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<心>の複雑さ−能変性(唯識に学ぶ008)

<能変>とは、能動的に変えるという意味であるから、<初能変>とは、阿頼耶識がまず第一に変えていくということであり、<第二能変>とは、その上に末那識=利己性の能動的な変えるはたらきかけがかかわってくるということである。

「仏教の心と禅(太田久紀著)第七章より」

つまり<初能変>でまず変えられて、その上で、変えたれたものをさらに利己的利己的に変えていくということであり、<第三能変>とは、それらの無意識裡のはたらきかけをうけて、それを基盤として日常的な感覚作用や意識活動がさらに<変>というはたらきかけをしているということである。
 ではなにを変えていくのかというと、まず私が変わっていくということであり、私をとりまく周辺の境域が同時に変わっていくということである。

「仏教の心と禅(太田久紀著)第七章より」

僕たちは神社やお寺などで祈ります。この祈りが僕たちの普段の行いに知らず知らずのうちに影響を与えています。

祈りとは自分の意を宣ること。私は社会にこのように貢献していくという宣言。志や願いと言い換えることもできます。

「一発菩提心百千万八発するなり」という道元禅師の言葉があるように「発心(志を立てる、願を立てる)」の重要性を説かれています。

この発心(祈り)が、社会に役立つ利己的な自分へと変化させ、感覚や行動までも変わっていくのですね。

思い無くして行動はないし、行動なくして思いは続かないものです。

日々、発心と実践の繰り返すことで、思いと行動が一致してくるのでしょうね。祈りがとても大切なことだというのを学びました。

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