- 運営しているクリエイター
記事一覧
「繭を捨てる」【短編小説】
「落とされましたよ」
背後で鋭い声がしたので振り返ると、背の低い中年男が私を見上げていた。
「落とされましたよ、これ」
男の右手のひらには楕円形をした金色の繭のようなものが乗っている。それはたとえるならテレビタレントが胸に付けるピンマイクの先のスポンジの風防のようなものだ。風が吹くと飛んでいってしまいそうなくらい、小さくて軽そうである。
「いえ、私のじゃないです」
「そんなことはない
「地球儀を売る」【短編小説】
僕のうちはこの町に一つしかない地球儀屋さんを営んでいる。
地球儀を売るというのは、地球儀を売ったことがない人の想像する何倍も大変なことだ。僕自身、もちろんどこかの誰かに地球儀を売ったことなんてないから、つまりは僕の父さんと母さんは僕の想像する何倍も頑張っているということだ。
そんな二人の日々の頑張りに、一人っ子である僕は心から感謝しているし、二人を尊敬してもいる。けれど、だからといって僕
「ソメダさん・断章」【掌編小説】
「見下してる」ソメダさんは憤然として言った。「あの言葉、わたし、大きらいなの」
私は突然のことにびっくりして、「どの言葉がですか」と言った。
すると彼女は、食堂のテレビ画面を顎で示して、
「口にもしたくない」と言う。
テレビ画面には、最近よく様々なメディアでその顔を見かける某IT系ベンチャー企業の社長が映っていた。番組のテロップには、『令和時代の人材育成』とある。
「……“人材”っ
「異星人」【短編小説】
我が家に異星人がやってきた。
ずいぶん丸々と太った異星人だった。彼は縦にも横にもおよそ一二〇センチくらいある体を左右にいちいち重心を移動させるようにしてゆっくりと動かした。そんな彼の歩みはとてつもなく緩慢だった。
私は異星人をリビングに通した。彼は異星人にしては小柄な方だと私はなんとなく高を括っていたが、彼がリビングのソファーに座ったとたん、私たちの部屋はずいぶんと狭く感じられてきた。
「花火」【短編小説】
毎年、学校が夏休みに入ると、近所の邸に一人で住んでいる足の悪いあばあさんのところに、勉強を教わりに通っていた。当時小学校低学年だった私は、どういう経緯でそうなったのか知らないが、週に一度か二度、その人に会いに行かなければならないのが嫌で嫌で仕方がなかった。
おばあさんの家の門前には大きな柿の木が植わっていた。薄暗い陰になったその門をくぐるとき私の胸は憂鬱でいっぱいだった。シャイな少年だった私
「るみきの雪」【短編小説】
東京の街にはめったに雪が降らない。
それでも年に一度か二度、まるで神様からのプレゼントみたいに真っ白な雪がわたしのうちの庭にも降り積もる日がある。そのたびにわたしは、るみきという、不思議な名前の少女のことを思いだす。
るみき。なんて素敵な名前だろう。
「瑠美希」と書いて、るみき。
わたしはそんな名前の子を彼女以外に知らない。日本人の女の子の名前で三番目くらいによくある名前をしている
「煙草」【短編小説】
深夜、仮設された喫煙所で、数年ぶりにゆかりと再会した。冴えた三日月の光が、懐かしい横顔を照らしだしていた。
「いつのまに、煙草なんかおぼえたんだよ」
振り返ったゆかりは目を丸くして、まっすぐにおれを見つめた。
「ようちゃん?」
こころなしか目の前の細面には、会わなかった月日以上の時間が流れているような気がした。
「こっち、帰ってたん?」
「台風の予報きいて、有休とった」
「そう