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人生万事塞翁が馬−7
近親者の死が、我々に与えるもの
最近、亡くなられた死生学の研究者「アルフォンスデーケン」曰く。
我々は、近親者や知人の死に遭遇することにより、自分に与えられている時間は、限られているということを再認識し、毎日、どう生きていったらいいかを考え出すことから「死への準備教育」は、そのまま「生への準備教育」に他ならないと述べている。
人生にあく穴、その時に、何故、自分ばかりがと後ろばかり向かずに前向きに考えてみる必要があるのかもしれない。
これは何の為に、私の為にあいた穴なのか、何のために自分に与えられた悲しみなのかと。
人生に穴が開くまでわからなかったことが、穴があいたが故に見えるようになるものもたくさん
あったりもする。
そう考えると、亡くなった妻の死というのは、もしかしたら生き残った私のためにあるのかもしれないし、妻の死は、私を見守るためにあるのかもしれない。
人生にぽっかり空いた穴、「病気や大切な人の死」或いは「事業の失敗」等から、穴があくまでは、全く見えなかったものが見えてくるということが、生き方として大切なのかもしれないと思い始めてもいる。
それは、それまでは、気づかなかった他人の愛や優しさ或いは自分の傲慢さ等に目を開かされることでもあるから。
私の場合であれば、妻を亡くしてから古くからの友人や知り合いから「自分も同じように妻を数年まえに亡くした」とのご連絡を頂き、奥さんを失くされている方が案外、おられることに驚かされた。
どのようにしてその困難を乗り切ったのか、寂しさを乗り越えたのかまた、1人で生活していく上でのコツ等を教えて頂くことは、今の私にとって大変な助けとなっている。
妻の死を通じて私が学べたことは、「人生において辛いこと、例えば、病気したり、挫折したり、裏切られたりと、その時に人や状況を怨むだけでなく、これは、何のために自分に与えられたものなのかと発想を変えてみる必要があるのかもしれない」と。
そうしていると、「人間は、決して自分の為だけに生きているのではない」ということが、少しずつだが見えてきたりするように思える。
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