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人生万事塞翁が馬

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#学ぶ

人間万事塞翁が馬−16

人間万事塞翁が馬−16

ペットと人間

 愛犬、バズが教えてくれたこと。

2019年10月28日14時50分、16年間、私たち家族と時間を共にしてくれた愛犬のボストンテリア「バズ」がその生涯を閉じた。

その前年6月1日、ハワイ島での交通事故で私の妻が亡くなり、私自身も負傷してしまった関係で、止む無く愛犬を次女の家に預け、世話してもらっていたのである。

彼が亡くなった10月28日の朝、次女から、「昨夜からバズの状態が

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人間万事塞翁が馬−15

人間万事塞翁が馬−15

喪失や悲嘆等、人生にぽっかり空いた穴から得られるもの

2020年は、新型コロナの感染拡大に揺れた一年間であった。

私の仕事も中止や延期が日常化、外出も思うに任せずストレスに満ちた一年であった。

新型コロナウイルスによって日本の「東京一極集中」のもろさが露呈した。

これは人口と経済機能がともに首都圏へ集中していることが生んだジレンマだといえる。

リモートワークの活用が進んでいるが、実はこれ

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人生万事塞翁が馬−14

人生万事塞翁が馬−14

非日常が日常に

私は、2年半前、ハワイ島での交通事故で、長い間、共に生きてきた妻を亡くしてから、いろいろな意味で困り、途方にくれたが、その中でも日々の日常の生活、料理、掃除、洗濯等等のやり方、対処の仕方がわからず正直、投げ出したくなることもたびたびであった。

結婚した当初から私は、自分の領域は、家族の経済面を支えること、それ以外のこと、子育て、家事、家計費のやり繰り等その全てを故人である妻へ任

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人生万事塞翁が馬ー13

人生万事塞翁が馬ー13

あるがままに生きる

長年、勤めた組織をリタイアすると多くの人は集団から自由になれる。

一方でそれは、集団との同調や集団の規範から抜け出すことになり、自由ではあるものの、その自由さの中で、どのような生き方をすべきかという答えを自ら見つけ出さなければならないということでもある。

子供が成長し巣立ち、リタイアする或いは家庭での役割を終えた人は、一方である種の不安な個人になってしまうという宿命がある

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人間万事塞翁が馬−12

人間万事塞翁が馬−12

人生の午後

スイスの心理学者カールユングは、人の人生を、日の出から日の入りまでの時間に例え、その時間を、少年期、成人前期、中年期、老人期という4つの段階に分け、それぞれの段階と段階の間には、転換期という「危機」があると指摘している。

何故ならば、転換期に必要となるのは、それまでの段階の「ものの見方や考え方或いは行動の仕方」等を「新しい期」に適合するように大きく変える必要があるということであろう

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人生万事塞翁が馬−11

人生万事塞翁が馬−11

心の在り方

人生百年時代とは、いったいどのような時代なのか。

50歳が終着駅であった時代とはまるで違う「新しい世界」をどの様に生きていくのか。

この時代、人は本当に幸せに生きられるのだろうか。

平均寿命の延びと反比例する形で私を含めてほとんどの人が、希望よりも不安を多く感じており、それは、経済面、身体的な面、介護等の問題等であろう。

しかし、もしかしたら、その側面ばかり考えて悲観し続ける

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人生万事塞翁が馬−10

人生万事塞翁が馬−10

高年期の生きがい

毎日、平穏無事な生活を送っている人間にとっては、「生きがい」という言葉は、思い浮かべることさえむずかしいかもしれないが、世の中には、毎朝、目が覚めるとその目覚めさえ恐ろしくてたまらない人たちが、あっちこっちにいるといわれている。

「ああ、今日もまた、一日生きていかなければならない」という思いに打ちのめされ、起きだす力が出てこないといわれる人たちである。

「耐えがたい苦しみや

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人生万事塞翁が馬−9

人生万事塞翁が馬−9

余生というのには長すぎる高年期の時間

政府やマスコミによると日本人は、今や「人生百年時代」だそうである。

厚生労働省が2018年に公表した統計では、2018年の平均寿命は、男性が81歳、女性が87歳となっている。

これが、戦前は、男女共に、40代、戦後の1947年でも50歳代であったことを考えると確かに、日本人は、随分長生きするようになった。

長生きするということは、言葉をかえれば、老いて

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人生万事塞翁が馬−8

人生万事塞翁が馬−8

「喪失という現実」をどのように受け容れるか

私の場合は、突如として大きな喪失に直面したので、ショック状態に陥り、喪失という現実を受け止めきれず、自分に起こっていることがぴんとこない状態がかなりの期間続いていた。

失ったものが大きければ大きいほど、その現実を受け入れるのに時間を要する。

起こってしまった現実は変えることができないものの、その現実を自分の中に受け容れることは極めて辛い作業であり、

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人生万事塞翁が馬−7

人生万事塞翁が馬−7

近親者の死が、我々に与えるもの

最近、亡くなられた死生学の研究者「アルフォンスデーケン」曰く。

我々は、近親者や知人の死に遭遇することにより、自分に与えられている時間は、限られているということを再認識し、毎日、どう生きていったらいいかを考え出すことから「死への準備教育」は、そのまま「生への準備教育」に他ならないと述べている。

人生にあく穴、その時に、何故、自分ばかりがと後ろばかり向かずに前向

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人生万事塞翁が馬−6

人生万事塞翁が馬−6

喪失後に遭遇する2つの課題

人生はしばしば物語に例えられる。

その物語の中には、大なり小なり、大切な身近な人間の喪失が生じ、そのたびに、進むべきシナリオを書き換えながら進んでいく。

詩人の谷川俊太郎さんによる「その後」という詩がある。

その後がある。

・大切な人を失った後

・もう後はないと思った後

・すべてが終わったと知った後にも

・終わらないその後がある。

大切な人を失ってしま

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人生万時塞翁が馬−5

人生万時塞翁が馬−5

人生とは、苦しみの連続

人間の一生とは、本来は苦しみの連続のように思える。

憲法が国民の基本的人権を保障してくれたとしても、個人の心の悩みや生老病死の問題まで面倒を見てくれるわけではない。

かつて評論家の小林秀雄さんが「人間というのは、おぎゃあと生まれた瞬間から死に向かって一歩一歩歩いている旅人のようなものである」と言われていたことがあるが、確かにそのとおりである。

行き着く先は見えている

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人生万事塞翁が馬−4

人生万事塞翁が馬−4

死に際して考えること

私の妹の夫が倒れて救急車で搬送され緊急入院したとの連絡があった。 

昨今、コロナウィルスの件で規模の大きな総合病院は簡単には入院出来ないようであるが、4つ目ぐらいの病院でようやく入院できたとのこと。

私も義弟の見舞いにと思ったが、コロナウィルスの一件があって現在は簡単に見舞いもできないようで面会謝絶とのことであった。

症状はかなり重いようで義弟が彼の一人息子に対し「自

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人生万事塞翁が馬-3

人生万事塞翁が馬-3

生きるとは何だろうか

昔、高校時代に 「生きるとは何なのか」「人は何のために生きているのか」等といった「答えのないこと」を考えていた時期があった。

いってみれば「そんなことを考えて何になる」というレベルの悩みである。

昨今、新型コロナウィルスの問題での外出自粛要請で必然的に自宅にいる時間が増えたこともあり、ここに来て今また再び「生きるとは何か」といった答えのないことを考え始めたりしている。

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