見出し画像

外界を変えるのは人柄である(唯識に学ぶ011)

阿頼耶識は、具体的には過去を内容とした現在の自己である。自己の人格の根底となるその一面を別立したものである。そしてこれが根底にあって、他の<心>のはたらきを支え、他の<心>のはらたきを、その人らしいものとして動かしていくので、これを<初能変>というのである。その人が今日まで積み重ねた身体や言語や意識の積み重ねが、その人らしい<心>や<身>の動きとして能動的に変えていくのである。

「仏教の心と禅(太田久紀著)第十章より」

人格が根本にあって、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるなどの感覚に影響していきます。今の自分は過去の自分の積み重ね。何を考えて、どんなものを読み、どんな経験をしてきたかを抜きに自分はありえません。

となると、自分に捉われないようにと思っていても、過去の自分の積み重ねが現在の自分なのだから、知らず知らずのうちに自分の枠にはまっていっているのは当然のことと考えられます。

自分が何をどう見ているかというところに、自己の全てが現れてきます。見ているものを語ることは、自分を語っていることと同じなのです。意識だけが自分ではなく、座る、歩くといったすべての動作が隠すことのできない自分そのものなのです。いいかえると「自分らしさ」とも言えますね。

自分の身口意が自分の見聞きする世界を変えていくということを、よくよく肝に銘じたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?