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短編小説と、その習作です。

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自作の小説をあつめました。
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記事一覧

おばあちゃんのコロッケ

おばあちゃんのコロッケ

 今年七月に亡くなった祖母の作ってくれるコロッケが昔から大好きだった。小学生のときに引越しし、離れて暮らすようになってからも、高校卒業後、上京して年に二、三度ほどしか会うことがなくなってしまってからも、祖父母のうちへ行くたびに、祖母はやる気を出して私のためにコロッケを作ってくれた。

 塩コショウの効いたスパイシーな丸っこいコロッケだった。料理上手な祖母が時間をかけて作ってくれたコロッケを、私は平

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【短編小説】「床屋のマンマル」

【短編小説】「床屋のマンマル」

 H駅の裏手の路地を抜けると、通りを挟んで向かいの道沿いに一本のサインポールが見える。そこはかつて父と私の行きつけだった床屋である。

 当時、店をほとんどひとりで切り盛りしていた店主は、鋏と同じくらいよく口の動く人だった。ものすごくおしゃべりな五十男だった。だからある意味ではそこは客を選ぶ店だったと思う。ゆっくり髪を切られたい人には、店主のマシンガントークはたまったものではない。しかし店はとても

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【掌編小説】「球児」

【掌編小説】「球児」

 彼は押しも押されもしない球児だった。彼は誰にとっても本物の球児だった。彼は誰もが思い描く「理想的な球児」の姿を地で行く、まごうことなき真の球児だった。たとえ地球文明を知悉しない異星人でも、彼に「ホンモノノキュウジ」としての素養を見出しただろう。彼はいつどんなときでも球児だった。彼は球児としての矜持の塊のような人間だった。真の球児とは、グラウンド外においても、球児としての自覚と誇りを持つべきだ――

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【掌編小説】「雲を見る人」

【掌編小説】「雲を見る人」

 雲を見ているのさ、と老人は言った。その老人は私の祖父に違いなかった。しかし、その人は私の知る私の祖父の姿をしていなかった。それはもはや生きているとも思えないしわくちゃの人間だった。それはどこかのだれかが脱ぎ捨てた人の抜け殻のような存在だった。しかしそれはいま、たしかに生きていた。生きていたが、私にはそれがすでに死んでいるのと同じに思えた。もしそれを「生きている」というのなら、私には「生きている」

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【小説】「静鼓伝」(終)

【小説】「静鼓伝」(終)

【あらすじ】

 静御前は母・磯禅師とともに讃岐の地を訪れ、剃髪し僧侶になった。静は源義経との別れの際、彼の形見として授かった小鼓「初音」を大切に持ち歩いていたが、かつての侍女・琴路が彼女のもとを訪れたときには、その鼓はなくなっていた。静が「初音」を手放した背景には、亡き母の深い愛と教えがあった。香川県東部地域に実際に伝わる静御前伝承がもとになった作品。

  *

「……母には、お見通しでした。

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【小説】「静鼓伝」(三)

【小説】「静鼓伝」(三)

【あらすじ】

 静御前は母・磯禅師とともに讃岐の地を訪れ、剃髪し僧侶になった。静は源義経との別れの際、彼の形見として授かった小鼓「初音」を大切に持ち歩いていたが、かつての侍女・琴路が彼女のもとを訪れたときには、その鼓はなくなっていた。静が「初音」を手放した背景には、亡き母の深い愛と教えがあった。香川県東部地域に実際に伝わる静御前伝承がもとになった作品。

 *

 初音は、静にとって命よりも大切

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【小説】「静鼓伝」(二)

【小説】「静鼓伝」(二)

【あらすじ】

 静御前は母・磯禅師とともに讃岐の地を訪れ、剃髪し僧侶になった。静は源義経との別れの際、彼の形見として授かった小鼓「初音」を大切に持ち歩いていたが、かつての侍女・琴路が彼女のもとを訪れたときには、その鼓はなくなっていた。静が「初音」を手放した背景には、亡き母の深い愛と教えがあった。香川県東部地域に実際に伝わる静御前伝承がもとになった作品。



――悲しみは突然、やってきた。

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【小説】「静鼓伝」(一)

【小説】「静鼓伝」(一)

【あらすじ】

 静御前は母・磯禅師とともに讃岐の地を訪れ、剃髪し僧侶になった。静は源義経との別れの際、彼の形見として授かった小鼓「初音」を大切に持ち歩いていたが、かつての侍女・琴路が彼女のもとを訪れたときには、その鼓はなくなっていた。静が「初音」を手放した背景には、亡き母の深い愛と教えがあった。香川県東部地域に実際に伝わる静御前伝承がもとになった作品。



 母は私の小鼓の音色をたいへん気に

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「繭を捨てる」【短編小説】

「繭を捨てる」【短編小説】

「落とされましたよ」

 背後で鋭い声がしたので振り返ると、背の低い中年男が私を見上げていた。

「落とされましたよ、これ」

 男の右手のひらには楕円形をした金色の繭のようなものが乗っている。それはたとえるならテレビタレントが胸に付けるピンマイクの先のスポンジの風防のようなものだ。風が吹くと飛んでいってしまいそうなくらい、小さくて軽そうである。

「いえ、私のじゃないです」

「そんなことはない

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「地球儀を売る」【短編小説】

「地球儀を売る」【短編小説】

 僕のうちはこの町に一つしかない地球儀屋さんを営んでいる。

 地球儀を売るというのは、地球儀を売ったことがない人の想像する何倍も大変なことだ。僕自身、もちろんどこかの誰かに地球儀を売ったことなんてないから、つまりは僕の父さんと母さんは僕の想像する何倍も頑張っているということだ。

 そんな二人の日々の頑張りに、一人っ子である僕は心から感謝しているし、二人を尊敬してもいる。けれど、だからといって僕

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「ソメダさん・断章」【掌編小説】

「ソメダさん・断章」【掌編小説】

 「見下してる」ソメダさんは憤然として言った。「あの言葉、わたし、大きらいなの」

 私は突然のことにびっくりして、「どの言葉がですか」と言った。

 すると彼女は、食堂のテレビ画面を顎で示して、
「口にもしたくない」と言う。

 テレビ画面には、最近よく様々なメディアでその顔を見かける某IT系ベンチャー企業の社長が映っていた。番組のテロップには、『令和時代の人材育成』とある。

「……“人材”っ

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「異星人」【短編小説】

「異星人」【短編小説】

 我が家に異星人がやってきた。

 ずいぶん丸々と太った異星人だった。彼は縦にも横にもおよそ一二〇センチくらいある体を左右にいちいち重心を移動させるようにしてゆっくりと動かした。そんな彼の歩みはとてつもなく緩慢だった。

 私は異星人をリビングに通した。彼は異星人にしては小柄な方だと私はなんとなく高を括っていたが、彼がリビングのソファーに座ったとたん、私たちの部屋はずいぶんと狭く感じられてきた。

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「るみきの雪」【短編小説】

「るみきの雪」【短編小説】

 東京の街にはめったに雪が降らない。

 それでも年に一度か二度、まるで神様からのプレゼントみたいに真っ白な雪がわたしのうちの庭にも降り積もる日がある。そのたびにわたしは、るみきという、不思議な名前の少女のことを思いだす。

 るみき。なんて素敵な名前だろう。

「瑠美希」と書いて、るみき。

 わたしはそんな名前の子を彼女以外に知らない。日本人の女の子の名前で三番目くらいによくある名前をしている

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「ボクの奇妙な冒険」【短編小説】(後編)

「ボクの奇妙な冒険」【短編小説】(後編)

 僕は知らない名前の駅で電車を降りた。小さな駅だった。むっつりと押し黙った背の高い駅員が改札の手前で僕の切符を受け取った。そして僕の顔をいぶかしげな表情で覗きこんだ。僕はそれをきっぱりと無視し、堂々と胸を張って、僕自身の意志で選んだ駅の改札を出た。夏の太陽がぎらぎらと輝き、正面から僕を迎えた。額に汗が吹き出した。

 駅の敷地を出ると、そこには当然ながら、僕の知らない町並があった。僕の知らない人た

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