれてもらいたい。


◆北野天満宮 公式サイト


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