マガジンのカバー画像

短編小説と、その習作です。

62
自作の小説をあつめました。
運営しているクリエイター

記事一覧

【小説】「静鼓伝」(終)

【小説】「静鼓伝」(終)

【あらすじ】

 静御前は母・磯禅師とともに讃岐の地を訪れ、剃髪し僧侶になった。静は源義経との別れの際、彼の形見として授かった小鼓「初音」を大切に持ち歩いていたが、かつての侍女・琴路が彼女のもとを訪れたときには、その鼓はなくなっていた。静が「初音」を手放した背景には、亡き母の深い愛と教えがあった。香川県東部地域に実際に伝わる静御前伝承がもとになった作品。

  *

「……母には、お見通しでした。

もっとみる
【小説】「静鼓伝」(三)

【小説】「静鼓伝」(三)

【あらすじ】

 静御前は母・磯禅師とともに讃岐の地を訪れ、剃髪し僧侶になった。静は源義経との別れの際、彼の形見として授かった小鼓「初音」を大切に持ち歩いていたが、かつての侍女・琴路が彼女のもとを訪れたときには、その鼓はなくなっていた。静が「初音」を手放した背景には、亡き母の深い愛と教えがあった。香川県東部地域に実際に伝わる静御前伝承がもとになった作品。

 *

 初音は、静にとって命よりも大切

もっとみる
【小説】「静鼓伝」(二)

【小説】「静鼓伝」(二)

【あらすじ】

 静御前は母・磯禅師とともに讃岐の地を訪れ、剃髪し僧侶になった。静は源義経との別れの際、彼の形見として授かった小鼓「初音」を大切に持ち歩いていたが、かつての侍女・琴路が彼女のもとを訪れたときには、その鼓はなくなっていた。静が「初音」を手放した背景には、亡き母の深い愛と教えがあった。香川県東部地域に実際に伝わる静御前伝承がもとになった作品。



――悲しみは突然、やってきた。

もっとみる
【小説】「静鼓伝」(一)

【小説】「静鼓伝」(一)

【あらすじ】

 静御前は母・磯禅師とともに讃岐の地を訪れ、剃髪し僧侶になった。静は源義経との別れの際、彼の形見として授かった小鼓「初音」を大切に持ち歩いていたが、かつての侍女・琴路が彼女のもとを訪れたときには、その鼓はなくなっていた。静が「初音」を手放した背景には、亡き母の深い愛と教えがあった。香川県東部地域に実際に伝わる静御前伝承がもとになった作品。



 母は私の小鼓の音色をたいへん気に

もっとみる
「繭を捨てる」【短編小説】

「繭を捨てる」【短編小説】

「落とされましたよ」

 背後で鋭い声がしたので振り返ると、背の低い中年男が私を見上げていた。

「落とされましたよ、これ」

 男の右手のひらには楕円形をした金色の繭のようなものが乗っている。それはたとえるならテレビタレントが胸に付けるピンマイクの先のスポンジの風防のようなものだ。風が吹くと飛んでいってしまいそうなくらい、小さくて軽そうである。

「いえ、私のじゃないです」

「そんなことはない

もっとみる
「地球儀を売る」【短編小説】

「地球儀を売る」【短編小説】

 僕のうちはこの町に一つしかない地球儀屋さんを営んでいる。

 地球儀を売るというのは、地球儀を売ったことがない人の想像する何倍も大変なことだ。僕自身、もちろんどこかの誰かに地球儀を売ったことなんてないから、つまりは僕の父さんと母さんは僕の想像する何倍も頑張っているということだ。

 そんな二人の日々の頑張りに、一人っ子である僕は心から感謝しているし、二人を尊敬してもいる。けれど、だからといって僕

もっとみる
「ソメダさん・断章」【掌編小説】

「ソメダさん・断章」【掌編小説】

 「見下してる」ソメダさんは憤然として言った。「あの言葉、わたし、大きらいなの」

 私は突然のことにびっくりして、「どの言葉がですか」と言った。

 すると彼女は、食堂のテレビ画面を顎で示して、
「口にもしたくない」と言う。

 テレビ画面には、最近よく様々なメディアでその顔を見かける某IT系ベンチャー企業の社長が映っていた。番組のテロップには、『令和時代の人材育成』とある。

「……“人材”っ

もっとみる
「異星人」【短編小説】

「異星人」【短編小説】

 我が家に異星人がやってきた。

 ずいぶん丸々と太った異星人だった。彼は縦にも横にもおよそ一二〇センチくらいある体を左右にいちいち重心を移動させるようにしてゆっくりと動かした。そんな彼の歩みはとてつもなく緩慢だった。

 私は異星人をリビングに通した。彼は異星人にしては小柄な方だと私はなんとなく高を括っていたが、彼がリビングのソファーに座ったとたん、私たちの部屋はずいぶんと狭く感じられてきた。

もっとみる
「花火」【短編小説】

「花火」【短編小説】

 毎年、学校が夏休みに入ると、近所の邸に一人で住んでいる足の悪いあばあさんのところに、勉強を教わりに通っていた。当時小学校低学年だった私は、どういう経緯でそうなったのか知らないが、週に一度か二度、その人に会いに行かなければならないのが嫌で嫌で仕方がなかった。

 おばあさんの家の門前には大きな柿の木が植わっていた。薄暗い陰になったその門をくぐるとき私の胸は憂鬱でいっぱいだった。シャイな少年だった私

もっとみる
「るみきの雪」【短編小説】

「るみきの雪」【短編小説】

 東京の街にはめったに雪が降らない。

 それでも年に一度か二度、まるで神様からのプレゼントみたいに真っ白な雪がわたしのうちの庭にも降り積もる日がある。そのたびにわたしは、るみきという、不思議な名前の少女のことを思いだす。

 るみき。なんて素敵な名前だろう。

「瑠美希」と書いて、るみき。

 わたしはそんな名前の子を彼女以外に知らない。日本人の女の子の名前で三番目くらいによくある名前をしている

もっとみる
「ボクの奇妙な冒険」【短編小説】(後編)

「ボクの奇妙な冒険」【短編小説】(後編)

 僕は知らない名前の駅で電車を降りた。小さな駅だった。むっつりと押し黙った背の高い駅員が改札の手前で僕の切符を受け取った。そして僕の顔をいぶかしげな表情で覗きこんだ。僕はそれをきっぱりと無視し、堂々と胸を張って、僕自身の意志で選んだ駅の改札を出た。夏の太陽がぎらぎらと輝き、正面から僕を迎えた。額に汗が吹き出した。

 駅の敷地を出ると、そこには当然ながら、僕の知らない町並があった。僕の知らない人た

もっとみる
「ボクの奇妙な冒険」【短編小説】(前編)

「ボクの奇妙な冒険」【短編小説】(前編)

 朝、いつもと同じ列車に乗って、いつもと同じ駅でいつもどおりの時刻に電車を降りる。そしていつもとは正反対の、つまり、中学校のある方角とは真逆の方角へ向かって走る別の電車に乗り換えた。

 そいつは、突然、やってきた。

 突然やってきて、僕の背中をぐんと強く押した。

 いつもと違う景色の中へ、飛びだしたいと言う「もう一人の僕」。みんながいる教室へ、朝八時のチャイムが鳴るぎりぎりのタイミングで駆け

もっとみる
静御前の「鼓渕」〜『長尾町史』から

静御前の「鼓渕」〜『長尾町史』から

 地元の市役所で、ちょっとした買い物をした。改訂版の『長尾町史』だ。香川県の、私のふるさとの町の史書である。小さい町だが、本の厚みはそれなりにある。背表紙の『長尾町史』という文字は金色で、なかなかに風格がある。

 2002年に「さぬき市」に合併された「長尾」は、いまでは駅や小学校にその名を残しているばかりだ。「長い尾のような」といわれた町のかたちや、その名前の由来も、若い世代の市民には忘れられつ

もっとみる

「煙草」【短編小説】

 深夜、仮設された喫煙所で、数年ぶりにゆかりと再会した。冴えた三日月の光が、懐かしい横顔を照らしだしていた。

「いつのまに、煙草なんかおぼえたんだよ」

 振り返ったゆかりは目を丸くして、まっすぐにおれを見つめた。

「ようちゃん?」

 こころなしか目の前の細面には、会わなかった月日以上の時間が流れているような気がした。

「こっち、帰ってたん?」

「台風の予報きいて、有休とった」

「そう

もっとみる