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#仏教
利己性が世界を変える(唯識に学ぶ012)
終わりは末那識のことについて。末那識は、阿頼耶識に、利己性、我欲をはたらきかけ、自我の固執と優越感を得ます。この世は無常、常に変化し続けるものなのに、そこに変わらぬ自己を作り上げて虚像の自己を真実と思い込んでしまいます。
道元禅師の「赤心もとどまらず、片々として往来す」と言われているように、真心も移りゆくものだから、常に発心し続けて自らの内に修めておくようにしないといけませんね。
末那識は人が
外界を変えるのは人柄である(唯識に学ぶ011)
人格が根本にあって、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるなどの感覚に影響していきます。今の自分は過去の自分の積み重ね。何を考えて、どんなものを読み、どんな経験をしてきたかを抜きに自分はありえません。
となると、自分に捉われないようにと思っていても、過去の自分の積み重ねが現在の自分なのだから、知らず知らずのうちに自分の枠にはまっていっているのは当然のことと考えられます。
自分が何をどう見ているかとい
心が変わると外界も変わる(唯識に学ぶ010)
私たちが見ている空、草木、物など、自分とは切り離されたものと思いがちだけど、実は心と密接につながっているのですね。
受け止め方、考え方で、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のすべてが変わっていきます。僕は畑をはじめたことで、落ち葉が宝物に見えてきました。これまでは、ただの落ち葉に見えていたものが、落ち葉が畑の肥やしになることを知ると、落ち葉を見るたびに、これは良い土が作れそうだな、この落ち葉を持って帰
心とは何かを考える(唯識に学ぶ001)
心って、何だろう。
誰にでもあるけど、目には見えないもの。
これが心だ!というものはなく、
ころころと変わって、捉えどころがない。
自分自身の心だって、よくわからないもの。
心っていったい何なのでしょう。
よく知っているようで知らない心のこと。
その心を解き明かす鍵として、
唯識という仏教の教えがあります。
《〈梵〉vijñapti-mātratāの訳》仏語。一切の対象は心の本体である識