アキさん

ウェブディレクター。英国人の妻と息子の3人暮らし。仏教や東洋思想を中心に歴史や政治、経済などから学んだことを発信しています。

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    • 唯識に学ぶ

      唯識について学んだことをまとめています。

    最近の記事

    人間にとって感覚は知性以下ではない(唯識に学ぶ006)

    人間にとって、感覚領域のはたらきが、知情意とともに重要な意味をもっているという人間把握である。ヨーロッパ思想史の主流では、感覚は理性の下位におかれているといわれる。前五識よりも第六の意識の方が重要な位置を与えられているのである。それに対して、この八識の<心>体系は別の人間把握を示していると言ってよかろう。実際、われわれが自分の生をふりかえってみると前五識の領域が思いがけず重要な役割をはたしているのに気づく。 - 「仏教の心と禅(太田久紀著)第五章より」 感覚は人の「情」を育

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      • <心>の深さー八識(唯識に学ぶ005)

        「心」は「識」という字でも表わすことができ、八つの識にわけられます。(九識もあるがここでは触れない) 八つの識とは、眼識(一識)、耳識(二識)、鼻識(三識)、舌識(四識)、身識(五識)、意識(六識)、末那識(七識)、阿頼耶識(八識)です。 六識の意識は、一から五の識によって認識されたものを統括判断したり、独自に追憶や想像をする働きなどを含めて、いわゆる知・情・意の総てをいう。(中略)ふつう<心>という語からただちに連想するのはこの第六意識であることが多く、これのみが<心>

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        • いまの心は過去と未来の総体(唯識に学ぶ004)

          <心>は積集の義といわれ、また<識>という語で表されることもある。積集の義とは、人の<心>は単一のものではなく、さまざまのいろいろなものが積み重なり集まり合ってはたらいているということである。 今日只今の私は、さまざまの要因の積集のものとして、いま、ここに在るということである。 - 「仏教の心と禅(太田久紀著)第三章より」 ではなにが積み重なっているのかというと、一つの過去である。今日の自分は、過去の積み重ねである。過去の総体が今日現在の自分である。もちろん、過去と現在とは

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          • 心は身と別ではない(唯識に学ぶ003)

            <心>というものが、私の身体のどこかに、別にあるように考えられるかもしれないが、そんなものはない。<心>と<身>とは一体不可分である。 <身>をはなれて<心>はないし、<心>と別に<身>が呼吸をしているのではない。私は生きている。生きているということは、<心>と<身>との渾然とした一体の人格として、いま、ここに、生きているのである。最も具体的な私の生は、<心>と<身>との統一体として、いずれを<心>、いずれを<身>と呼ぶことのできぬ全体として生きているのである。心即身であり、

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            仏教は心さわやかに生きる宗教(唯識に学ぶ002)

            仏教は心の宗教である。心さわやかに生きる宗教である。 法句経「諸法は心に導かれ、心に統べられ、心に作らる。」ということばではじまっている。 - 「仏教の心と禅(太田久紀著)第一章より」 仏教は、心さわやかに生きる宗教である。という表現が素敵な表現ですね。 捉われない生き方といいかえることもできるでしょうか。今、やるべきことを淡々と果たしていく。 想像すると、カッコイイなぁと思いますが、実践となるとなかなかうまくいかないものです。捉われを無くそうと思えば思うほど、さらに

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            心とは何かを考える(唯識に学ぶ001)

            心って、何だろう。 誰にでもあるけど、目には見えないもの。 これが心だ!というものはなく、 ころころと変わって、捉えどころがない。 自分自身の心だって、よくわからないもの。 心っていったい何なのでしょう。 よく知っているようで知らない心のこと。 その心を解き明かす鍵として、 唯識という仏教の教えがあります。 《〈梵〉vijñapti-mātratāの訳》仏語。一切の対象は心の本体である識によって現し出されたものであり、識以外に実在するものはないということ。また、この

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