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いまの心は過去と未来の総体(唯識に学ぶ004)

<心>は積集の義といわれ、また<識>という語で表されることもある。積集の義とは、人の<心>は単一のものではなく、さまざまのいろいろなものが積み重なり集まり合ってはたらいているということである。
今日只今の私は、さまざまの要因の積集のものとして、いま、ここに在るということである。
- 「仏教の心と禅(太田久紀著)第三章より」

ではなにが積み重なっているのかというと、一つの過去である。今日の自分は、過去の積み重ねである。過去の総体が今日現在の自分である。もちろん、過去と現在とは全く異質のものである。異質であるが、では現在の中味はなにかと問うと過去の総体である。
- 「仏教の心と禅(太田久紀著)第三章より」

現在の中味のもう一つは、未来である。(中略)どんな理想を持つか。どんな野心を抱くかということが、現在のその人を変えていく。未来が実は現在にあるということである。未来はまだないけれども、未来に向かって抱く誓願が今日の私を作っている。菩薩の誓願が重要な意味を持つゆえんである。
- 「仏教の心と禅(太田久紀著)第三章より」

過去もない未来もないけれども、現在の<心>は、過去と未来を具体的な内容としているのである。
<心>を考えるとき、現在の一瞬とは、すなわち過去と未来であるということをおぼえておこう。しかも<心>は<身>なのである。
- 「仏教の心と禅(太田久紀著)第三章より」

過去、現在、未来が「今」に集約されます。記憶から消えていても、思ったことや過去の行いの全てが残っていて、今の自分をつくります。そして、今思っていることやこれからの行いが未来の自分をつくります。

自分の都合の悪いことや自分の過去をなかったことにしようとしても、なかったことになりません。心にはちゃんと刻まれます。今の自分は過去と未来の自分でつくっています。今の自分を過大評価することなく、過小評価することなく、適切に評価し、不平不満を言うことなく、ただただ結果を受け入れることが大切ですね。

自分の過去と向き合い、未来に願をかけて今を生きる姿。あるがままの生き方とはそのようなことをいうのではないかと思いました。

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