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カラフルなお堂を護る、ユーモラスな神の使い。八坂庚申堂「指猿」

◆この記事を書いた人

京都外国語大学国際貢献学部グローバル観光学科1回生 田中萌々花


東大路通と八坂通の交差点から、東へと延びる緩やかな石畳の坂道がある。

八坂の塔が有名な法観寺の開基と言われる聖徳太子が、仏法興隆を夢見たことにちなんで「夢見坂」と呼ばれるこの坂道の右手に、小さいながら多くの人で溢れるお堂が現れる。それが、八坂庚申堂だ。

八坂庚申堂はカラフルなくくり猿が有名で、SNSでもたくさんの人がくくり猿の前で撮影した写真をアップしており、京都の「映えスポット」として知られている。

もちろんかわいい写真を撮ることも楽しいが、せっかく足を運んだならば、修学旅行生のみなさんにはぜひこの機会に、八坂庚申堂に伝わる不思議な伝説の数々や、「庚申信仰」についても知ってほしい。

1.​八坂庚申堂の歴史について

八坂庚申堂はいまから遡ることおよそ1000年、西暦960年(天徳4年)に天台宗の僧侶・浄蔵貴所によって建てられたといわれている。浄蔵貴所は天皇家の祈祷師集団のひとりで、無敵の霊力を持つ非常に優れた学力の持ち主でもあった。そのなかでも、彼にまつわる伝説もエピソードは非常におもしろい。いくつか代表的なものを紹介しよう。

●エピソードその1
「傾いた八坂の塔を霊力で真っ直ぐにした」
という伝説。


八坂庚申堂の目の前にある、法観寺八坂の塔。

これは私が一番好きな場所から、
一番好きな好きな時間帯に撮ったお気に入りの写真。

いまや東山のランドマークともいえるこの塔が、北西に傾いたことがあったという。当時八坂の塔が傾いた方向には悪事があるとされており、その方角にあった御所は大騒ぎに。そこで勅命を受けた浄蔵貴所は、一晩中ご祈祷をして真っ直ぐにしたのだという。「鴨川を逆流させるくらいの力が必要だ」といいながら、ふたりの子を左右の膝にのせて祈祷したそうだ。まるでゲームの世界。
でも、もし浄蔵貴所の祈祷が通じなかったら、現在の八坂の塔はピサの斜塔のように傾いたままだったのかも(もちろんあくまで伝説としてのお話だけど)。

●エピソードその2
「死んだ父親を復活させた」という伝説。


浄蔵貴所が熊野詣に行っているあいだに、彼の父親である三善清行が亡くなった。浄蔵貴所は急いで熊野から引き返すものの、すでに葬列は出発しており、現在の一条戻橋でやっと遭遇できたという。そこで、橋の上で「もういちど父にひと目でも会いたい!」と一心に願うと、なんと父親が生き返ったというのだ。一条戻橋の名は、あの世からこの世へ戻った場所にちなんで名付けられたといわれている。そのほかにも妖怪の通り道だったといわれていたり、安倍晴明の式神が隠されているという逸話があったり、いまでいう都市伝説のような霊的な話に登場することが多い気がする。(こんなに多くの歴史を知ってから一条戻橋を通ると、日常の中に溶け込む魔界の入り口に来てしまったような気がして、なんだか背筋がゾクゾクする…)ぜひ、みなさんも訪れてみてほしい。

さてその浄蔵貴所はものすごい才能を持った人物としても知られていた。そんな浄蔵貴所によって建てられた八坂庚申堂。

じつは、そもそも八坂庚申堂は仏教でも密教でもない、奈良時代に中国から伝来した「道教」が始まりである。この道教、つまり庚申信仰にもユニークでじつに興味深い伝説が眠っている。

2.​庚申信仰について

そもそも庚申とはなにか?それは陰陽五行説に基づく60通りからなる、十干十二支の組み合わせのひとつである「庚(かのえ)+申(さる)」の日のこと。十干十二支は、「干支」で知られていたり、中学生にとっては、歴史の教科書に戦争や事件などの名称として知られているかも。(壬申の乱、戊辰戦争、甲午農民戦争、辛亥革命などなど)。せっかくなら八坂庚申堂を訪れて十干十二支について詳しく知るのも良いかも知れない。

さて、この庚申の日に人の体内に潜んでいるといわれる「三尸」と呼ばれる三種類の虫が、寝ているあいだに身体を抜け出し、人の寿命を司る天帝にその人間の犯した悪行を告げ口しにいく。三尸の虫は宿っている人間が死亡すると自由になると言われており、それで宿主が早く死ぬようにと天帝に告げ口するというわけだ。そこで庚申日の夜は、この厄介な三尸の虫を封じてくれるとされる本尊である青面金剛に拝みながら、寝ないで朝を待つのだ。それを「庚申待ち」というのだそうだ。

ちなみに「三尸」というのは

「上尸」
(頭の中に潜み首から上の病気を引き起こす虫)
「中尸」
(腹の中に潜み、臓器の病気を引き起こす虫)
「下尸」
(脚の中に潜み腰から下の病気を引き起こす虫)

のことである。つまり、中国から伝わった道教「三尸説」と、日本の仏教文化が混ざりあって、日本独自の庚申信仰が生まれたということ。庚申信仰に限らず、京都のお寺や神社の催事や信仰の御由緒には、こうした当時の人々の生活や風習から生まれたストーリーが伴っているものが多く、とりわけこうした民間信仰は、現代においてもひっそりと継承されているものも少なくない。

実際に庚申日になるといまでも多いときには200人ほどの人たちが参加しているという。庚申日には厄除けのためのコンニャク焚きのご接待を受けることもできる。コンニャクは当時、虫下しの薬として使われていたので、猿形に抜いたコンニャクを3個、北を向いて無言で食べれば無病息災になると言われているそうだ。わたしも機会があれば参加してみたいなと思う。

そろそろお気付きの方もいるかも知れないが、だから八坂庚申堂の神の使いは猿なのだ。お堂をよく見ていると、いたるところに猿が隠れているので、ぜひ見つけてみてほしい。

お猿さん発見!!

本堂の賽銭箱の近くには「見ざる、言わざる、聞かざる」でお馴染みの三猿もいる。

さらに、じつはこの八坂庚申堂のシンボルでもあるカラフルなくくり猿、手足をくくられて動けなくなったお猿さんの形を表しているのだという。

猿が手足をくくられて動けない=欲望を抑えるという意味で、このくくり猿に願い事を書いて境内に吊るしておくことはすなわち「ひとつ欲を我慢することで願い事がひとつ叶う」につながるのだそうだ。ちなみにこのくくり猿は、もともと着物の端切れを奉納したものだった。

ほかにも八坂庚申堂には、猿にまつわるかわいい授与品がたくさんあるのだが、その中でもわたしがおすすめするのは「指猿」。

置き型のお守りであり、お猿さんのように手先が器用になりますように、という願いを込めて技芸上達のお守りとして知られている。置く場所や方角は自由。じつはこの指猿、ひとつひとつが職人さんの手作りで、世界にただひとつしかない、まさに一品物なのだ。形も顔の表情もどれひとつとして同じものはない。近年は代替わりをして女流作家さんが担当されていることもあってか、中には下まつ毛がついている女性らしいものもある。ぜひ、自分好みの指猿を見つけてみるのもすごく楽しいのでおすすめ(ちなみにわたしは、ものすごく笑顔が弾けた真ん中のお猿さんに即決!)。

八坂庚申堂はいまや京都観光の定番であり、いつも多くの観光客で溢れている。かわいい着物を着て、カラフルなくくり猿の前で写真を撮って、寧年坂と三年坂でお買い物をしながらぶらりと歩く京都旅ほど楽しいものはない。でもこの取材を通してわたしがとくに感じたことは「すべての物事には、ひとつひとつ意味がある」ということ。

この記事をきっかけに、ぜひ修学旅行生のみなさんにも、かわいさの向こう側でひっそりと人々を支えてきた庚申信仰の真髄について、ほんのすこしでもいいので学んでみてもらえればうれしいなと思う。

◆八坂庚申堂 公式サイト


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