桑島明大
自作の詩、または「詩のようなもの」をあつめました。
勝手に追加して、すみません。
自作の小説をあつめました。
自作のメロディーに乗せて作った詩をあつめました。
いつもありがとうございます。
お待たせしました。 7/22(月)、Amazonより、私、桑島明大が編著をつとめました、 『うどん県の歩き方〜これから香川県を訪れる人に読んでほしい10の物語』 という本を発売します! タイトルが長い!のはさておき、中身は100ページをやや上回る程度の、さっぱりとした内容です。 すぐに読めるサイズの本ではありますが、そのぶん中身の密度は高いです。濃度が高いというべきでしょうか。“100パーセントうどん県”な、本です。 香川県生まれの私が、同じく香川生まれの仲間ととも
ぼくはぐずだ どうしようもないくらいのぐずだ おなかのすいた真夜中に アイスをくおうかまよっているうち 夜がおわってしまうくらいのぐずだ アイスコーヒーにシロップを いれるかよそうか悩んでいるうち 夜がやってきてしまうくらいのぐずだ ああ ぼくのようなぐずに あいつらどうも手きびしい ぼくはぐずだが くずではないから こぶしは出さぬときめている ぐずにも戦いかたがある 石のうえにも三年、四年、あるいは五年 そこからじっと空をみてると 空はぼくだけのものになる すくなくとも
「勉強はすべての人に開かれている」。そんな当たり前のことが、逆説的に、学びの場所で見えづらくなっている。電子端末の利用は教える側の都合だ。慣例や規則でがんじがらめの学校現場で疲弊している子どもたちを私は知っている。本当の“勉強”は「自由であること」からはじまるのかもしれない。
はじめて詩をよむときのように あなたと話せたら なんどもつまずき たちあがり 頭をひねってかんがえるだろう いじわるな形容詞について あやふやな過去形について はじめて詩をよむときのように 素直でいられたら いつのまにか深い 深い皺が 顔じゅうにきざまれていたりして とっぴな現在進行形が ふかしぎな感嘆詞が はじめて詩をよむときのように あなたと話せなら この指は 体は おそるおそるうごく ことばの輪郭を ふたりの将来を すてきな比喩でなぞりたくて そしてときには遊んで
私もこの頃、妙に島ってみたい衝動に駆られています。島ることを心のどこかで夢見ている現代人は多いはず。島ることで開ける人生もあるだろう。ひとまず私は次の帰省で瀬戸内海を渡る日まで、、、島って行こう!
いまからいうのはほんとうのこと わたしは算数をすきではないけれど うそをつくのはもっときらいだ だからほんとうのことをいう いち、たす、いち は に にはならない ――なぜかって? ここにひとつの いち がある どこかのだれかが(わたしが・あなたが) もうひとつ いち をもってくる いち に いち をくわえてみよう にたものどうしをならべてみよう こころして いち、たす、いち をねがうこととは ぎゅっとすること あらゆる差異や対立をのりこえ ふたつの矛盾をだきしめて その腕
近頃は原稿の執筆など優先したいことが重なり、noteの更新をお休みしておりました。そんななか、嬉しい通知が。「うどん県の歩き方」の書評を書いていただきました。頑張って本作って良かったな、とあらためて思いました。皆様もコチラ▶️ぜひ!https://x.gd/h2XuI
あなたという 素敵な比喩を だきしめていた すべての夜に あっけらかんと開けてゆく すべての夜明けに 鳥が哭いたら この手をほどいて あたたかな比喩よ まるで翼をもつ言葉 あなたとぼくとで まどろんだ世界に 境界線を つくろうよ すべての比喩をひもといて ふたりだけの辞書を編もう わたしはわたし あなたはあなた たがいに生まれたての比喩
ことばにできないもの ことばにうらぎられた男のはなし かれはことばをしんじないから ひゃくねんごにはだれもしらない ことばにできないもの ことばをすてた女のはなし かのじょはことばをみかぎったから ひゃくねんごにはだれもしらない いくらかのひとの心はことばに いささかつめたすぎるようだ ことばにできないもの 冷えた心 さめてしまった歌 ひゃくねんごにはだれもしらない
小説を書いているとき、登場人物に対して、「簡単に泣かせたら、ダメだよな」と思うことがある。この方の感覚はそれに近いものだろう。切実にその気持ちに迫るからこそ、流れる涙があるし、涙も出ない、ということもあると思う。災害に強くなれるのでは、という締め方が意外だった。