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心が変わると外界も変わる(唯識に学ぶ010)

外界は一でありながら<心>によってそれが変わるのである。
われわれは、単純に、外のものは外のものであって、われわれとは無関係に切断されて独自に存在しており、われわれの<心>などとはかかわりのないものと思い込んでいる節がある。
しかし、どうもそうではなさそうなのである。深くわれわれの<心>の世界にかかわっているといわざるをえないようである。そんな世界にわれわれは住んでいるのである。

「仏教の心と禅(太田久紀著)第九章より」

私たちが見ている空、草木、物など、自分とは切り離されたものと思いがちだけど、実は心と密接につながっているのですね。

前五識も能動的に変えていくのである。見るものが変わる。聞くのが変わる。香も味も触れるものも変えていくのである。変えたものを見、変えたものを聞き。変えたものに触れるのである。外に自分とかかわりなくなにかがあってそれをうけとめるのではなく、こっちからのはたらきかけによって、自分とのかかわりにおいて外のものがあるのである。

「仏教の心と禅(太田久紀著)第九章より」

受け止め方、考え方で、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のすべてが変わっていきます。僕は畑をはじめたことで、落ち葉が宝物に見えてきました。これまでは、ただの落ち葉に見えていたものが、落ち葉が畑の肥やしになることを知ると、落ち葉を見るたびに、これは良い土が作れそうだな、この落ち葉を持って帰りたいなと思うようになりました。

最も表面の単純な<心>が、実は最も深い<心>つまり全体的なその人自身の人柄に直結しているといえるのである。深い<心>の世界での生きざまがおろそかにされてはならぬのである。

「仏教の心と禅(太田久紀著)第九章より」

落ち葉の話は、僕自身の意識が変わったことで、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの表面的な心も変わったということなのでしょう。

考え方が一人ひとり違うことはよく知っているが、この机、この紙、庭先きの石、向うの山、そんなものが一人ひとり違うとは考えない。それらは、いつでも同じ実体であり、誰が見てもさわっても全く同じに感得される実在であると思い込んでいる。

「仏教の心と禅(太田久紀著)第九章より」

これまでの人生経験や教養、知識、考え方などの全てを含んだ自分自身によって、ひとりひとり観る世界が異なっているというのがよくわかります。誰一人として全く同じ見方をする人はいません。「ひとりひとりが観ているものは違う」ということを知ることで、相手への理解を深める手助けになりますね。

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