五官は人間の正直な窓(唯識に学ぶ007)
感覚は嘘をつかないなどと考えたことがなかったです。感覚は、風邪をひいたりすると味覚が変わったり、冷えた身体では水でも温かく感じられたりと、自分の身体の状態によっては受け取り方が変わります。このような面をみると感覚はあてならないこともあるけれど、嘘をつかないってどういうことなんだろう気になります。
たしかに、肌が合わない、気が合わないというのはありますね。物事の受け取り方次第で感覚が変わるということでしょうか。
僕は20代の頃うつ病でした。その時は、大好きなゲームをしても、ぜんぜん楽しいとは感じなかったのを覚えています。何をやっても上の空、苦痛、無気力、感じない。そういう状態でした。そういうときは、感覚が正常に働いていなかったように思います。
前回の記事<心>の深さー八識(唯識に学ぶ005)で、心は、一から八識すべてを心と定義していました。心は内面だけをさすのではなく、内外合わせての心ということ。言行一致ができているかどうかが大切とこの章は述べていると思いました。
仏教に深く帰依したといわれる光明皇后。感染のリスクがあるのに、ハンセン病患者の膿を吸い出すというエピソードが伝えられています。同じように、三蔵法師もハンセン病で苦しんでいた老僧を看病して、般若心経を授かった言われています。
光明皇后や玄奘三蔵は、その志を問われました。観念だけか。それとも行動できているのか。目的が衆生救済ならば、今どうすべきか。目の前で苦しんでいる人を見過ごせますかと。
理屈や思想だけではなく、感覚(行動)まで美しく変わってこそ、身についたということですね。厳しい言葉です。自分は実践できているだろうかと姿勢を正される思いです。
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